第四頁 恐怖の夜
どこか初めに見ていた洞窟とは印象が違う気がする。気のせいだと思うがそんな気がしてならない。
俺は先程まで来た道筋をたどってテントがあった場所へと戻って行った。
不思議と何かの気配がするような気がする。
遠くから何かをズルズルと引きずるような音が時折聞こえる。
これは気のせいだろうか、それとも……
俺はハッと我に帰ると。急いでテントを剥ぎ取り本と骨をそれで覆うと自分の胸に抱え急いで出口に向かって走り出した。
呆けている暇なんて無いぞ。とにかく出来るだけ静かにそれでいて素早く脱出するぞ、こんな薄気味悪い場所……
俺は脱兎の如く駆け出した。そして、俺は再び青空の元にやって来た。やっぱり、さっきのは気のせいだったのだろうか。結局は何もなかった。
そう、多分だけど何もなかった。
なんだかメチャクチャ怖かったけど何もなかった。服とか入ってた箱は持てないから置いて来ちゃったけどもう怖いから行かない。絶対に行きたくない。
だって気のせいかもしれないけど何かの気配とかしたし。怖くておしっこチビりそうになったし。なんなら少し漏らしたかも……
「あ~!! 怖かった~!!」
取り敢えず抱え込んでいたテントを地面に下ろし中身を風呂敷の様に広げ中身を確めてみる。
中から出てくるのは勿論“骨”である。見た感じ取り溢しもなさそうだ。まあ、多分だけど。
万が一、取り溢しが有ったとしても洞窟に取りには絶対に行かない。なぜならメッチャ怖かったから。
もうあんな所に戻るのは絶対に嫌だ。
そんなことを思いながら洞窟へと視線を向ける。
「え? う、嘘……」
その瞬間、凍える様な寒気が身体中を駆け巡った。
なぜなら洞窟の奥から何かがコチラを覗き込んでいたからだ……
それの姿形はハッキリとはわからない。輪郭も朧気で人影の様な気もするが、その反対に大きな“何か”である様にも感じられる。
ただ朧気ながらも、それがハッキリとコチラを見ている事だけは理解できる。
何故なら、洞窟の暗闇からもハッキリとそれの瞳が見えるからだ。
獰猛な肉食獣の様な瞳孔。それが暗闇の奥で鋭く光り間違いなくコチラを見据えている。
寒気が徐々に恐怖へと変わって行くのがわかる。
そして、その恐怖のせいか俺はその瞳から目が離せなくなってしまった。自分自身で背筋が凍っていき身体が恐怖で硬直していくのがわかる。
怖い不味い!! これは不味い!!
逃げろ逃げろ!! 動け動け!!
足が動かない!! 馬鹿になれ馬鹿になるんだ!!
俺は頭を空っぽにすると勢いよく足元に広がった骨に視線を落とす。そして、その全てをテントに急いで包み込むと本と一緒に抱え、全力で走り出した。
とにかく走れ!!
振り向かずに走れ!!
何かわからんが不味い!!
そんな気がする!!
もしかしたら今この瞬間にも何かが背後に迫っているかもしれない。しかし、そうだとしても振り返ることなんて有り得ない。
そんなことすれば最悪“死”が待っている。
そうだ“死”の恐怖を感じたなら逃げるべきだ。何処までも何処までも死なない為に逃げるべきだ。
命が何より最優先だ。
今にして思えば骨だの、本だのなんて拾ってる場合じゃなかった!! なに振り構わず逃げるべきだったんだ!! 俺は馬鹿だ!! これで死んだら洒落にならん!!
とにかく今は逃げるんだ!!
一歩でも速く一歩でも遠くへ!!
そして、俺は草原をがむしゃらに駆け抜けた。
宛もなく、ただ目一杯走り続けた。
そんな俺を睨み付ける何かが洞窟からズルリズルリと這いずる様にして出て来ていたなんて露知らずに……
そして、宛もなく走る俺は恐怖のせいで眠ることもままならず、漆黒の草原を恐怖を抱いたままさ迷う事になった。
結局、疲れて走れなくなった後は草原のド真ん中で正体もわからない何かに怯えながら一晩を過ごす羽目になった。
そして、やっと空が白み初めて死の恐怖が生の実感へと変わって行った。そこまで来てやっと一息つき落ち着く事が出来た。
しかし一息着けたからと行ってそう易々と眠りにつける訳もなく。再び俺は宛もなく歩き出した。
とにかくあの洞窟から反対へ反対へと……
死の恐怖から背を向け逃げる様に……
不意に太陽の明かりが目に入り余りの眩しさに目を細める。既に太陽は高く登っており強く輝いている。
その太陽の暖かさと輝きが身体に染み渡ると同時に心が安らいで行くのがわかる。まるで暗闇への恐怖を太陽が照らし凍り付いた心の氷を溶かしてくれている様だ……
その時、俺は今まで歩いて来た道を初めて振り帰った。
高く高くそびえる山。その天高く伸びる山頂は雲が掛かり岩肌は雪に覆われている。
やはり、あれは崖ではなく山だったのか。
俺はその山のふもとに視線を向ける。もう既にどこが洞窟だかもわからない。どうやら、それだけ遠くに来たみたいだ。
勿論、あの瞳の正体を拝む事も叶いはしない。だけど、それで構わないさ。
なにせ生きているんだ。それに変えられる物はない。
俺はそう思うと、先程よりも少し晴れやかな気分で、宛もわからず歩き出した。すると……
「ん? なんだ? あれ?」
しばらく歩くと不思議な生物の群れに遭遇した。
昨日の正体不明の“何か”を除けば、この世界で出会う初めての生物だろう。しかし、それがとても奇っ怪な生物で俺は思わず眉を吊り上げてしまった。
「もあ~」
今のは俺の声ではなく、その奇っ怪な生物の鳴き声だ。どうやら彼等は「もあ~」と鳴くみたいだ。見た目は子羊の様な見た目をしており大きさも子羊程度の大きさだ。或いはそれ以下の個体しかいない。
それに蹄の様な物が無く長い耳がだらんと垂れている。
そんな生物が五、六匹で草をモシャモシャと食べてる。
「か、かわいい……」
これは俺の鳴き声だ。どうやら俺は「かわいい……」と鳴くらしい。
まあ冗談はさておき。可愛いからと言って油断は出来ない。もしかしたら胴体ごと「ガバァ!」って開いて、そのまま食べられちゃうかもしれない。そう言う手合いの化物かもしれない。
草を食べているのも油断を誘う為かもしれない。やはり、命を大切にだ……
ここは彼等を大きく迂回しやり過ごすべきだろう。
よし、そうしよう。
「もあ~」
そんな声と同時にお尻に何かが当たった。
見ると、その羊の様な生物が俺のお尻に当たったらしく俺の事をキョトンとした顔で見上げていた。そのモコモコとした羊毛を纏った様な顔がコチラを見上げている。
「やっぱり、かわいい……」
「もあ~~?」
うんらやっぱり可愛い。
なんだこの生物は撫でたいぞ。
そんな流行る気持ちを懸命に抑え。俺はゆっくりと後ずさると彼等の群れを迂回し再び宛もなく歩き出した。
そう下手に野生の動物に触れるのは良くない。これは常識だ。人間の臭いが付いたら群れに馴染めなくなったりする。みたいな話もよく聞くしな……
「もあもあ~~」
ん? 気のせいだろうか先程の生物の鳴き声がするぞ?
もしかして俺に着いて来てないか?
振り返ると先程の羊の様な生き物がこちらによたよたと歩きながら着いて来ていた。
そして、俺の元まで来ると再び俺をキョトンとした顔でこちらを見上げてきた。
不意にモコモコとした羊毛に隠れていたつぶらな瞳と目が合ってしまう。
やだ~ 貴方目隠れ属性だったのね~♡
もお~ か~わ~い~い~♡
と、思わず撫でたくなる気持ちをぐっと抑え俺は再び歩き出した。ここで甘さを見せてはいけないり群れからある程度離れればあのモコモコの生物も群れに帰るはずだ……
これで良いんだ。
「可愛い~」とか言って面倒見るつもりもないのに捨て猫を可愛がる無責任な人間に俺は絶対にならない。
残念なことにこんな事を考える俺も俺でかなり偏屈だと認めざるおえないり。
まあ、そんな事は気にせずに俺はズカズカと歩みを進める。
◇◆◇
ふぅ、もうかなり歩いただろう。恐らくあのモコモコの生物はもう着いてきてないだろう。
「はぁ~ ちょっと撫でたかったなぁ~」
思わず溜め息を吐いてしまう。
でも、これでいいんだ。これで俺は無責任な人間にはならなかった。俺は勝ったのだ。何に勝ったかはわからないが、何かに勝ったのだ。
「もあ~」
と、そんな事を思っていると、気の抜けた鳴き声と共に俺のお尻に何かがぶつかって来た。
「え? もしかして、着いて来ちゃったの!?」
見ると先程のモコモコの生物がキョトンとした顔でこちらを見上げていた。
俺は咄嗟に先程まで群れの有った方向を見ると既に草原の彼方へと移動してしまったらしく、群れは何処かへといなくなってしまっていた。
え、どうしよう?
もしかしてこの子、迷子になっちゃった?
まさか私のせい?