第二十頁 山吹色の約束
目が覚めると空はまだ暗く、その空には薄くなった二つの月が見えた。
その風景から言われたであろう時間よりは、少し早くに起きれたと言うのは何となくわかった。取り敢えず、寝坊せずには済んだようだ。
かと言って、ここで二度寝を決め込む程、俺もメンタルが太くない。
俺はそそくさと着替えて本と骨を抱えて外に出た。
その際にロランさんが壁を背に寝息を立てているのが目に入った。
どうやら、彼等は俺達が食事をしていた部屋で一晩過ごしたらしい。俺には、こんなお尻が痛くなりそうな所で寝るなんて考えられない。流石は冒険者の方々だ、俺なんかとは育ちが違って逞しい。
俺も早く彼等の様にならなくては……
外に出ると、畑の匂いと言うのだろうか。土と草の混じった様な香りが鼻を突いた。それに、朝露だろうか、ほんのりと空気が湿っている様な感じもする。
だけど、不思議と嫌な感覚はしない。
それどころか、とても落ち着く雰囲気を感じる。
生命の香り、大地の香りと言うのだろう。
どこか優しさを感じる。
「まだ、出発には早いぜ……」
不意に頭上から声が響いた。
見ると、アルザックと名乗った青年が、屋根の上からコチラを眺めていた。
「眠れなかったのか?」
「いえ、バッチリです」
そう言った矢先、俺が起きたのに気づいたからか、マシマロがトボトボと後から来た。
そして、眠そうに「もあ~」と小さく鳴くと、俺の足元に座り再び寝息を立て始めた。
「ははは、そのモアナは呑気だな」
屋根の上の青年は可笑しそうに笑って見せた。
俺はその青年を見上げると、おもむろに口を開いた。
「て言うか、貴方はどうして屋根の上にいるんですか? “馬鹿と煙は高い所に”って奴ですか?」
俺がそう言うとのアルザックは「言うねぇ」と小さく呟くと笑って見せた。そして、ゆっくりとその笑顔を仕舞うと真面目な表情を作って見せた。
「俺は農民の出でよ。こんな土と草ばかりの所は御免だって言って、冒険者になったんだ…… まるで同じだよな、ここの息子さんと……」
そう言ったアルザックの瞳は、酷く遠くを眺めている様に見えた。
彼は今、遠くの故郷を想っているのか。それとも、存在も不確かな“あの洞窟”の化物の事を考えているのか。
それとも、その両方か……
俺がそんな事を思っていると、青年が不意に目を細めた。
「そんなこと話してる間に日の出だ……」
俺は咄嗟に青年が眺める方向を見た。しかし、そこには広く高くそびえる山脈が見えるだけで太陽はまだ姿を現してはいなかった。
「そこからじゃまだ見えないか。ここだと、ちょうど見えるぜ……」
見ると、青年の顔が朝日に当てられ、その赤い髪がきらびやかなオレンジ色に光っていた。
俺も日の出を見ようと、勢いよくジャンプし屋根の縁に手を伸ばした。
しかし、あとわずかと行ったところで手は届かず、かすっただけだった。完全に忘れてたが、今の俺は女の子になってるから身体能力が若干落ちてる。
思ったより、跳べなかった。
「よっと!」
その瞬間、俺の手を青年が掴んだ。
そして、軽快な動作で俺をあっという間に屋根の上まで引っ張りあげてみせた。
流石は冒険者だ、鍛え方が違う。
「“何と何は高い所に上る”だっけ?」
見ると、青年はおかしそうに笑顔を向けてきた。
無邪気で子供の様な屈託の無い笑顔だ。
なんだか、彼の顔が太陽に照らされてるからか、酷く眩しく見える。
「まあ、私は馬鹿ですからね」
「ははは、いいねぇ。嫌いじゃねぇぜ、そう言うの」
俺の答えに、青年は笑い声を上げた。
「ほら見ろよ。お前が見たかった朝日だぜ。誰にも平等に訪れる一日のはじまり。それを一足先に眺めちまう。格別だろ、俺は故郷にいた時から、この景色が好きだったんだ」
今まで太陽を遮っていた山脈から光が漏れ出して来る。
そして、それは徐々に色合いを増していき、大きく広がる草原を山吹色に染め上げて行く。
「アイラ。俺はいつか“あの洞窟”にいる魔物を討つ。ここの夫婦の様な人達をこれ以上作っちゃならねぇ。今の俺じゃ駄目かもしれないが、強くなって必ずやり遂げてみせる……」
ーだから、アイラ。その時はお前の力を貸してくれー
青年はそう呟くと、俺の事を力強く見詰めた。
不覚にも、彼を格好いいと思ってしまった。純粋で真っ直ぐ、不器用で無邪気。どこか子供みたいで危なっかしい雰囲気はするけど、決して底の浅い人ではない。
きっと彼は、とても優しい人なんだろう。
本当はあの洞窟に戻るのは目茶苦茶嫌だけど。スミスさんやシーナさんの為にも、あの洞窟は放っておく事なんて出来ない。
どこかで、因縁を断ち切らなきゃいけない。
それが出来るかはわからない。でも、願うことは間違っていないはずだ、目指すことは間違っていないはずだ……
その為に、強くあろうとする事は、絶対に間違っていないはずなんだ……
思わず、言葉が口から漏れる……
「貴方が強くなったらね……」
山吹色に光る草原を見下ろしながら、そう呟いた。
それに答える様に、彼は力強く頷いてみせた。




