第三十話 「突進」
「それで、大公がお披露目パーティーの準備を進めています」
仕事の帰り道、クロエとルーカスは話をしながら歩いていた。
二人は職場が同じであることから、一緒に帰路を共にしていてもおかしくはない立場であった。
そのため、依然として噂の中ではルーカスの婚約者の有力候補をロージー・エシャロットだ。
公然と二人が今後の計画について話を進めても周りはそれを聞いてはいない。
いや、聞いていたとしてもクロエがルーカスの婚約者になったという事実はまだ信じられることはないだろう。それほどに、クロエに貼られたレッテルは不名誉を極めている。
「お母さまが協力を申し出たけれど断られた、と零していたわ。流石に、大公殿下が相手では強く出られないみたいだけれど」
母親であれど、大公にはいつもの調子でいられるはずがないということを、以前大公が伯爵家を訪れた際の様子を目の当たりにしていたクロエは理解していた。
「伯爵夫人もそんなに心配をする必要はないと思いますよ。大公は完璧主義者ですから、ファルネーゼ家主催というパーティーを中途半端なものにすることはないでしょう」
クロエもファルネーゼ大公が主催すると聞いたときには驚いたが特に心配はしていなかった。
大公は激務の中で生きているため、当たり前にエシャロット家が準備を担うものだと考えていて、クロエだけでなく母親や伯爵までもがプレッシャーを感じていた。
だが、蓋を開けてみると大公家が仕切ることになっていた。
そういった準備は女主人が行うことが常ではあるが、大公家に女主人はいない。そのため、必然的にファルネーゼ大公が全ての指揮を執っていた。
「多忙だと伺っていたけれど、準備を取り仕切る時間があるとは驚きだわ。あなたは随分と大事に思われているのね」
「……僕が大切なわけではありませんよ。あの人にとって大事なものは"大公”だけです」
いつも柔和な笑みを浮かべているルーカスが眉間に皺を寄せて険しい表情をする
クロエは、これは彼にとっては触れてほしくない事象なのだと悟った。
「……とにかく、僕たちもそれなりに準備を進めないといけませんね。ダンスの練習やドレスの選定、招待客リストも作成済みですから頭に入れないと」
「やることは山積みだわ」
クロエの最も懸念している点は、とにかく時間がないことだった。
パーティー開催までひと月を切っていて、その間にも仕事はあるしスケジュールが詰まっていた。
これが、コンスタントに貴族間の行事に参加している人であれば問題はなかったのだろうが、クロエにとってはそうではなかった。
以前のパーティーは数年ぶりの参加で且つ失敗した。流行も捉えられていないうえに、およそ十年もあれば貴族社会の顔触れもある程度変わっている。
だが、不思議とクロエは悲観的ではなかった。
今までであればオドオドと下を向いて、無理だと決めつけていたことだろう。
しかしながら、今はやってやろうという気になっていた。一人ではなく、隣に味方であるルーカスがいるという事実はクロエの中でかなり大きな安心や自信に繋がっているのだ。
ドレスの一件以来、クロエはルーカスに以前よりも信頼を寄せていたし、人間として尊敬できると思っていた。自分も尊敬されるような人間になろう、という気持ちも彼女が少し強くなれた理由かもしれない。
それから、隣にいて恥ずかしくない、相応しい人間でありという気持ちも少なからず沸き上がっている。
「大公が作ったスケジュールに従えば、おそらく当日までに形にはなるはずです。まあ、かなり大変でしょうけど」
ルーカスが少し眉を下げながら小さく笑う。
発言に少し自信がないことと、向こう一か月の多忙さを憂いているのだ。
クロエが同意するように彼と同じく小さく笑みを返したところで前方から「ルーク様!」と女性の声があたりに響いた。甘ったるい声で、媚びを売るような色も見える。
豊満な胸を誇張するようなドレスで、駆け寄ってくる一歩一歩のたびにそれは小刻みに揺れた。
クロエは彼女に見覚えがなかった。見たところルークよりも若く、おそらくクロエと十は年が違うのではないかと思えた。
大胆なドレスに対して、きゅるんとした可愛らしい顔がミスマッチだが、愛嬌があったり懐に入りやすいようなタイプである場合には、確かに彼女のスタイルやドレスは有効的なようにも感じる。
少なくとも、打算的にそのドレスを選んでいるであろうことは確実だった。
「こんなところでお会い出来るなんて!」
ご令嬢は隣に並ぶクロエなんて全く視界に入っていないように一直線にルーカスに向かって駆け寄り、目の前で止まった。
「お知り合いですか?」
クロエによるルーカスへの問いかけは純粋な疑問によるものであった。
だが、ご令嬢はそう捉えなかったらしい。一瞬だけクロエに厳しい視線を向けた。ルーカスとの会話をわざと妨げた、と感じたのだろう。
「いいや、覚えがないな」
ルーカスの返答に、ご令嬢はあからさまにショックを受けた顔をする。おそらく、作った表情ではないのだろうということはクロエにもわかった。
「酷い! この前、パーティでお会いしたネイア・ハルバーナです。一緒にお話ししたではありませんか」
「大勢と話していたから覚えていないみたいだ、すまないね」
ハルバーナ、という家名をクロエは頭の中で検索をかけてみる。少なくとも公爵や侯爵、伯爵といった爵位ではないことはすぐに理解した。
名の知れている貴族たちである、という理由以外にも、そもそも礼節を重んじる貴族たちであれば、こんな街中で無礼にも大公令息に軽々しく声をかけはしないだろう。
いや、たとえ声をかけるにしてももっと他にあるだろう、というのがクロエの見解だった。
「もう、ネイアのことからかっているんですね! 意地悪なんですから」
ネイアは、可愛らしくぷくりと頬を膨らませてみせるが、ルーカスは完全に嫌そうだった。
クロエは何となく、ルーカスが自身と婚約を早急に行った理由がわかった気がした。
元々予想はしていたが、やはり彼の肩書と容姿に惹かれた令嬢は確かに目の前にいる。
こういった日常からすぐにでも離れたかったのだろうか。
「でも、ルーク様がネイアのお願い聞いてくれるなら許してあげても「それ、辞めてくれないかな」
ネイアがかなり図々しいことを言い放っている途中に、ルーカスが苛立ちを隠さずに厳しく言い放った。ネイアは面食らって「え……」と固まってしまう。
それはクロエにとっても珍しい光景で目を丸くする。ルーカスが怒っている様子は滅多にみることがない。怒っても良いだろうという状況でも、にこりと笑って穏やかに応対するのがルーカスという人間だ。それが、珍しく崩れた。
「君に僕の愛称を呼ぶことを許した覚えはないよ。ルークと呼んでいいのは僕の大切な人たちだけだ」
大切な人たち、という言葉に心の臓が跳ねる。
自分もそこに入っているのだという事実が、どうしようもなく嬉しいと思ってしまうのだ。
クロエはドキドキと胸が高鳴る理由については考えないようにしたが、それが顔に出ないようにするのは大変だった。
「では、失礼するよ」
ルーカスはクロエに目線で『行こう』と促して、二人はネイアの横を通り過ぎていった。
「本当に覚えてないの?」
「まあ、彼女のこと自体はあまり記憶にありません」
クロエが問いかけると、すぐに返事が返ってくる。
ただ、それは一種の前置きで、そのあとも言葉は続いた。
「でも、彼女の家名については覚えがあります。大体、十年前くらいに爵位を貰っていたハルバーナ男爵家の娘でしょうね。ハルバーナ商会、という主に外国との輸出入の事業を行っていて、成功し国にとっても利益をあげた商家です。クロエさんは、その頃に貴族社会から遠のいていましたから、知らずとも当然です」
つまりは、彼女がまだ幼いころに貴族の仲間入りを果たしたわけだ。
ネイアのおかげで、クロエのハルバーナ家への印象は悪い意味で刻まれた。全員があまりにも礼儀のない傲慢な成り上がりの貴族なのだろう、と。
「僕の記憶では、男爵も男爵夫人もかなり切れ者で、それゆえに爵位を得られるほどの功績を残したはずなんだけど……。以前、男爵令息にもあったことがあるけれど、礼儀を弁えた有能な青年でした。うーん……娘と僕を結び付けて貴族としても力をつけようっていう魂胆なのかな……」
ルーカスが不思議そうに首をかしげる。
彼の言葉を聞いて、クロエが抱いていた男爵家への印象は少し払拭された。
このように、家の一人でも不祥事を起こせば家全体が悪い印象を持たれる。
自分がそうであったように。
だからこそ不祥事を隠すか汚名を返上しようと躍起になる。
母親のことが頭に思い浮かんだ。
「……物語の主人公になるのはネイアなんだからッ!」
ギリッと歯を噛みしめて悔しそうに顔を歪めたネイアは、クロエとルーカスの背を睨みつけて、それから踵を返して遠ざかっていった。




