命の恩人
翌朝、ミレイは朝食の支度のためにメイド服に着替えた。
一階の食堂に入ると、指示された通りに食器や飲み物を運んでいく。
朝食は、使用人の皆と食堂で共にすることになった。
マリア達が席に着くと、食べる前に感謝の祈りを捧げた。ミレイもよく分からないまま、お祈りの真似をする。
パンと目玉焼き、スープくらいのシンプルな食事の後、食器を台所へ下げる。
その朝の食器洗いを、ミレイが担当することになっている。
「手押しポンプを使って、樽に水を貯めたら、石鹸を使いながら食器を洗ってね」
そう説明するのは、館の料理長を務めるフレンカだ。
彼女はぽっちゃり体型の中年女性で、クルクルの髪質が特徴的だ。
「油が付いてる食器は、ぬるま湯に浸してから洗うといいわ。洗った食器は順番にタオルで拭いて、乾いたら食器棚に戻してね」
フレンカは明るい口調でそう説明すると、ミレイの肩を叩いた。
「簡単でしょ?」
「あの……ぬるま湯っていうのは……?」
ミレイはフレンカの顔を見上げながら質問した。
「あら、ごめんなさい。忘れてたわ」
フレンカは台所の奥にある、箱型の設備に近づいた。
「ここにある石炭レンジの上に水を入れた鍋を置くの。下には石炭が入ってるから、マッチを使って火をつける」
ミレイの不安そうな顔を見たフレンカは、実践して見せてくれた。
石炭は少しずつ火を大きくしていく。石が燃えるのを、ミレイは不思議そうに眺めた。
「火力の調整には、こっちの無煙炭を使うわ。これを混ぜると火力や煙が抑えられるの」
最後に水をかけると、炎は消えて失くなった。
フレンカにお礼を言うと、ミレイはさっそく食器を洗い始めた。
泡が立つのが面白くて、洗うのに夢中になっていると、誰かに声を掛けられた。
「楽しそうだな」
そう話し掛けたのは、王城へ帰った筈のレオルだった。
ミレイは、何の前触れもなく現れた王子の姿に驚いた。
「レオル様、どうして此処に……?」
「君に話があるんだ。ところで、どうしたの? その格好」
レオルはミレイのメイド姿を見て言った。
「此処で働かせて貰うことになったんです。どうぞよろしくお願いします」
そう言いながら、ミレイはペコリと頭を下げた。
「そういうことか」
レオルは、彼女が夕食を運んできた日のことを思い出した。
教会から連れ帰っただけの少女が、あの時、どうして自分の部屋に入ってきたのか。
彼女はおそらく、館に来たその日のうちに使用人として雇われた……。
その事に思い至ると、レオルはマリアの迷走ぶりが目に浮かぶようだった。
「王子、お待たせしました」
そこに用事を済ませたマリアがやって来て、レオルはクスクスと笑いだした。
「何か??」
「いや、マリアにも迷惑をかけたと思ってね」
「……?」
レオルは笑いを堪えると、ミレイに向かって言った。
「ミレイ、その仕事が終わったら、君も来てくれ」
ミレイは食器を洗い終えると、一階の客間に入った。
蝋燭の灯ったシャンデリアの下に、上品なソファが二つ、小さなテーブルを挟んで置かれている。
ミレイとマリアが王子と対面のソファに座ると、ルナがメイドらしく三人分の飲み物を差し出していく。
レオルは手にしていた本を置くと、ゆったりと話し始めた。
「命の恩人に、まだ直接お礼を言ってないんだ」
病に伏せっていたレオルには、やるべき事が残っていた。
「嵐の夜に助けて貰ってから、すでに一月以上が過ぎてしまったけど、ちゃんとお礼を言いたいと思ってね」
レオルの言葉と視線に、ミレイはドキッとした。
まさか王子は、自分の正体に気づいたのだろうか。
ミレイが溺れた彼を助けた恩人であり、彼女が人魚の姿であったことに……。
そんな期待と不安が、彼女の脳裏を過ぎった。
「あの、恩人と言うのは……?」
マリアが王子に問う。
ミレイは真っすぐにレオルの方を見た。
「隣国ラルシカの王女、クルシア殿だ」
「「うおお!」」
マリアとルナは、隣国でカリスマ的な人気を誇る王女の名前に驚いた。
ラルシカの船が王子を救出したという噂は聞いていたが、クルシアの名前も出てこなければ、公式の発表も無かったからだ。
その一方、ミレイの頭の中は疑問符で埋まっていた。
(あれ、王子を助けたのは私なんですけど……?)
ミレイはレオルを助けた時のことを思い出す。
荒れた海の中を、王子を抱えながら港を目指して泳いでいた。
その途中、灯りが見えたので近づいてみると、それは救助の船らしかった。
投げ渡されたロープでレオルを括りつけると、引き上げられた彼は、船の上の女性に介抱された。女性に……。
「あっ……」
「なんだ、彼女のことを知ってるのか?」
「いえっ、まったく……!」
レオルの質問に、ミレイは反射的に首を振った。
しかし、思った。
(あの時の女の人が、王子を助けたことになってるんだ……)
ミレイが一人納得していると、レオルは話を進めた。
「まぁそんな訳で、クルシア王女に会いに行く事が決まった」
「それはなによりです。しかし、それを言いにわざわざ此方へ?」
マリアが疑問を口にすると、王子は首を横に振った。
「本題はここからさ。ラルシカ王国への訪問に、ミレイも一緒にどうかと思ってね。このあいだ、観光がしたいって言ってただろ?」
王子がそう提案すると、皆の視線がミレイに集まった。
「ミレイちゃん、せっかくなんだし行ってきたら? 仕事なら休めばいいから」
「それなんだけど、ミレイにはメイドとして来てくれた方が、オレも周囲に説明しやすいんだが……」
レオルは苦笑いを浮かべながら、そんな事を言った。
実際、ミレイのことを何と説明すればいいのか。
レオルにとっては彼女もまた、命の恩人に違いない。
思いつめる彼を救ったのは、ミレイの言葉だった。
しかしそれは、クルシアの時のように分かりやすいものではない。
王子であり信徒である自分が、死ぬつもりだったなどと公に言える訳もなく、その結果、ミレイを命の恩人として周囲に上手く説明できない。
「えっと……」
マリアとレオルが提案する一方で、ミレイは返答に詰まっていた。
(王女様か。会いたくないな……。顔見られてるかもしれないし)
ミレイは、クルシアの顔を覚えていた。
それは逆に、相手も自分の顔を覚えているかもしれないということだ。
ミレイの不安そうな顔を見たマリアが、彼女なりのフォローを入れた。
「王子、この子はまだ何も覚えてないんですが……」
マリアは、ミレイが仕事のことを心配していると思ったらしい。
それに対して、レオルは優しく答えた。
「もちろん、形だけで構わないよ」
話を終えたレオルが館を出ると、マリア達も一緒に外へ出た。
表には二頭立ての馬車が待機していて、マリア達はそれに乗り込む王子を見送った。
やがて帰城する姿が小さくなると、ルナがミレイの方を見て言った。
「良かったじゃんか、いい仕事ができて」
楽しそうに言う彼女に対して、ミレイは困惑を隠しきれない。
「あの……私、観光に行きたいって言ったんですけど」
ミレイの言葉にマリアとルナは顔を見合わせた。
「観光から外交になっちゃったな!」
「ミレイちゃん、外交デビューおめでとう!」
相変わらず面白そうに言う二人に、ミレイは苦笑いするしかない。
「あの、これって外交なんですか?」
「そうよ? 相手国と交渉するだけが外交ではないの。親善を深めるのも、立派な王室外交よ?」
しかし、マリアの説明を聞いても、ミレイにはイメージが沸かなかった。
「うーん。私、向こうに着いたら、何をすればいいんですかね……?」
「私も詳しくは知らないけど、使用人も外賓扱いになるかもしれないわね。だからミレイちゃんは、パーティーに招かれる側かも」
「良かったな、美味しい料理が食べれて。というかクルシア様と食事ができるなんて羨ましいぞ」
三人でそんな会話をする中、マリアが何故か、おどおどしだした。
「あれ、あれ? 王子ってミレイちゃんの行儀作法が怪しいこと知ってる?」
「知らないんじゃね……?」
マリアとルナは、肝心なことに思い至った。
ラルシカ王国の王城へ赴くということは、会話から食事、挨拶に至るまで、それ相応のマナーが必要ということだ。
「嘘でしょ……」
「一週間後に出立するって言ってたよな……?」
ミレイは二人の視線に、どうかしました? という表情で首を傾げている。
「「まずいな……」」




