第三十五頁 真夜中の契約
はてさて、どうしたものか。
俺は二人を眺めながら思わず首を傾げてしまった。
ううむ、彼が人狼と言ってもな~
ぶっちゃけ、コチラからすれば「おっきい狼になれる人」程度なんだよな。どう、屈折した見方をしても、彼が魔物だとか、魔獣とかとは思えないんだよな。
なんとなく、人望が有るのも、実力が有るのもわかる。ただでさえ無法者のスラムの住人達を纏め上げているんだ。そのカリスマ性は伊達じゃないだろう。
それだけに、真っ当な道を歩いていれば、と思わざるを得ない。どうして、こんな姑息なマネしているのか……
彼が人狼だからなのだろうか。それとも……
俺が悩んでいると、ユヅキが息も絶え絶えの様子で声を発した。
「女…… 俺は殺してくれて構わん…… ど、どのみち…… 人狼だとバレちゃ…… 只じゃ済まない…… だから……」
彼の声は弱々しく。まるで息をするのを忘れているのではないかと思える程にか細い。
しかし、その瞳はどこか強い意思を感じられる。恐らく彼の瞳は「自分の命で、手を打ってくれ」と、口にすることこそ無いだろうが、確かにそう言っているように感じられる。
何故だろう。その黄金色に光る瞳はどこか気高さ、気品すら感じさせられる。
狼とはとても賢く強く、誇り高いと言う話は良く聞く。
彼もその例に漏れないのかもしれない。
現に彼の強さは先程、しかと見せつけられた。今回は俺が勝ったけど、間違いなく次はないだろう。
それだけ彼は強い。
否応がなく、純粋な強さを持っている。俺が異世界に転生するなら彼の様な能力が欲しかった。そう思えるくらい強かった。
どこか羨望の様な感情を抱く程に……
だからこそ、気に入らない……
「なら、なんで盗みなんかしてるんですか!! 貴方なら、こんな姑息なマネをしないでも生きていける方法が幾らでもあるでしょう!!」
思わず声を荒げてしまう。
これ程の強さを持っていながら、なんでコイツはここまで落ちぶれているのか。俺なんかに命乞いをする程に落ちぶれているのか。
どこかで納得が行かなかった。
この目の前にいる狼は間違いなく強い、肉体的にも精神的にも。なら何故、彼がこんな姑息な盗みなんかしてるのかと……
こんなファンタジーの世界まで来て、なんでこんな夢も希望もない、ふざけた冗談みたいな光景を見なくてはならないんだ。
強い奴が讃えられて尊敬されて、贅沢な暮らしと言わずとも、不自由のない暮らしが出来る世界じゃないのかよ、ファンタジーってのは。
冒険者ギルドにいた奴等とコイツ。一体何が違うって言うんだよ……
多分、俺はどこかで夢物語を期待していたのだろう。
我ながら、甘ちゃんである。
きっと、コイツ等にも何か理由があるのだろう。だけれども、どんな理由があろうと盗みなんてやっては行けない。必ず、手痛いしっぺ返しが来る。
「ははは…… 耳が痛いねぇ……」
自らを嘲笑う様にユヅキは笑った。
その様子からは何か弁明をするつもりは無い様に見える。きっと、その心の内にある秘密は墓場まで持っていくつもりなんだろう……
本当に彼は強い人なんだろう。
だから、それだけに納得も出来ない……
「貴方が死ねば困る人がいるんですよね。貴方が生きることを望む人がいるんですよね。なら、命に変えてでもその人の為に生きようと思わないんですか……」
ユヅキは不思議な顔をコチラに向ける。そして、今にも消え入りそうな声を発した。
「なんだ…… テメェ、何を言いてぇんだ?」
自分でも何が言いたいかわからない。だけど、間違いなく俺はコイツに死んで欲しくないと思っている。
きっと、コイツならこんなことをしないでも生きていける様になるはずだから……
だから、そんな人を殺したくない。
俺はこの人に、こんな悪い冗談みたいな世界を引っくり返して見せて欲しい。
俺にファンタジーみたいな、夢みたいな物語を見せて欲しい。
「私は貴方に生きて欲しいんです。だから、もう盗みなんてしないで下さい。それを約束してくれるなら、貴方達を許します。勿論、貴方が人狼であることも絶対に口外しません……」
「……な、お前、正気か!?」
ユヅキは驚愕の表情でコチラを眺めている。
「私は正気ですよ」
そう、俺は正気ではある。
ただ、俺の言っていることがどういう事を意味するのか、それはわからない。無知ゆえの強さだ。
でも、それでいい、それでいいさ。
俺はコイツに死んで欲しくないんだ。理由はそれだけで十分。俺の目の前で起こる物語は、何処までも夢見がちなファンタジーで良いんだ。
俺に物語の様な世界を見せて欲しい。
ザックさんみたいに夢物語を見せて欲しい。
私は目の前にいる彼に向かって微笑んで見せた。
コチラの顔を見て、ユヅキは言葉を失っている様子だ。その隣にいる蜥蜴の人も、まるで鳩が豆鉄砲を食ったよう顔をしている。
きっと、私はそうとう馬鹿げた提案をしているのだろう。
でも、それでいいさ。
私はこんな世界に来てまで、現実に振り回されるなんて、まっぴら御免なんだ。
振り回されるぐらいなら、私が振り回してやる。
「ははは、面白い女とは思ってはいたが…… ここまでイカれてるとはな……」
見ると、ユヅキは苦悶とも笑顔ともつかない表情を浮かべている。だけど、その表情が何を意味しているのか、私には直ぐにわかった。
「わかった、誓おう!! 俺達は金輪際、テメェの許しが無い限り、盗み殺しはやらねぇ、これで良いかッ!!」
彼の力強く芯の通った声が耳の奥まで響いてくる。
とても真っ直ぐとした声色だ。耳にしていてとても心地いい。
そして、その時、驚くべき事態が起きた。
突然、ユヅキの身体から金色の光が溢れだし、私の本の中へと吸い込まれて行ったのだ。
「え!? な、なに、今の!?」




