マリアのマナー教室
王子を見送ったマリアは、館の広間に来ると、さっそくミレイの指導に当たった。
「ミレイちゃん。あなたには、この一週間で最低限の礼儀作法を覚えて貰うわ」
「うっ、はい……」
マリアは仕事そっちのけで、そんな事を言い始めた。
形だけとはいえ、ミレイをメイドとして国際舞台へ送り出す以上、彼女の振る舞いは、上役であるマリアの責任にもなり得るからだ。
「外交というのは国の代表者達が行くものでしょ? その人達の振る舞い一つが、国の名誉に関わることもあるの。今回のラルシカ行きだって、もとはと言えば外交に来ていた王女が、レオル王子を助けた事がきっかけでしょ?」
マリアは立ったまま、ミレイを諭すように話を続けた。
「嵐の中、危険を顧みずに救出に向かった王女は、称賛に値する。けれどもし、船があるのに救出に向かっていなかったら?」
「批判されていた……?」
難しい話をされて困惑するミレイだが、自分が当事者でもあるため、なんとか話に着いていく。
「そう。だからミレイちゃんには、この国のメイド代表として、相応しい振る舞いをして来て欲しいの」
「えっと……。ハードル上がってませんか? 形だけでいいって王子が……」
「ダメよ? 代表なんだから」
「……」
笑顔のまま厳しいことを言うマリア。
少し離れた所から、ルナが気の毒そうな顔でミレイを見ていた。
一仕事を終えたルナが、再び広間へ戻って来ると……。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
にぱーっと全力笑顔のミレイが、そんな事を言わされていた。
「良いわね、やれば出来るじゃない!」
マリアは満足そうにミレイに言った。
「メイドにとって一番大切なのは笑顔なの。暗い顔で接待していたら、相手の心まで曇ってしまうでしょ?」
いつもニコニコしているマリアが言うと、説得力があった。
「ミレイちゃんは『カーテシー』って知ってる?」
首を横に振るミレイに、マリアは説明を続ける。
「相手に感謝や敬意を表すときの女性の挨拶なのだけど、口で説明しても分からないと思うから、やって見せるわね?」
そう言うと、マリアはミレイに向けてカーテシーをして見せた。
「お帰りなさいませ」
片足を後ろへ引き、軸足の膝は少し曲げて、背筋を伸ばす。
ロングスカートが床に着きそうになるのを、両手でフワッと持ち上げる。
顔と視線は正面を向いたまま、表情は柔らかい。
(これが本物のお嬢さま挨拶……!)
マリアの気品溢れる姿に、ミレイは見惚れていた。
「マリアさん、私もそれ出来るようになりたいです!」
「ふふ、たくさん練習して頂戴」
先生と教え子のような対話をする二人。
少し離れた所から、ルナが子供を見守る母親のような目で眺めていた。
再び仕事を終えたルナが、一階の広間へと続く階段を降りていると……。
「お飲み物をお持ちしました、ご主人様!」
天使のような笑顔のミレイが、お茶を運ぶ練習をしていた。
「笑顔は良いけれど、お盆の持ち方がダメね」
マリアは笑顔のまま、ダメ出しをしている。
「それは両手で持つんじゃなくて、左手の手のひらに置くようにして頂戴。片手が空いたほうが、効率がいいでしょ?」
「こうですか? おっと、おっと」
中々バランスが定まらずに苦戦するミレイ。
お盆の上に置かれたティーカップが、カタカタと音を鳴らす。
「指先に力を入れて、お盆だけは常に水平を保つイメージでね。最初は難しいけど、やらなきゃ出来るようにならないわよ?」
「これで歩くんですよね……」
難しそうな顔をするミレイが、手にしたお盆を見つめている。
「そのまま向こうの壁まで行って、戻って来てみなさい?」
そう言われて、恐る恐る歩き出したミレイ。
お盆から目を離さずに、そっと歩きながらなんとか壁際まで辿り着いた。
「今度は歩き方がぎこちないわね……。前を見ないと誰かとぶつかるわよ?」
壁際でひと息ついたミレイが、今度はマリアの言うように、前を見てしっかり歩くことを意識して踏み出した。
「そうそう。その調子よ」
「うわっ!」
途中まで調子の良かったミレイが、バランスを崩して持っていた全てを放りだす。
お盆と空のポッド、小皿、ティーカップが綺麗に宙を舞った。
しまった……! と思いながらも、ミレイはそれらが床に落ちる前に、難無くキャッチしてみせた。
「よっ! よっ! よっ! はー、危なかった……」
「え、何その動き……」
やや人間離れした瞬発力のミレイに、目を丸くするマリア。
そこへ階段を降りてきたルナが言った。
「お皿が割れる心配は、しなくてよさそうだな……」
夕食。マリアの提案で一緒に食べることになったミレイが、長テーブルの席についた。
「ミレイちゃん、今日は色々と練習ご苦労さま。今晩は特別にコース料理をお願いしたから、楽しみにしててね」
コース料理? と思いながらも、なんとなくワクワクしながら料理を待つミレイ。
そこへ給仕のルナが、料理を運んできた。
「まずはオードブル、前菜からね」
マリアがそう言うと、ミレイは目の前の美味しそうな料理に目を輝かせた。
さっそく料理に手を伸ばすミレイに、ルナが言った。
「おい、手で食べようとすんな……。サラダだぞ?」
苦笑いするミレイが、テーブルの上に置かれたナイフとホーク、スプーンを見つめる。
(このどれかが正解ってことだよね? いったいどれを使えば……)
やっぱりか、と呆れ顔のマリアが助け舟をだす。
「ミレイちゃん、それは外側から順番に使えばいいのよ? 左側に並んでるホークは左手に、右側に並んでるナイフ、スプーンは右手にね」
不慣れな様子でナイフとホークを握るミレイ。
(た、食べづらい……)
ようやく前菜を食べ終えたミレイに、次の料理が運ばれてきた。
「次はスープ。これはスプーンだけ使ってね」
スプーンを右手に、温かそうなスープをすくい上げるミレイ。
「ズズズズ、熱いっ!」
「音を立てて飲むなっ! 少し冷ましてから口にいれろっ!」
ルナのツッコミに、舌を出して涙目のミレイ。
その後も波乱のコース料理は続き……。
「次! 魚介料理!」
「あっ、エビの頭は残していいのに……!」
「はい次! メインディッシュの肉料理!」
「ちょちょ待って? ナイフそんなに振りかざさなくても良いよな!? 何かを仕留めようとしてんの!?」
そして、ミレイがお肉を食べ終えると、ルナは呟くように言った。
「頼むから普通に食べてくれよ……」
最後、デザートを美味しそうに頬張るミレイを前に、マリアとルナは疲れきった顔をしていた。
「フレンカさんに頼んで、一週間はコース料理にしてもらった方が良さそうね……」
「まったく、金のかかる使用人だな……」




