夕食の味
ミレイは王子の部屋を離れると、自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。
窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
「遅くなってごめんなさい。晩ごはん持ってきたから食べてね」
しばらくして、マリアが部屋に入ってきた。配膳用の台車に、豪華な夕食を乗せている。
「すみません、ありがとうございます」
ベッドに座り直したミレイは、マリアにお礼を言った。
作りたてだろう料理は、ミレイの嗅いだことのないような良い匂いを漂わせている。
「ミレイちゃん。さっきは王子のこと、ありがとうね」
彼女はテーブルの上に手際よく料理を並べていく。
肉や魚、サラダやフルーツが色とりどりに盛り付けられていて、見た目にも美味しそうだった。
「いえ、私は別に……」
王子のことを思い出すと、今でも胸が苦しかった。
「ずっと、一人で抱え込んでたと思うから……。ミレイちゃんに諭されて、気持ちはだいぶ楽になったと思うの」
彼女は配膳を済ますと、ベッドに腰掛けて、ミレイと隣り合った。
「聞こえてたんですか?」
マリアはそれに頷いた。
「ミレイちゃんのことね、王子が変わる切っ掛けになれば良いな、くらいに思っていたんだけど。まさかの展開で驚いちゃった……」
マリアの予想は良い意味で、裏切られたと言える。
「すみません。私、つい感情的になってしまって……」
ミレイが気を落としながらそう言うと、マリアは首を振った。
「あれしかなかったと思う。気持ちと気持ちがぶつかるくらいじゃないと、きっと王子の目は覚めなかった。そんな気がするの」
そう言うマリアも、王子の静養には全力を注いできた。
発熱と嘔吐を繰り返す王子に対して、夜通し看病する事もあれば、心の病であることを推察し、専門家にも相談した。
しかし、使用人である彼女に、王子とぶつかり合う選択肢は無かった。
「私ね、自分が二十歳になるまでの五年くらい、王子に勉強を教えてたの。それもあって、メイドの中では誰より王子の事を知っていたし、親しかった。だから、彼には今でも助言できる気でいたのかも」
マリアは昔を懐かしむように、天井を見ながら語っている。
「でもダメだった」
ミレイは彼女の悲しそうな横顔を見つめた。
「私の励ましは、なに一つ届いていなかった」
彼女が日々、目の当たりにしていた王子は、嵐の夜に心を残したまま、帰ってこないように見えた。
「何が言いたいかというとね……」
マリアは横に座るミレイの手に、自分の手を重ねた。
「貴方は本当に、凄い事をしたと思うわ」
マリアはそう言って、ミレイに微笑んだ。
マリアが部屋を出ていった後も、テーブルの上には豪華な料理が並んでいた。
手つかずのまま冷めてしまった料理の側を、何かが動いていた。
「あっ……ハミット!」
「やあ」
夜の教会で眠りについた後、はぐれたままだったヤドカリが、テーブルの上に立っていた。
「良かった無事で……。よく此処が分かったね?」
ミレイはテーブルの方に移動すると、人差し指で彼のハサミにハイタッチした。
「探すの大変だったけどな! 男が姫様を抱えて、館に向かったのは見えたんだけど。この館、部屋が多すぎてな……」
ハミットは汗を拭くようなポーズでそう言った。
汗をかくのかどうかは知らない。
「オイラ心配してたんだが、ちゃんと食事も支給されてるようだな。この煮魚、貰ってもいいか?」
ミレイはどうぞ、という仕草で答えた。
「で、何なんだ? この大きな館は!」
「えっと……王家の館みたい」
「……」
「でね、私を此処に運んでくれた人が、王子様だったの」
「……」
「聞いてる?」
ハミットは腕を組みつつ、なにやら難しい顔をしている。
「なるほど……まぁ、ありがちな話なのか……? で、姫様はその恵まれた状況で、どうして元気がないんだ?」
ハミットは心配そうにミレイの顔を見た。
「え……?」
ミレイにはハミットの言っていることが分からなかった。
「気づいてないのか? さっきから声が小さいし、せっかくのご馳走も手付かずだよな?」
確かにそうだった。
いつもならもっと声が出てるし、夕食はとっくに食べ終えている。
ミレイは自分が落ち込んでいることに、初めて気づいた。
「何があったんだ?」
ヤドカリは少女に優しく問い掛けた。
「さっきね、王子様に会ったの」
少女は自分の気持ちを確かめるように、夕刻の出来事を反芻する。
「でもね、凄く切なかった」
王子の痩せ細った姿が、目蓋に焼き付いて離れない。
「嵐の夜に、私は王子様を助けたけれど、あの人は自分だけ生き残った事に、ずっと苦しんでいたの」
できる事なら、あんな王子を見たくはなかった。
憧れは、憧れのままであって欲しかった。
「何が正解だったのかなって……」
王子を助けたことが、間違いだとは思わない。
しかし、助けることが正しいと思っていた信念は、間違いではなかったのか。
「私ね、感謝されたかったのかもしれない。王子に『助けてくれて、ありがとう』って、言われたかったのかもしれない……」
自分は一体、何を期待していたのだろう。
悔しいのか、悲しいのか、涙が溢れて止まない。
「バカだよね、私……」
少女の涙に、ヤドカリはもらい泣きしている。
「姫様……。生きてさえいれば、良いことだって沢山あるよ。それに気づけるかどうかってだけさ」
王子だって、生きてさえいればきっと……。
「つまりそのご馳走は、ちゃんと味わうべきだな」
まずは目の前の、小さな幸せを。
「そうだね」
ミレイは涙を拭くと、笑顔になった。
冷めてしまっても、しっかり美味しい料理を味わいながら、明日も頑張ろうと思う彼女だった。




