花売りの少女
人々の喧騒と馬車が行き交う大通りのすみっこに、花売りの少女がいた。
花屋のゴミから萎れているけどまだマシな花を選分け、それを売る。そんな生活を物心ついた時からやっていた。
「今日も全然売れなかった」
少女が落ち込んで道の端で座り込んでいると、彼女の前でコツと立派な革靴の足が止まった。
「その花を全てもらおうか」
高そうな艶のある生地で仕立てられたスーツを着た紳士が話しかけて来た。
いつも押し売りばかりしていた少女は、客から、しかも金持ちそうな客から花を買うと言われるのは初めての事だった。
「ど…銅貨一枚だよ」
戸惑いながらもそう言うと、その紳士は金貨を1枚差し出してきた。
「釣りはないんだけど…」
「君に頼み事がある。頼みを聞いてくれたらその金貨は君にあげよう」
少女はゴクリと喉を鳴らす。
金貨なんて、初めて見た。これがあれば、部屋を借りて温かい食事がお腹いっぱいできるだろう。
二つ返事で答えたいところだったが、頼み事とは何だろう。こんな見るからに学も何もない小娘に何を頼む事があるのだろうか。どうせ碌でもない頼みだろう。慰み者にでもしようというのか。
怪訝な顔で紳士の様子をうかがう。
「安心してくれ。君にとって悪い話じゃない。ただ、頼みの内容を聞いたら君に断る選択肢はない。聞かずに去るか、頼みを聞くか、決めてもらいたい」
益々怪しいが、金貨を手に入れる機会なんてこれを逃したらもう巡ってはこないだろう。
話を聞いて、ヤバそうだったら金貨を持って逃げればいい。
そう判断して、こくんと頷く。
すると、紳士が合図を出してどこからともなく現れた三人の男が少女を囲み、少女は抵抗する間もなく馬車に押し込められた。
「ちょっと、あたいをどうするつもりだよ!」
「手荒な真似をしてすまなかった。しかし、極秘事項なのであそこで話す訳にはいかなかったのだ。それに、君に逃げられでもしたら困るからな」
全て見透かしているような紳士の鋭い目つきに、少女はギクリとした。
「さっそくだが本題に入ろう。
王女が失踪した。君には、王女が見つかるまで王女の身代わりになってもらいたい」
意味がよく分からない。
話を聞くと、現国王の娘シャノン王女様は奔放な方で、お城を抜け出すことも少なくなかったが、ある日置き手紙を置いていなくなったらしい。
手紙には、婚約者が気に入らない、自分は自分の好きな人と生きていくと書いてあったとか。
王女は学友で公爵家の息子カールに熱を上げていたのでカールと駆け落ちしたのかと思われたが、カールは何も知らなかった。
王女が見つかるまでの間、王女は病気で床に臥していることにしていたが、それももう限界になってきたところ、王女にそっくりな少女を偶然見つけたと言うことだった。
庶民には王女の顔を見る機会は全くないので少女は自分に似ていることを知らなかったが、まるで生き写しのように似ているらしい。
「婚約者は同盟国である帝国の王子です。我が国は防衛の面で軍事力の強い帝国に依存している。帝国との結び付きをより強固にする為に、どうしてもこの結婚は死守しなければならない。王女の失踪が知られたら、国の存続に関わる」
「あのぅ、いくらあたいの顔が王女さまに似ているからと言って、そんな大役、無理だよぅ」
「君に選択肢はないと言ったはずだ」
馬車が止まった。
話している間に、王宮に到着したのだった。
少女は黒いローブを被せられ、裏口から王宮に連れ込まれた。
少女は初めて見る王宮内の広さ、豪華絢爛なシャンデリアや調度品に目眩を覚える。
階段を何段も上がり、長い廊下を通り、ある部屋に通されると、侍女がたくさん待機していて、紳士は私を風呂に入れ磨き上げるように言って去っていった。
一番位の高そうな侍女が「失礼します」とローブを取り、その瞬間そこにいる侍女全員が息を飲んだ。
やはり私は王女にそっくりらしい。
あれよあれよと風呂に入れられ、十何年分かの垢を落とされ、肌触りの良いドレスを着させられ、髪を結われて紳士の元に連れて行かれた。
「これは…これほどまでに似ているとは…」
私の姿を見て紳士は驚愕の表情を浮かべた。
私はふと横にあった鏡に映った自分を見た。
そこには、身なりの整ったすっきりとした自分が映っていた。
パサパサだった金髪は艶々になり、垢にまみれていた肌は、垢を落とすと真珠のように白く艶やかだった。
「垢を落としたらあたいも変わるもんだねぇ」
「『わたくし』だ。君には王女として過ごしてもらうのだ。言葉遣いはもちろん、立ち居振る舞い、教養、全て王女のレベルに合わせてもらう」
「そ…そんなの無理だ!字だって書けねえってのに」
「やり遂げられれば、金貨を100枚やろう」
「やります」
その後に厳しい王女教育が待ち受けていることも知らず、金に目が眩んだ少女は即答するのだった。
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それから、寝る間も削っての厳しい王女教育が始まった。
婚約者が二週間後会いに来るので、それまでに王女になりきらなければならない。
今日も朝からみっちりカーテシーとダンスの練習をさせられ、クタクタになって部屋に戻って来た。
「今日もキツかった…」
このままバタンキューといきたいところだが、少女は寝る前に日記を開き読む。
少女王女の部屋で寝泊まりしているわけだが、初日に部屋を漁っていたところ、王女の日記を見つけた。それ以来毎晩寝る前に日記を読んでいた。
マナーや教養は家庭教師から学べても、王女が何を考えてどんな性格だったかは分からない。でもそこがわかってないと正体はすぐに見破られてしまうだろう。
日記には、大好きなカールのこと、お忍びで行った下町のカフェの美味しかったケーキのこと、婚約者が無愛想だし退屈でタイプじゃないので好きになれず結婚後はお先真っ暗だ、というようなことが書かれていた。
「ずいぶん奔放な性格の王女様だったんだなぁ、あ、じゃなくて、だったのねぇ」
少女は王女に成り切る為に必死だった。金貨100枚の為ももちろんあるが、帝国の王子を騙すのだ。正体がバレればただでは済まないだろう。失うものは何も無いが、命まで失うのはさすがに困る。
部屋に飾られている王女の大きな肖像画を見る。
「本当にそっくり」
血の繋がりどころか接点すらないのに、こんな運命のイタズラがあるんだなと思いながら、少女は落ちてくる瞼に抗えず眠りに落ちた。