リナリア
時は数ヶ月前に遡る。
シャノン王女は、どうにかして結婚から逃げられないかと考えていた。
そんな時、カールに駆け落ちしないかとプロポーズされた。
大好きなカールのロマンチックな提案にシャノン王女は二つ返事でokし、置き手紙を書いてカールの元へ行ったのだが、そこで待っていたのはカールとの幸せな生活ではなく、採掘場の跡地での監禁の日々だった。
カールの狙いは、国への反逆だった。
同盟国との関係強化にオスカーとシャノンの婚姻は必須だった。しかしシャノンが駆け落ちしていなくなったとなれば、婚約は破棄され関係は悪化し国は存続危機に陥るだろう。
王家の力が弱まったところで反乱を起こして公爵家が王位を奪うことを、何年も前から画策していた。
しかし、目論見は外れ、シャノンの偽物が現れ、婚約も破棄になる様子がない。そこで偽物のシャノンも本物のシャノンと一緒に消すことにしたのだった。
二人の王女を前に訳がわからないと頭を抱えているオスカーに、シャノンの偽物の少女は涙ながらに事情を説明した。
最後に、「あなたを騙してごめんなさい」とポツリと言って、それ以上何も喋らなかった。
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少女は、また街角に立っていた。
今は街角の花屋で働いている。
あの後、正体はバレたがオスカーが事を大きくしたくないと言ったので、お咎め無しで解放された。
成功報酬の金貨100枚はもらえなかったが、王宮で言葉の矯正、一通りのマナーや文字の書き方を学んだおかげで花屋に雇ってもらうことができた。小さいけれど部屋も借りることもできた。
今では身につけた教養こそが金貨100枚以上の価値があると思っている。
オスカーと出会って、短い間だけでも隣にいられたことも。
金貨よりも、もうオスカーに会えないことが惜しい。
花屋の仕事も慣れてきたある日、花の配達から戻ってくると、花屋の店長が顔を赤くしながら少女に口早に言った。
「黒髪のハンサムがあなたを訪ねて来たわよ!また来るって言ってたけど、さっき帰っていったばかりだからまだその辺に…あ!ちょっと!?」
少女は思わず駆け出していた。まさか彼が訪ねてくるはずがないと思いながら、会いたいという一心で。
「オスカー様!」
花屋から少し離れた広場の噴水の前で立っている見覚えのある後ろ姿にその名を叫ぶ。
振り向いたのは、オスカーその人だった。そしてその手には、少女が一番好きだと言った白い花の花束を持っていた。
オスカーの顔を見て、我に返る。思わず追いかけて声をかけてしまったが、オスカーを騙した自分がどんな顔をして会えるというのか。会う権利などなかったことに今更気づき、俯く。
少しの沈黙の後、オスカーが口を開いた。
「君の本当の名は何という?」
「…リナリアです」
少女は白い花と同じ名前だった。
「そうか…リナリア。今日は君に伝えたいことがあって会いに来た。」
オスカーは真面目な声で話し始めた。
「王女誘拐の一件で、この国の綻びと危うさが露呈した。よって、帝国は同盟を解消することにした」
「そんな…」
「その代わり、この国は帝国の同盟国から保護国になった。よって、保護国であるこの国の王女との婚姻は国家間の関係に利益をもたらさない。結婚するのは、王女である必要がなくなった。
そして俺は、君を妻に望む。」
自分がちゃんと役目を果たせなかったせいで同盟を破棄されたとショックを受けていたリナリアは、思わぬ話の展開に固まる。
「でも…私は、陛下の隣に立てる身分ではありません」
「この国では身分が重要視されるみたいだが、我が帝国では身分の差はそれほど重要ではなく、自分が選んだ人と結婚出来る。王子とて例外ではない。俺の母も平民の出だ」
「それでも…私はあなたを騙して…」
「そうだな。それについては一生をかけて十分償ってもらいたい。俺の隣で」
嬉しさと、真っ直ぐに私の目を見て愛を請うこの誠実な人を騙した罪悪感で言葉が出ない。
そんな少女の様子を見て、オスカーは少し落ち込んだ様子で言った。
「俺と結婚するのが嫌なら、はっきりそう言ってくれていい」
「嫌なんかじゃありません!」
嫌なわけがない。リナリアはオスカーが大好きだった。
いきなり大きな声を出したリナリアに驚いて顔を上げたオスカーに、リナリアはスカートをギュッと握って声を絞り出すように言った。
「私も…あなたにお伝えしなければいけません。
オスカー様が結婚したいと言ってくれる私は、私ではないのです。
食べ物の好みも、趣味も、何もかも、シャノン王女の物を伝えていました。
それに私は、幼いときから親もなく、平民どころか住む家も無かったような娘です。本当の私を知ったら、オスカー様は幻滅なさると思います」
「それはもう知っている。君が去った後、君の素性について悪いが少し調べさせてもらった。
それと好きな物の話だが、それは最初から分かっていたよ。君はすぐに表情に出るからな。カヌレが一番好きだと言いながら、クッキーを食べている時の方が幸せそうだったし、紫が好きだと言いながら、手に取るのはいつも黄色だったろう。なぜ本当に好きな物を偽るのか不思議に思っていたが、やっと謎がとけた。」
フッと何でもないことのようにオスカーは笑う。
オスカーは全て分かって、それでも私を選んでくれるというのか。
泣きたくないと思うのに、涙が勝手に溢れる。
「でも、リナリア。この花を一番好きだと言った時は、本当の君の気持ちだと思ったんだが、違ったかな?」
そう言って、オスカーはリナリアに花束を渡す。
涙と嗚咽で言葉が出ない彼女に、オスカーは優しく尋ねた。
「リナリアの花言葉を知っているか?」
知っている。
オスカーを想い、何度も心の中で繰り返した言葉。
花言葉は、『この恋に気づいて』
「リナリア、君を生涯大切にするとこの花に誓う。どうか、俺と結婚してください」
もう我慢して断らなければならない理由は何も無かった。
リナリアは大粒の涙を流しながら頷いた。
オスカーは満面の笑みでリナリアを抱き上げ、クルクルと回った後軽い体をギュッと抱きしめた。
「愛している。」
オスカーの首に回された手には、少女と同じ名前の花が暖かく通り過ぎる風に揺れていた。
これで完結です。
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