危険な思想
「ミレイ……?」
人魚について聞かれた事よりも、ミレイの真剣な表情に困惑したレオルは、言葉を選ぶ。
「人魚がいるかどうか、か……。正直、伝説の生き物であって実在はしないと思っているが……。どうしてだ?」
なぜ自分にそんな事を聞くのか。ただの談笑ならいざ知らず、彼女が真剣に質問してくる意図が分からなかった。
「私は……」
ミレイは息を呑んだ。自分の正体を打ち明けたなら、王子はどんな反応をするだろうか……。たとえ結果がどうであろうと、今ここで伝えなければ二度と言えない気がした。
「私は、人魚はいると思います。なぜなら……」
しかしミレイが全てを言うより前に、一人の男が会話に割って入った。
「へえ、君も人魚に興味があるのかい?」
銀の長髪と青い瞳、長身が特長のその男は、薄っすらと笑みを浮かべながら、二人に近づいてきた。
「エリック殿下!?」
男の正体に気付いたレオルが、立ち上がって名前を口にした。
「やあ、レオル殿。はるばるようこそ。嵐の件は災難だったね」
そう言って微笑んだ男に、レオルは深々と一礼をする。
「はい。しかし、クルシア殿のお陰で私は助かりました。感謝しています」
「みたいだね。まぁ、次は貴公があいつのことを助けてやってくれ」
そう言って挨拶を交わすと、レオルはミレイの方を見た。
「ミレイ、こちらの方はクルシア殿の兄君、エリック殿下だ」
そう説明を受けて、メイド姿のミレイは隣国の王子に向かって丁寧なカーテシーをする。
「へえ、随分と可愛らしいお嬢さんだね。どこぞのお姫様と言われても信じてしまいそうだ。いや失礼、話の続きだけど、実は僕も人魚は実在すると思っていてね」
「……え?」
ミレイは驚いた表情で長身の男を見た。
「海神ポセイドンは神話の中の話だけど、人魚はそうじゃない。世界各地に目撃情報のある人類の共通認識さ。さらに、その血肉は万能の薬になるとも不老不死を与えるとも言われている」
そう説明するエリックの言葉には、人魚の存在に確信を持っているかのような自信が窺える。
「流石にそれは迷信では……?」
戸惑うレオルが疑問を口にするが。
「迷信かどうかをはっきりさせる為にも、まずは捕まえたいのだけどね。仮に人魚の効能が事実だとしたら、奴らは恐ろしいほどの金脈だ」
淡々と話すエリックを前に、ミレイの顔が青ざめる。
「しかし、そんな事が世に知れれば、人魚は人の手によって乱獲されてしまうのでは……?」
「それは遅かれ早かれだろ? どうせ誰かが手にするのなら、この手で捕まえたいじゃないか。そういう訳で、もしも人魚を見つけた時は協力してもらえるかな? レオル殿」
幻想に手を伸ばすような話に、困った顔をするレオルだが、エリックの目は本気だった。
「もちろん生死は問わないよ」
その言葉と不敵な笑みがミレイをゾッとさせた。
(くっ、なんでこの人にそんな事をする権利があるの……?)
心の中に沸々と怒りが込み上げる。そんな彼女にエリックが視線を落とした。
「君は人魚を見たことがあるのかい?」
ぶるぶると首を横に振るミレイ。
「そう……。じゃあ僕はこれで失礼するよ。皆さんごゆっくり」
そう言うと、エリックは片手を挙げて去ってゆく。
レオルは一度天井を見上げたあと、ミレイに話し掛ける。
「それで何の話だっけ?」
「あの、もういいです……」
レオルに向かって言いかけていた言葉。
自分こそが王子を助けた人魚だという真相は、人の世界へバラ撒くには危うすぎた。それはもはや開けることの許されないパンドラの箱であり、彼女が正体を打ち明けることは、一族を危険に晒すことでしかなかった。
ミレイは立ち去るエリックの背中を睨みつける。
私が人魚だったことは、絶対に言えなくなった……。
あの人、危険すぎるんだけど──!
その後、レオルはルリカの王子としてラルシカ国王と挨拶を交わし、ミレイは使用人として宿泊部屋に荷物を運んだりしていた。
各自がそれぞれの役割をこなすうちに、時間は刻々と過ぎていき、窓の外はすっかり暗くなった。
そしてクルシアとの夕食の席。テーブルには王女とその侍女、加えてレオルたち四人が席に着き、食事を摂っていた。
ラルシカの料理の特色や風土、王室の近況についてなど、クルシアが笑いを交えながら教えてくれて、和やかなムードが漂った。
そのうちに、向かい合うクルシアに対して、レオルが話題を変える。
「そう言えば先程エリック殿下に会ったのですが、兄君は人魚の存在を信じているようですね?」
「えっと、人魚……ですか?」
なんの事? という顔で首を傾げるクルシア。
「あれ、聞いてませんか? 殿下は……」
レオルはエリック王子との会話を、簡単に説明した。
「そうですか、兄がそのようなことを……。私の兄は掴みどころが無いというか、秘密主義な性格でして……、私にもよく分からないのです。しかもここ数年、兄は海外へ学びに出ていたので、話をする機会も少なかったですから」
国政の考え方も、彼女とエリックとでは食い違うことが多く、長兄の帰国が内政の不安材料になっているのでは、という者もいるほどだった。
しかしレオルとて、幾つか年上のエリックと知らない仲ではない。
「伝承なら私の国にもありますし、人魚がいたとしても不思議ではないのですが、なんというか目が本気だったので……」
「あの、気になさらないでくださいね……! 兄のことですから、人魚探しを船旅の余興にでもしていたのでしょう」
レオルを困惑させていることに、申し訳なく思うクルシアだが、その横で淡々と食事をしていたミレイの手が止まった。
余興……? 心の内でそう呟いた彼女が、静かに口を開く。
「エリック殿下は『人魚の生死を問わない』って……。余興なんかじゃないです。偉ければ何をしても良いんですか……? 海は誰のものでもないのに……」
大人しかったミレイがたまに口を開いたかと思えば、王族に対しての重ためな意見……。
静まり返った席で全員の視線がミレイ集まると、ハッと我に返った彼女は、心の内でやってしまった……と呟く。
「何を言ってるんだ? ミレイ……」
自分の発した言葉に、さっきもこんな会話しなかったか……? とデジャヴ感に包まれるレオルを余所に、その場の空気がミレイの言葉の続きを待つ。
「つ、つまり……上に立つ人がしっかりしてくれないと、成す術のない人も多いかも……なんて……」
言いながらエリックの不敵な笑みが脳裏を過ぎって、ミレイの顔が曇る。
「ノブレス・オブリージュの考え方かしら?」
そう言ったのはクルシアだった。
ノブレス……? と小さく言って、ミレイは説明を求める眼差しをクルシアに向けた。
「位高ければ徳高きを要す。つまり地位の高い者ほど私欲にとらわれない品性を必要とするの。社会の模範となるようにね。あなたの言いたいことは、間違っていないと思うわ」
そう言って王女は優しい目をミレイに向けた。
「兄には私から言っておきます。母なる海に罰当たりなことはしないようにと」
人魚が実在することを言えず、ほとんど言葉を濁したミレイに対して、それでも彼女の伝えたいことを酌み取って、微笑んでくれるクルシア。
どうして彼女が人気なのか、ミレイは分かった気がした。
「クルシア様……」




