第二十九話 『呼名』
「今日のお菓子もとても美味しいです」
ルーカスがパッと明るい笑顔でお菓子を食べながら言った。
まだ十二歳のロージーに同い年のルーカスを婚約者にしよう、という母親の企みは依然として遂行していた。
それも、もうすぐ一年が経とうとしていて、思っているように話が進んでいかないことに日に日に母親の機嫌は悪くなる一方でもあった。
「当たり前でしょ、私のお気に入りだもん」
作ったのはエシャロット家のシェフだというのに、ロージーが得意げな顔をする。
この一年、慣れてきたためか思春期か、ツンとした態度をとることが多々あったロージーに対してルーカスはいつも穏やかに対応していた。
クロエには到底二人が同い年とは思えなかった。
「ね、お姉さまも美味しい?」
ロージーがクロエに満面の笑みで問いかける。
彼女は他者にはツンケンとしている節があり、初対面の人には見事に人見知りを発揮するが、クロエに対しては一切その傾向はなく、懐いた犬のようにいつだって笑顔であった。
ツンケンとしたロージーもニコニコしたロージーもどちらにせよ可愛い妹であるという事実はクロエの中で変わらず、二人とも見事なシスコンぶりだ。
「ええ、美味しいわ。うちのシェフの料理は何でも美味しいものね」
「いつも僕ばかりもてなされていますから、今度は僕の家に遊びに来てください。うちの料理人もとても腕がいいですから」
ルーカスが穏やかな笑みを浮かべながら誘いの言葉をかける。
ロージーは、少しそわそわとしながらクロエにちらちらと顔を向けた。どうやら素直に行きたいというのは気恥ずかしいらしい。その様子にクロエはくすりと微笑んでから、ルーカスに視線を向けた。
「あら、素敵なお誘いありがとう。是非、伺いたいわ」
「では次のお茶会は僕の家でやりましょう」
ロージーはそれを聞いて嬉しそうにしながら、再びお菓子を頬張る。
クロエは、ルーカスの家に招待されたことや次の予定が決まったことが嬉しいのだと推察した。クロエはここ一年で、ロージーはルーカスに惹かれているのだろうと思い込んでいたし、ツンケンとして態度も照れ隠しであると決め込んでいた。
しかしながら、それは全くの検討違いだった。
ロージーは単純に美味しいお菓子を食べに行けるという事象にのみワクワクとしていて、ルーカスについては余裕そうな態度が鼻についていた。それに、大好きな姉を取られたくないという想いも強く、度々威嚇行動も起こしているくらいだった。
とはいえ、ロージーは幾らかルーカスに心を開いていることは事実で、姉を介さなければ十分大事な友人という部類には入っていた。
「そういえば、この前あなたが気になるって言ってた本読み終わったから貸してあげるわ」
取ってくるね、とロージーは席をたつ。使用人に取ってきてもらうとかすれば良いのに、ロージーはそういったところは律儀に自分でやりたがった。
「ロージーとは良く本を使って様々な話をしています。政治的な話にも彼女は興味があるようなので、側から聞いたら随分生意気に思えるでしょうけど」
ルーカスはふふっと笑ってみせる。
元々、子どもらしいとは思えない少年だったので、話の内容に対してクロエは特段驚きもしなかった。
「私では、あまりそういった話に乗ってはあげられないし……知ってはいるでしょうけれど、それに興味があるとお母さまに知られることは良くないわ。だから、ルーカスが妹の良き話し相手になってくれて感謝しているの、ありがとう」
クロエがお礼を述べると、ルーカスは目をぱちくりとしてからいつも通りの笑みを取り戻して首を横に振った。
「僕にとっても楽しい時間ですから、お礼を言われるようなことではありません」
それから一瞬沈黙の時間が流れた。
何を話そうか、とクロエが模索しているとルーカスが口を開いた。
「あの、良ければルーカスではなくルークと呼んでください。父や母、特に仲のいい友人は僕のことをそう呼びます……クロエさんにも、そう呼んでほしいんです」
少し照れたように進言する様子が、クロエの目に年相応に映って何だか可愛らしく思えた。
上手くいって、ルーカスとロージーが結婚すれば自身は義理の姉になるし、今も彼は姉のように思ってくれているのかもしれない、とクロエは月並みな感想を抱いた。
ルーカスには兄弟がいないから、そういう存在にが欲しいと感じていてもおかしくないと判断を下した。
そういった思い込みによる決めつけがクロエの弱点のひとつとも言えよう。
「わかったわ、ルーク。私とあなたの友好の証ということね」
「……まあ、そんなところです」
ルーカスは一瞬、ムッと口を尖らせたがすぐにいつもの表情に戻って受け答えをする。
その表情の変化を特段クロエは気に留めておらず、親交を深めることが出来たという事象にのみフォーカスしていた。
その後もクロエはルーカスのことを愛称で呼んだが、ロージーはそうではなかった。
ルーカスもロージーに愛称で呼ばせようとはしなかったし、彼女自身もそうするつもりは少しもなかった。
結局のところ、クロエは三人が疎遠になるそのときもその後も、ロージーとルーカスのそういった部分について気が付くことはなかった。




