第四十四話 『拒絶』
「子爵から少しの間、ルーカスを遊びに行かせることは控えたいと連絡があったわ」
朝食の時間、母親は怒りを含ませながら言い放った。
あなたのせいよ、と言わんばかりに母親が睨みつけたため、クロエは「ごめんなさい」と謝罪を口にして小さくなるしかなかった。
クロエがフレデリックに婚約破棄されたという事実は少しずつ広まっていった。
その影響が各所に出てきて、それは遂にアデレイン子爵家にも伝わったらしい。
「このままだと、あなただけじゃなくてロージーの相手を見つけることも難しくなるわ。あなたは難しくとも、ロージーにはエシャロット家の後継ぎとなるような子を育ててもらわないと」
結局、母親が懸念することはそれなのか、と半分呆れるような感情をクロエは抱く。
メルロ・エシャロットはどこまでも貴族らしい女性だった。
クロエは、目の前にある食事を口に運ぶことができず、手を止めて俯くことしか出来なかった。
そんな姉の様子をロージーは心配そうに見つめる。
「お、お母さま。わたし、きっと上手くできます。だから、心配しなくても大丈夫です」
中途半端に口を出したことで、メルロの矛先がロージーに移った
まだ13歳のロージーには、キッと睨まれた視線に対抗できる精神力はなく、身体を縮ませて選択を間違ってしまったのだと自分を責めた。
「あなたは何にもわかってないんだから口を出さないで頂戴。上手くやるのはワタクシよ、あなたはただ言うことを聞いていれば良いのよ」
「……はい、お母さま……ごめんなさい」
どうにかクロエを庇いたい、というロージーの気持ちが実ることはなかった。
結局、2人して暗い顔で俯くことになってしまった。
「本当に、ワタクシがこんなにも手厚くお膳立てをしてきたというのに……婚約破棄だなんて信じられないわ」
メルロは「はあ」とこれ見よがしいに大きなため息をつく。
対して伯爵は、我関せずというように黙々と朝食を食べ進めていた。
下手に口を出すと、メルロからちくちくと言われることをわかっているからだ。
彼は、完全に尻に敷かれていると言えよう。
朝食を食べ終わって、自室に戻った後もクロエは気落ちしたままだった。
ため息をつきながら、ベッドに腰をかけてしばらく時間が経った。
頭の中でネガティブで余計な考えがぐるぐると巡る。
特に何をするわけでもなく、ボーっとしていたが、気を紛らわせるためにも散歩でもしようかと立ち上がり、俯きながらも部屋を出る。
どこに行こうと決めていたわけではなかったが、自然と中庭に足が赴いていた。
「お姉さま?」
クロエが声の方を向くと、そこにはロージーがいた。
不思議そうな顔でクロエのことを見つめている。
「同じところをうろうろとして……大丈夫?」
クロエは、そこで同じ場所をずっと歩いていたことに気がついた。
気を紛らわせたかったのに、結局のところ考え込んで自分がどこを歩いているのかすらもわからなかったらしい。
いつもながら、大事な妹に笑顔を投げかけるクロエだったが、ここ最近はそれも出来なかった。
嘘でも無理矢理でも笑顔を取り繕うことが出来なくなっていた。
「ええ、大丈夫よ。ちょっと散歩をしようと思っただけ」
大丈夫、ではないのに口から嘘は吐ける。
表情や声のトーン、口調は装えないせいで、それが嘘であることはロージーに丸わかりだった。
いつものお姉さまではない、ということをすぐに理解してより心配そうにクロエのそばに駆け寄った。
「少し座ってお話でもしましょう」
クロエの肩を押してベンチへ促すロージー。
彼女は聞こえないふりをしたが「何を話すっていうのよ」というクロエの囁くような声音の否定的な言葉は届いていた。
まだ社交の場に出ていないロージーにも、母親の様子や使用人の噂話など、クロエの置かれている状況を知る手段はいくつか持ち合わせていた。
だからこそ、今つらい状況に置かれている姉の助けになりたいと強く思っている。
並んでベンチに座った、相変わらず暗い表情のクロエに元気付けようと逆に明るい表情をするロージー。
それから、高いトーンでロージーがクロエに声をかけた。
「お母さまったら本当に酷いわ! お姉さまは少しも悪くなんてないのに! わたし、お姉さまの力になりたいんです。わたしに何か出来ることはないですか!?」
「無理よ、だってあなたはまだ社交の場に出られないじゃない。お母さまを変えることが難しいってこともよくわかってるでしょう」
クロエは、淡々とロージーの進言を否定する。
それを受けて、ぐっと口をつぐんだが、すぐに新しい提案を捻り出した。
「お父さまに掛け合ってみましょう!」
「あの人は全面的にお母さまの味方なのよ。今までだって少しも私たちを庇ってくれたことがないじゃない。そもそも、大切に思ってくれているのかすらもわからないわ」
ロージーは、父親のことを思い浮かべて「確かに……」と小さく呟いた。
「それなら……それなら、わたし学校の友達にお姉さまは何にも悪くないんだって言います! それで、その子達が親に訴えかければ、社交界でのお姉さまへの偏見だって「やめてよ!」
ロージーの提案にクロエは怒声をあげた。
その目は潤んでいて、今にも泣き出してしまいそうだった。
「そんなことしたら、私はより一層惨めになる! 幼い妹を使って自分の評判をあげようと必死だなんて言われるに決まってる!」
間違えた、とロージーは直感的に感じた。
姉が隔てた壁がより何重にも増えたような気がした。
自分は心のうちを見せているのに、姉はいつもそうではなかった。
それをより理解してしまったような気がする。
「じゃ、じゃあ、お姉さまがルーカスと婚約したら良いのよ」
「私が、ルークと? 冗談言わないで頂戴」
完全に沈黙が流れていく。
次は何を提案できるだろう、自分に何が出来るだろう。
ロージーが必死に思考を巡らせていると、クロエが彼女の名前を呼んだ。
「ロージー」
「はい、お姉さま!」
遂に自分が頼られる時が来た、とロージーは笑顔で明るくクロエの方を見る。
その瞬間に彼女の期待は打ち砕かれた。
瞳には少しも光のない、どこまでも深い闇が広がっていて、とことん疎ましいという表情が伺えた。
「私のことを思ってくれるなら、もう私に構わないでちょうだい。鬱陶しいわ」
クロエは、今までにないほど低い声で言い放つと、ベンチから立ち上がり歩いていってしまった。
「どうして、お姉さま……」
ヒステリックな母親のもとで自分と姉は唯一とも言える味方同士のはずなのに。
姉はそうではないのだと、ロージーの心が打ち砕かれた瞬間だった。




