第四十頁 下水道
「うぅ、クサイですよぉ……」
思わずそんな言葉が口を付いてしまう。
だって、臭いんだもん。しょうがないじゃん。少し空気を吸ってみれば、淀んだカビ臭い空気がそこらじゅうに充満していて、なんだか鼻を突き刺す様な変なニオイがするし……
喉も心なしかチクチクする。
それに、しっかり気持ちが悪い。
そして、なんとマシマロはと言うと、下水道に入った途端、光の粒子に姿を変え、俺の本の中に引っ込んでしまったのだ。
そう、マシマロは逃げやがったのだ……
ズルい、ズルいよマシマロ……
「おい、アイラ! なにやってんだ、早く来いよ!」
見ると、ザックさんが槍を肩に担ぎながらこちらを見上げている。俺は苦々しい顔でその足元に視線を向けた。
「……」
その足元は絵の具を片っ端から溶かした様な色をしており、足を動かす度にヘドロのなのか、なんなのかわからないが、変な膜の張った物体がこべりついている。
周りを見ても煉瓦で作られた下水道なのだろうが、そこらじゅうが一枚薄い膜を張ったように汚い緑色にくすんでいる。
「一応、私は女の子なんですよ……」
しかも、結構見てくれは可愛い女の子だよ? それが、こんな仕打ちを受けていいのか? いいわけねぇよなぁ……
はぁ、でもやるしかないか。金を稼がなければやっていけないし。甘ったれた事も言ってられない。
それこそ、文句言うくらいなら、身売りでもしろとでも言われるだろう。
この世界はファンタジーの世界と言えども、世知辛くて手厳しい。
それは前回のスラムの住人を目にして痛感した。
我ながら、彼らに雄々しく啖呵を切った手前、その俺自身が女々しい事も言ってられない。
よし、と決意を固めて顔を上げるといつの間にか目の前にザックさんが立ち塞がる様に立っていた。
「うわ!! ビックリしたぁ!!」
見ると、ザックさんは心配そうな顔でこちらを見下ろしている。何か、変な虫でもついてるのだろうか?
俺は焦って腰周りだとかを一通り見渡してみる。
細っこくてセクシーな腰と可愛らしくてプリチーなお尻がそこにあったが、別に変な虫とかは付いていなかったので取り敢えず一安心した。
そんな時、ザックさんが不意に言葉を投げ掛けてきた。
「やめるか? 君が嫌ならもう仕舞いにするぞ?」
え? なにを突然言ってるのかしら?
見ると、ザックさんもロランさんも結構本気で心配してくれている様な表情をしている。
ザックさんに関しては、今にも俺が倒れるとでも思っているのか、手で触れはしないが、いつでも手を差しのべられる様に俺の肩に手をかざしている。
ああ、これは不味い。
マジで心配されてしまっている……
確かに冷静に考えると、今の俺って見た目はか弱い少女だから、弱音の一つでも吐いたらちゃんと効力を発揮して、士気に影響しちゃうのだろう。
現に目茶苦茶心配されてしまっている。
これに甘えれば、俗に言う“姫プ”にあやかれるのだろう。
だか、それはいかん!!
絶対にいかんぞ!!
スラムの住人達にあんだけ雄々しく啖呵を切ったんだ。その俺が姫プとか舐めたマネして良い訳がない。
俺はやるぜ……
男らしく、やってやるぜ!!
糞まみれになってやろうじゃねぇか!!
「へへーん!! 引っ掛かりましたねぇ!! こんなんで、私が弱音を吐くと思いましたか!! 残念でしたぁ!!」
「あ?」
俺の言葉にザックさんがキョトンとした顔を浮かべている。
俺はその顔を満足そうに眺めると、そのままズカズカと正に男らしく下水道へと歩を進めた。
なんだか靴の底でズルズルとした気色悪い感触がするが、そんなのは気にせずに男らしく前へと進んでいく。
「な、なんだよ、心配させんなよ!!」
ザックさんの声が後ろから響いてくる。
俺は振り向くと、その声に今出来る全力の笑顔で答えてみせた。そして、何事もなかったかの様に下水道へと足を踏み出した。
◇◆◇
臭いと言うのは不思議なもので結構直ぐに慣れたりする。現に先程まで鼻についていたアンモニア臭も余り気にならなくなってきた。
しかし、それはそれで気分は悪い。
控えめに言って、最悪って感じ。
「おっ! 出たぞ、プラトゥーンラットだ!」
そう言うと、俺の少し前を歩いていたザックさんが槍を構えた。そして、鋭く磨がれた刃がキラリと光り、閃光一線と何かを貫いてみせた。
「ほれ、先ずは一匹……」
と、槍のブッ刺さった。大きなネズミを得意気な表情でコチラに見せてきた。
アレが“プラトゥーンラット”か……
その時、本が僅かに輝いた。
瞬時に本を開いてみると、やはり新たなページが追加されている。俺はさっと、そのページに目を通してみる。
【プラトゥーンラット★☆☆】
【非常に大きな鼠型の魔獣。小隊の名の通り、30~60程の個体で群れを作る習性がある。性格は単体では非常に臆病だが、群れを作ると非常に狂暴で好戦的な性格へと変わる。その軍隊性を利用し、自分達の何倍もの大きさを持つ獲物を狩ることがある】
俺は読み終えると、目の前に居るネズミをマジマジと眺めた。
ネズミの大きな体は一メートル程有るだろうか。明らかに俺の知っているネズミではない。ちゃんと馬鹿者だ。その顔も荒々しく、げっ歯類特有の前歯はなく、鋭く大きな牙がその口から覗いている。
その凶悪な姿に思わず、肩を震わせてしまう。
「おっと…… す、すまねぇ……」
見ると、ザックさんが得意気な表情を引っ込ませ、申し訳なさそうな顔を浮かべた。
完全に俺に気を使ってくれているのだろう。なんだか態度がよそよそしい。
「大丈夫ですよ! すいませんね、いちいち、驚いてしまって……」
「お、おう。そんなら良かった。ま、まあ、気を付けろよ。プラトゥーンラットは数十匹の群れで活動してる。近くにもまだ居るはずだ……」
成る程、生態の方は周知されてるんですね。
見ると、ロランさんは俺の後ろに陣取り、背後を警戒している。どうやら、立ち位置から考えても俺は完全に御荷物で、守られている状態っぽい。
男の子二人に前後を守られている下水道探検。
正直、姫プ以外の何者でもない。
全く情けない……
その時、ロランさんの声が突然、下水道に響いた。
「ザックさん!! 後方からラットが来てます。迎撃お願いします!!」
「おうよ!!」
そのやり取りと共にザックさんとロランさんが立ち位置を入れ替え、それと同時にザックさんが槍を勢いよく突き出した。
獣の叫び声と共に下水道に血飛沫が舞い、アルさんの槍にネズミが串刺しになる。
そして、それに呼応する様にロランさんが弓を構え目にも止まらぬ早さで矢を射った。
凄まじい速さで矢が次々と打ち出され、コチラに飛び掛かって来ていたラットを打ち落とし、あっという間にラット達を始末していってしまった。
「す、凄い……」
思わず感嘆の声が漏れた。
俺のその声にザックさんとロランさんが得意気な表情を浮かべ、コチラに振り返った。
「まあ、こんなもんよ……」
「これくらいは出来て当たり前ですよ……」
二人はそう言うと、今しがた倒したネズミを拾い上げ袋に投げ込んだ。俺がその様子を見ているとロランさんがおもむろに口を開いた。
「この袋にネズミを入れといて、後でギルド職員さんに渡すんです」
「へ、へぇ……」
て言うか、俺いなくていいじゃん。
俺、ただの足手まといじゃん。
いかんいかん、俺もどうにかしてネズミを倒さなければ……
「おい、ロラン、また来たぞ!! 行けるか!?」
見ると、ザックさんが下水道の奥に視線を向けていた。
俺もその視線の先に目をやると数十匹程のネズミがこちらに向かって走って来ていた。ロランさんに視線を向けると、ロランさんは面倒臭そうな表情を浮かべ、口を開いた。
「少し、部が悪いですね。一回引きましょう」
「おう、わかった! アイラも一回引くぞ!」
来た、活躍のチャンスだ……
俺は咄嗟に本を開いて見せた。
その意味不明の行動に二人が疑問の表情でコチラを眺めている。
俺はその視線を他所に本に手を重ねると、全力で魔力を込めた。
直ぐに青い光が溢れ出し、それは下水道を埋め尽くしていった。
そして、それと同時に俺は高らかに声を上げた。
「来て!! ボアちゃん!!」




