第七十六話 『邪険』
その日は、朝から酷い大雨だった。
古い納屋は今にも雨漏りをしてしまうのではないか、とクロエは気が気ではない様子で、しきりに部屋の天井を見遣ってしまう。
もう季節としては春に差し掛かるというのに、大雨で気温は下がる上に風もごうごうと音を立てて隙間風が家に入り込んでいた。とうとう寒さに耐えきれなくなったクロエは、薪をくべようとしたところでハッと気が付いた。
「しまった……薪が無いわ……」
クロエは肩を落として、万が一のために予備を用意していなかった過去の自分を責めた。こんな悪天候の中で外に出たくはないと思っているけれど、クロエにその選択肢はなかった。このまま寒さを我慢し続けるくらいならば、悪天候だとしても地獄のような時間を脱する方法を駆使する方が何倍もいい。
意を決して身支度を整えて外に出る。正直なところ、彼女としては最大限の装いだからそれでも防寒対策としてはかなり未完全だ。身体を震わせながらも薪の置いてある小屋を目指す。悪天候が故に、使用人や屋敷の住人と出会わないことが幸いだ。
クロエが薪小屋から薪を運んでいることを使用人は黙認している。母親や父親、ロージーが知ったらきっとそれすらも禁止されてしまうのかもしれないと初めはクロエも気にしていたが、ここまで何も言われないのであればきっと問題ないだろうと肝を据えた。万が一にも見つかってしまった時には、今後自身で調達することも視野に入れなければならないだろうけれど。
薪小屋は正面玄関を出て裏手に回るのがクロエの住む納屋からは最も近い通り道だった。
「……何か、ご用ですか?」
正面玄関を出たところで、金髪の少年が立っていることに気がつく。こんな寒い日にどうしたのだろうか、という気持ちと不審な気持ちが混ざりながらクロエは問いかけた。
「お久しぶりです、クロエさん」
その声に聞き覚えがあった。
「もしかして、ルーク……?」
「はい! 覚えててくださって嬉しいです」
最後に会ったのは2年前、彼は13歳だった。この2年間で随分と大人びたとクロエは感心する。勿論まだあどけなさや子供らしさも残っているが、声を聞くまですぐには彼だと判別できなかった。
「本当に久しぶりね……! 元気だった? 今日はどうしたの?」
「はい、元気にしてます。偶然近くを通ったものですから、久しぶりにクロエさんにお会いできないかと思いまして」
「わ、私に!? と、とにかく、一旦どこか別のところに……」
クロエは想定外なルーカスの言葉に狼狽えながらも、ここはかなり寒い上に屋敷の前なのでどこか別の場所はないかとあたりを見渡す。彼を納屋に招待するわけにはいかない。
「近くに馬車を停めているので、良ければ中でお話ししませんか?」
ルーカスの提案をクロエはありがたく了承してコクリと頷いた。アデレイン家の馬車はそう遠くなく、すぐに2人は馬車に乗り込み寒さを凌げた。
馬車に乗り込む際も、変な噂が立つことを怖がっていたクロエは慎重に周囲を確認してから乗り込んだ。
「ロージーとは、会ったの?」
「はい、先日会う機会があって少し話をしました」
「そう……ごめんなさい、二人が今までみたいに気軽に会えなくなってしまったのも私のせいだわ」
クロエは、負い目からかまともにルーカスの顔を見ることが出来なかった。
自分が居なければ二人の縁談の話はつつがなく進んだはずなのに、自分が二人の人生を台無しにしてしまったんだと、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「なぜクロエさんが謝る必要があるのですか?」
「それは、その……」
クロエは負い目を感じているものの明言はせずにいた。それを口に出してしまうと、心の中では自分が全て悪いわけではないと思っているのに、本当に自身に全ての責任があると肯定することになってしまいそうだから。
「あ!」
ルーカスが急に声を上げるので、クロエは何事かと俯いていた顔を上げた。クロエの対面に座るルーカスは顔を横に向けて馬車の窓から外を眺めているようだった。クロエもそれに釣られて外を見ると、先ほどは酷い大雨だったというのに、いつの間にかそれも止んで晴れ間すら見えていた。
「さっきはあんなにも雨が降っていたのに、今は晴れていますよ! 実は僕、晴れ男なんです」
ルーカスがニコニコと笑いながら自信満々に告げるので、クロエは本当に晴天は彼のおかげなのかもしれないと思えてきた。
それと同時に彼の眩しさが疎ましくも感じる。子爵家の跡取りとして約束された未来、住む場所も自由もあって、誰からも白い目を向けられない。ヘラヘラと笑っていられることが腹立たしい。その感情はルーカスに落ち度は一切ないことも、全くもって的外れであることも分かっているのに止められなかった。
「それで、あの、今日お会いしたかったのは実は僕が「私が落ちぶれた様子でも見たかったの?」
ルーカスが何かを言いかけているところにクロエは被せて暗い声音で言葉をぶつけた。本当はそんなことを言うつもりはなかったのに、心が黒い感情で支配されて自分でも止めることが出来ない。
「ロージーと会った時にどうせ屋敷での私のことは聞いたのでしょう? そもそも2年前に私に起こったことも貴族の間では面白おかしい噂話だわ」
「ち、違います! ぼ、僕はずっとあなたを元気づけたいと思っていましたし「2年ぶりに会ったのに、ずっと元気づけたかったですって? 随分と口が達者になったのね。一体何をしてくれるって言うの? 私は今日を生きることだって精一杯だし、今も他人からどう思われているのか怖い。家族も友人も誰も私の味方をしてくれなかった」
ルーカスは何を言えば彼女が笑ってくれるのか、考えたけれど何も案は出て来なかった。
「……ただ、僕は……今日クロエさんにお会いしたかっただけなんです。僕、僕は」
「やめて、何も聞きたくない。あなたのニコニコと幸せそうな顔を見ていると自分が惨めになるの。もう、顔も見たくない」
「クロエさん!」
クロエはルーカスの言葉を何一つ聞かずに馬車を飛び出した。
先ほどは雨も止んで晴れ間も見えていたはずなのに、それも束の間ですぐに酷い大雨に逆戻りしていた。




