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第四話 「逃亡」


 はっと目が覚める。


 見慣れた天井。

 あぁ、夢を見ていたのかとクロエはそこで気が付いた。


 悪夢だ。

 地獄のような過去を鮮明に夢に見てしまうとは、悪夢以外に言いようがない。


 二度と思い出したくないというのに。


 つらいと思っても一日は始まる。

 クロエにとっては不幸なことに、今日は仕事が休みだった。


 本来は休みの日は喜ぶべきことのはずなのに、クロエにとっては休みの方が苦痛だった。

 特段やることもなく、納屋の中でエシャロット家の人たちと会わないようにするか、街の中でも貴族とは顔を合わせないように気を使いながら過ごしていた。


「とっても良い天気……」


 窓の外を見てクロエは呟く。

 出かけるには絶好な日和だというのに、それが尚更クロエを憂鬱にさせる。


 特段、用事のない日は納屋を出ない。

 だけれど、こんな日は散歩のひとつくらいしたいと思ってしまう。


 引きこもっているのが勿体ない、だけれど誰とも会いたくない。

 そんな矛盾を抱えながら、朝食を作るために食材を探したところで気が付いた。


「……買い出しを忘れてたわ」


 休みの前の仕事終わりには必ず食料品を買っていたのに、昨日はルーカスと一緒にいたためにそれをすっかり忘れていたのだ。


 出かける理由が出来てしまった。


 納屋の外に誰もいないことを確認して、コソコソと隠れるように敷地内を歩く。

 クロエは毎度、なぜ自分の家だというのに隠れて過ごさなければならないのだろうかと疑問を持つが、それが精一杯の自衛であると言い聞かせる。


 堂々と歩ける精神力を持ち合わせているのなら、彼女はすでにクヨクヨと悩んで生きることをやめているだろう。


 伯爵邸を出て、市場まで出ると活気のある声がクロエの耳に届いた。

 喧騒の中にいると自身の孤独を忘れられるような気がする。


「今日の食事はどうしようかしら……」


 並ぶ野菜を見つめながら考える。

 最近は質素に済ませてきたから、たまには贅沢をしてもいいだろうか。


 そう思いながら手を伸ばした時に服の袖が目に入る。

 "なにそのボロキレ、みっともない"

 ロージーに言われた言葉が頭の中で反芻した。


 そろそろ、新しい服を新調した方がいいだろうか。

 幸いにも日ごろの倹約のおかげか服を新調出来るほどには蓄えがあった。


 ただ、今後のことを考えると貯金はいくらあっても足りない。


 クロエはぐるぐると考え込んで、結局服を買うことに決めた。今日は贅沢するのは辞めにして、安い野菜のみを買ってブティックへと足を向ける。


 値段がどれくらいのものまでならば買えるか、歩きながら頭の中で計算する。

 当たり前だけれど、ロージーのように煌びやかなものは買うことができない。最低限のものであればいいとは思ってはいるが、年月使えるものでなければならない。


「いつもご贔屓にしてくださいまして、ありがとうございます!」


 もうブティックも目の前だというところで声が聞こえてくる。


「いい買い物をしたわ、ねぇフレディ」

「あぁ、そうだな」


 たくさんの紙袋を持ってブティックから出てきたのは、フレデリックとマリメルだった。


 クロエはヒュッと息を呑んで後ずさりをする。

 姿を見ただけでも吐きそうだった。


 クロエはいつも徹底的に彼らとは遭遇しないように注意を払っていた。

 しかしながら生活をしていると思わぬところで遭遇する。そんな時も本能的に身体が動いて少なくとも会話はせずに済んでいる。


 今回もそれは同じだった。

 ヴッと嗚咽を感じ口を塞ぎながら、彼らに気づかれるよりも先にくるりと踵を返して駆け出した。


 野菜が袋から数個落ちたがそんなことを気にしている暇はなかった。

 周囲からの厳しい視線にも気が付きながら無我夢中で駆ける。一刻も早く、遠くへ、遠くへ。


「クロエさん!」


 パシッと掴まれた腕。

 その声に聞き覚えがあった。クロエが声の方に視線を向けると、予想通りそこにはルーカスがいた。


「ルーク……」

「偶然見かけたので声をかけようと思ったら急に走り出したので、つい追いかけちゃいました。あの……大丈夫、ですか?」


 心配そうな表情にクロエはひくりと引き攣った笑みを浮かべて「大丈夫よ」と返した。

 それが尚更、ルーカスを心配させる。


「そんな顔で大丈夫と言われても信じられませんよ」

「いいえ、大丈夫、気にしないで」


 クロエが拒絶の意を示すが、それはルーカスには伝わらず、彼はズイッとさらに距離を詰めてくる。


「でも、僕に何か出来ることはありませんか?」

「やめて! 私だって、話したくないことはあるわ!」


 惨めだった。

 クロエに非は何もない婚約破棄であるはずなのに、全てにおいて被害を被ったのは彼女だった。

 姿を目にしただけで逃げ出してしまうほど心に傷を負って、それでいて蔑まれる人生。


「心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫。」


 クロエはそう言って歩き出す。

 大丈夫、と他人に言っているようでその実自分に言い聞かせていた。


 同情される方が惨めだ。その同情心に縋ることも。


 クロエは帰路を辿る中で、背筋を伸ばして涙を零さないように耐えるだけで精一杯だった。


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