第五話 『邂逅』
納屋に戻ってから冷静になって、心配してくれたルーカスへの自身の態度を反省した。
どうしてあんなにもきつい態度をとってしまったのだろう、謝らなければ、と思うがその意に反してクロエは動くことが出来なかった。
彼女の想像以上に、フレデリックとマリメルに遭遇してしまった傷は大きかったらしい。
「ルークにもきつく当たるようになるなんて……」
落ちるところまで落ちてしまったような気になる。
小さくて可愛かった昔のルーカスのことを思い出して、クロエは彼と出会った日を思い返した。
「良い、クロエ。今日がうまくいけばロージーの縁談はスムーズに進むのよ」
まだロージーは十一歳なのに、と思いながらもクロエは母親の圧力に押されてほほ笑むことしか出来ない。
両親は小さな頃から婚約者も固めて、夜会デビューの時から苦労して相手を探さなくてもいいようにしてくれている。それが娘たちのためであると心底思っていて、それでいて自分たち自身のためでもあった。
貴族として、伯爵家として、恥のない人たちであるように。
「あなたはゴーズフォード公爵家とうまくいったのだから、妹の面倒もしっかり見てくれないとねぇ」
特段、フレデリックとの婚約に関してクロエが何かしたわけではないが、それでも自分が何かしなければならないという気持ちになる。
「はい、わかってます、お母さま」
クロエが返事をしたのと同時に、幼いロージーがたったとこちらに駆けてきた。
「お母さま、お姉さま! このドレスとっても可愛いわ!」
ロージーがくるりと回ってみせる。
ひらりとドレスの裾が舞って、それからにこりと愛らしい笑顔を浮かべた。
「ロージー、とっても似合っているわ」
クロエも笑みを浮かべて、ロージーの頭をなでる。
それが嬉しかったのか、ロージーは満足げにクロエに抱きついた。
「そんな子どもみたいな真似はやめて頂戴、ロージー。みっともない」
母親である伯爵夫人の言葉で、ロージーは悲しそうな顔をしてから「はい」と小さく返事をしてクロエから離れた。
ロージーはまだ子供だ、などという当たり前の言葉を発したところで意味がないことをクロエは理解していた。離れたロージーを少し引き寄せることがクロエの精一杯だった。
それから少しして、屋敷の扉が開かれる。
「ようこそいらっしゃいました、アデレイン子爵、子爵夫人!」
伯爵夫人は余所行きの表情を取り繕ってアデレイン家の人々を出迎えた。
「エシャロット伯爵夫人、今回はお招きいただきありがとうございます。ほら、ルーカスもご挨拶なさい」
「ルーカス・アデレインです」
見目麗しい少年。
それがクロエのルーカスへの第一印象だった。
「ほら、あなたもご挨拶なさい」
伯爵夫人はクロエのすぐ脇にいたロージーをずいっと前へ押しやってルーカスの前に立たせた。
「あ……わ、わたしは……ロージーです。ロージー・エシャロット」
少しどもってはいたがしっかり挨拶できた。
それだけでクロエは彼女に満点をあげたい気持ちで一杯だったが、母親はどうやらそうではないということが表情で丸わかりだった。
一瞬だけキッと目線をロージーに向けた様子をクロエは見逃さなかった。
だがすぐに余所行きの笑みに戻して、子爵夫人に社交辞令の言葉を投げかけ始めている。
「じゃあ、あとはお願いね」
伯爵夫人はクロエに一言声をかけて、子爵と子爵夫人、伯爵と共に談話室へと向かっていった。
クロエは幼い二人と共に取り残されたが、お守をするのが今日の役目だということは初めから理解していて、二人にニコリと笑いかける。
「ルーカス、ロージー、お菓子をもって中庭にでも行きましょう」
お菓子、という単語に釣られたためか、ルーカスとロージーはパッと笑顔になってすぐにクロエの提案に了承の意を示すように大きく頷いた。
「あのね! ロージーね! この前、こーんなに大きなケーキ食べたんだよ! ね、お姉さま!」
母親からの圧から解放されたためか、ロージーはいつも通り天真爛漫に振舞う。
にこにこと自分の体験した出来事をルーカスに披露していた。
「ロージーのお誕生日にみんなで食べたわね」
「それは、僕もぜひお目にかかりたかったです」
精神年齢はどうやらルーカスの方がロージーよりも上だというのがクロエの見解だった。
終始落ち着き払っていて、年齢にしてはどこか大人びている。
だが、それが尚更ロージーの年相応の愛らしさを引き立たせていると、クロエは微笑ましくロージーを見つめた。
「ほら、みんなでお菓子を食べましょう」
クロエが持っていたお菓子をルーカスとロージーに分ける。
ルーカスは満足そうだったが、ロージーはむすりとしていた。
「ロージーどうしたの? そのお菓子は嫌?」
「……お姉さまのお菓子も美味しそう……だけど、これも食べたい……」
ロージーは自身の持つお菓子とクロエの持つお菓子を交互に見る。
クロエは、その様子を見てすぐに「はい」と自身のお菓子を差し出した。
「いいの?」
「いいよ、私はお腹すいてないから」
ロージーは嬉しそうにお菓子を受け取ると、椅子に座ってすぐさま食べ始めた。
「クロエさん」
クロエがロージーを見つめていると、ルーカスが声をかけてきた。
彼はまだお菓子を口にしていないようで、綺麗な状態のまま彼の手に残っていた。
気に入らなかったのだろうか、と思っているとルーカスはお菓子をパキリと半分に割って差し出してきた。
「僕と半分こしましょう」
にこりと微笑みながらかけられた言葉に、よく出来た子だという感想を心の中で述べる。
ロージーが彼と結婚することができれば、きっと幸せになれるだろう。
クロエは、ようやく母親の意見に賛同することができた。
いや、具体的に言うと賛同したわけではないが、大局的に見れば賛同したことになるだろう。
「私のことは気にしなくていいのよ」
「いえ、僕がそうしたいのです。みんなで食べた方が、より美味しいと感じるはずです」
一瞬迷ったが、クロエは大人しく彼の優しさを享受することにした。
まだ小さく幼いルーカスとの初対面はいつ思い返しても好印象でしかなかったと、過去を振り返りながらクロエはくすりと柔らかな笑みを浮かべた。