いざ、ラルシカへ
ラルシカへ出発する日の朝、ラザナールの館に迎えの馬車が停まった。
集合場所は港になっていて、館から出発するのはミレイだけだった。
メイド姿の彼女は、荷物のチェックを済ませると、マリアとルナに見送られながら馬車に乗り込んだ。
「それじゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「気をつけてな」
御者が馬車を動かすと、ミレイは二人に手を振った。
馬車は教会を通り過ぎると、海沿いの坂道を下っていく。
王室が管理する四輪の箱馬車は、座席が革素材になっていて、外見だけでなく車内にも高級感があった。
窓の向こうを眺めると、ルルリカの街並みが広がっていて、石造りの住宅街や煙突から上がる煙り、道を行き交う人々の姿が見渡せた。
小さな窓から見える街並みが、海の中とは別世界にいることを再び実感させて、ミレイの心はすでに踊っている。
港町まで入ると、周辺の建物や人の数が一気に増えて、人々は高級な馬車をもの珍しそうに見てきた。そして、しばらく大通りを走ると、馬車は集合場所である港に到着した。
ミレイは馬車を降りると、御者のおじさんが指差した方を見る。そこには、ルリカ王国の国旗を掲げた立派な船が碇泊していた。
全長四十メートルほどあるその船は、船体に三本の帆柱を備える帆船軍艦だった。
ミレイは小さな階段を降りると、優しい日射しと久しぶりの潮風を浴びながら、波止場へ向かって歩いていく。
周辺には、王子か軍艦が目当ての人集りができていて、静けさの中にも賑わいがあった。
「ミレイ様でよろしかったですか?」
係つけの人に尋ねられて、ミレイは頷いた。
「殿下が到着しましたら、後に続いて乗船して下さい」
「でんか……?」
「王子のことです」
そんな会話をしていると、後ろの方から歓声が上がった。
どうやら、王室からの馬車が到着したらしい。
馬車から降りた王子は、金色の装飾がついた軍服姿で、護衛に囲まれながら歩き出した。その後ろに、ミザイルやその他の関係者が同行している。
船の方へ歩いてきたレオルは、乗り場で待機しているミレイに気づくと、彼女に向かって挨拶の手を上げた。
ミレイはそれに、マリアから教わったカーテシーで応えて見せた。
それを見たレオルは、少し驚いた様子のあと
「また、あとで」
と微笑んで、船に乗り込んでいった。
ルルリカからラルシカ王都の最寄り港までは、南西におよそ百六十キロで、朝に出港しても日没までに着くかどうかは風向き次第だった。
この日、白い帆に追い風を受けた船は、順調に航行していた。
船の甲板に立ったミレイは、特にすることも無い様子で、輝く海を眺めている。
久しぶりに持て余した時間は、自然と王子のことについて思いを巡らす時間となった。
(はぁ、結婚か。私からは言えなかったな……)
水平線を見つめるミレイは、王子から褒美について尋ねられたときのことを思い出していた。結婚したいとは言えず、観光したいと答えてしまって今の状況に至った訳だが、時が過ぎるほどに告白しづらくなることは、目に見えていた。
(そもそも私って、王子のこと本当に好きなのかな……)
ここ最近のミレイは、自分の気持ちにも自信が持てなくなっている。というのも、人魚から人間の姿になった後は、王子のことを考える時間が、明らかに少なくなっていたからだ。
(地上に来るまでは、あんなに王子のことで頭がいっぱいだったのに、どうして変わったんだろう……)
王子とはすでに何度か会話をしたミレイだが、会うたびに胸の高鳴りが小さくなっているように思えてならない。
それが慣れから来るものなのか、もしくは恋が冷めてきたということのか、ミレイには判断しかねるのだが……。
「やば。命まで懸けておいて、このままじゃ若気の至りもいいとこだよ……」
「若気の至り?」
海に向かって独り言を呟くミレイに反応したのは、船内から甲板に上がってきた王子だった。彼はミレイの横に並ぶと、船の手摺越しに海を眺めた。
「レオル様……」
「どうだい? 船に乗ってみた感じは」
「風が気持ちいいです。こんなに大きな乗り物、初めてなので、動き出すときはドキドキでした」
「ドキドキか。それは乗ってもらった甲斐があったかな。ラルシカに着くのは、日が落ちてからになる。それまで、ゆっくりしていてくれ」
そう言ったレオルは、思わず見惚れてしまうくらい綺麗な横顔をしている。
ミレイは、王子に対するドキドキこそ減ってしまったものの、彼に対する安心感は、会うたびに増していると感じていた。それは、レオルが彼女に向ける視線が、常に優しいものだったからだ。
「あのレオル様、ラルシカ王国ってどんな国なんですか?」
ミレイは、レオルを留めるように質問を振った。
せっかく時間があるのだから、もう少しかまって欲しいという思いがあった。
「ラルシカか。そうだな。ルリカが観光国だとすれば、ラルシカは工業国だな。石炭によるエネルギー改革を起こした国々と同様に、ラルシカもまた急速に産業が発展した国の一つなんだ。要は物を大量に生産、販売できる、機械化の進んだ国ってところだね」
「へぇー」
としか言えないミレイ。目が点になっている彼女に王子は言う。
「ハハ。まぁ、行ってみれば分かるさ。ルリカの街並みと違うのは一目瞭然だからね」
ミレイの反応が面白かったのか、レオルはどこか楽しそうだ。
「ところで、メイドの仕事は順調?」
レオルにそう聞かれて、ミレイの顔は少し曇った。
「正直、早く覚えないといけないことばかりで、あんまり余裕ないかもです……」
「そうだろうね……。慣れるまでは大変だと思うな」
「でも、マリアさんとルナには、とても良くしてもらってるんです。だからこそ、早く成長したくて……」
レオルはミレイの頭に手を置くと
「君は、いい子だね」
と言って笑った。
少し子供扱いされた感じもしたが、ミレイの内心は満更でもない様子だった。
そんなふうに二人で談笑しているところへ、執事長のミザイルが船内からやって来た。
「ちょっと失礼」
彼はそう言うと、手摺に両手を突き、なにやら苦しそうにしている。
「どうした? ミザイル」
心配した王子が声を掛ける。
「恥ずかしながら、私、船に乗るのが苦手でして……」
「酔ったのか?」
ミザイルはそれに頷くと、低い声で
「くそ、いつかマリア君達にも……この苦痛を……味あわせてやろろろろろろろ」
と怖いことを言いながら、海へ向かってキラキラした物を吐き出した。もちろん、ミザイルと付き合いの長いマリアは、彼の考えそうなことなど見透かしてしまうだろうが。
「ミレイ。すまないが、船酔いしてる人たちを看て周ってもらえるかな? 水を用意して、背中をさすってあげてくれ」
「はい! 任せてください」
レオルから指示を受けたミレイは、嬉々として水を取りに行った。王子に頼ってもらえたことが、メイドとして嬉しい彼女だった。




