王都の景観
日が沈み、暗がりの水平線にほんのりと紅が残るころ、一行はラルシカに到着した。
帆を畳んだ軍艦は船着場に停まると、鉄製の碇を海へ降ろしていく。
船着場へ掛け渡したスロープの上を歩いて下船すると、港には外交官であるエレンの姿があった。
「長旅、お疲れ様です。宿を手配してありますので、下船される方は馬車に乗ってください。道がすいている夜のうちに、王都まで移動します」
ひと足先に到着していたエレンの指示に従い、数台の馬車へ荷物を詰め込んで乗車すると、一行は王都ブラウニーナへ向かった。
ミレイは体調を崩しているミザイルに付き添いながら、レオルと同じ馬車に乗っている。
「調子はどうだ? ミザイル」
車内でぐったりしている執事に向かって、王子は尋ねた。
「……最悪です。ですが、これでもだいぶマシにはなりました。ミレイ君のおかげだ。礼を言う」
そう言って、ミザイルは隣に座るミレイを見た。
「いえいえ、私は大したことは何も」
「なにを言うかね。あの時、君が船で歌っているのを聴いて、私は気分が楽になったのだ。なんとも不思議だがな」
ミザイルはゆっくりそう言うと、その時の光景を思い出す。
船いっぱいに広がった帆は、風に当たりながら横になる彼に、ちょうどいい日陰となっていた。
そんな彼の側で長椅子に座ったミレイは、飽きもせずに海を眺めていた。
船は出港してから、まだ半分も進んでいない。
ミザイルが悪化していく船酔いに絶望していると、鳥のさえずりのように綺麗な歌声が聞こえてきた。
「ほう? どんな歌なんだ? ミレイ」
「幼いころによく聴いた、ただの民謡です。暇だったので口ずさんでいたんです」
向かいに座るレオルが興味深そうに聞いてきて、彼女はそう答えた。
「そうか。こんどオレにも聴かせてもらいたいな」
「い、嫌ですよ! 恥ずかしいです……!」
「ハハ。それじゃあ、なにかの罰ゲームのときだな」
「レオル様ったら、いじわるです……!」
街灯に照らされた道をしばらく走ると、馬車は三階建ての建物の前で止まった。
馬車から降りた一同は入り口の堅牢な扉を開けると、宿の中へと入っていく。
「予約しているエレン=フライトです。部屋の鍵を頂けますか。案内は要りませんので」
エレンはフロントで鍵を受け取ると、各自にそれを渡していった。
建物の中は小綺麗で、彫刻による装飾が施されたりと風格のあるものだったが、ラザナールの館と比べれば明確に見劣りする。
セキュリティの面で不安になりそうなものだが、王子を含めた誰しもが平然としているのを見て、ミレイはこれが普通なんだろうなと思った。
彼らにしてみれば、先進的で穏やかなラルシカはまだ良いほうで、行くだけで大変な思いをする国なら他にいくらでもあった。
「女性はミレイさんだけなので、このカギの部屋を一人で使ってくださいね。危ないので、外には出ないように」
彼らの中で一人だけ修道服姿のエレンは、にこやかな顔でそう言うと、ミレイに鍵を手渡した。
ミレイは三階の部屋に入ると、真っ白なシーツの敷かれたベッドに倒れ込んだ。
「はあー、ベッドが幸せすぎるよ……」
ゆらゆらと光の揺れるランタンを眺めながら、少しずつ気持ちをリラックスさせる。
「レオル様と旅するのは嬉しいんだけど、やっぱ緊張してるのかなぁ。なんか仕事よりも疲れる……」
もう少し積極的に王子と会話すべきだと思いつつ、体力的にも精神的にも、そこまでの余裕がミレイにはない。
しかし、頑張るにしてもまだ早い。なにせ、旅はまだ始まったばかりなのだ。
「いよいよ明日は王女様かー」
ミレイは体を起こすと、テーブルの上のお菓子を手に取った。小さなバスケットの中には、美味しそうなクッキーが並んでいる。
しかし、クッキーには手をつけず、バスケットに括り付けてあるリボンを解くと、彼女は鏡の前に移動した。
長い髪を後頭部で束ねてリボンで結ぶと、いつもの彼女とは雰囲気が変わった。
(変装にもならないけど、何もしないよりかはね)
クルシア王女に自分の顔を覚えられていないか。それだけが、唯一の気がかりだった。
とはいえ、クルシアと会ったのは嵐の夜のことで、ミレイの顔がはっきりとクルシアの目に映ったとも思えない。
ミレイは再びテーブルに着くと、小さなお菓子を口に運んだ。
「これ、美味しい」
翌朝、宿で朝食をとった一行は、再び馬車に乗り、王城を目指して出発した。
ラルシカに到着した時は、すでに暗くて街の様子がはっきりしなかったが、朝陽を浴びた街並みには異国の特色が見て取れた。
ルルリカの街並みは蜂蜜色の石灰岩を多用したもので、対して王都ブラウニーナのそれは赤レンガで統一されている。
どちらも石造りなのは同じだが、住宅の造形もこの王都には統一感があり、迫力があった。
そんな街道を通り抜けて表通りに出た馬車は、人混みをかき分けるようにして進んで行く。
「人出が多くて、なかなか進みませんな。流石はラルシカの王都。人口密度が違いすぎる」
窓から外を覗くミザイルは、街の光景に驚いている。
「本当にすごい数の人ですね。まだ朝なのに」
同じように外を眺めたミレイも、人々の活気に圧倒されていた。
「ここは工業化が進むにつれて、農村から人が集まって来ているんだ。工業都市でもある王都は、わずか三十年で人口がおよそ四倍になったと聞く」
レオルの説明になるほど、と頷くミザイル。
ミレイはチラッと王子の方を見ながら、分かったような分からないような表情を浮かべたあと、再び外を眺めた。
「い、いろんなお店がありますね……!」
通りには飲食店や食材店、家具屋や洋装店など、開店前のものも含めて多くの店が建ち並んでおり、街に彩りを与えている。
「ただ、あまり衛生的とは言えない環境ですな……」
建物の隙間や路地裏にはゴミが散乱していて、その周りをネズミが彷徨いているように見える。路上を見渡せば、いたる所に馬の糞が落ちている有様だった。
「どうやら人の増加に対して、街の機能が追いついていないように見えるな。街が発展するのは良いことだが、急ぎすぎると歪みも大きいはずだ」
そう語ったレオルの目には、工業地帯から上がる無数の黒煙が映っていた。
馬車は混み合った通りを抜け、清閑な住宅街を通り過ぎると、間もなく王城に到着した。
「ルリカ第一王子の訪問馬車です。クルシア王女殿下に通して頂けますか」
「遠方よりよくぞお越し下さいました。どうぞお通りください」
エレンの手渡した証明書を確認すると、衛兵はそう言って城門を開けた。




