第二話 「帰路」
「お疲れさまでした、お先に失礼します」
クロエは仕事を終えて、仕事仲間に声をかけてから魔道所を出る。
魔道所に所属する魔導師たちはまだ仕事があるが、クロエのような魔導師補佐は出来ることが限られていることもあり大抵の場合残業することはない。
クロエにとっては早く家に帰ることにメリットを少しも感じないのだが、無駄に残って残業代を貰うわけにはいかないので定時で帰宅をしている。
とはいえ、すぐにあの納屋に帰りたいとは思わない。
ああ、今日はどうしようか、花屋でも見てみるか公園で暇をつぶすか……と悩んでいたところでクロエはひょこりと横からこちらを覗く影に気が付いた。
「クロエさん、今帰りですか?」
人懐っこい笑みを浮かべたルーカスが問いかける。
それが昔の子犬のような彼と重なって懐かしい。
「ええ、あなたも初日だから帰りが早いのね」
「きっとこれからはこうも上手くはいかないんでしょうね」
とはいえ魔導師団よりは百倍早く帰れます、とルーカスは付け加える。
どうやら彼なりの冗談のようだが、クロエは笑っていいのか良くわからなかった。
「このまま真っすぐ帰りますか?」
「いいえ、少し寄り道をする予定よ」
「僕もご一緒していいですか?」
ルーカスの提案にクロエは「え?」と目を見開いて聞き返した。
「久しぶりに会えたので、色々とお話出来たらと思って」
ルーカスはわざとらしく小首を傾げて「ダメですか?」と問いかける。
まるで捨てられた子犬のようで、クロエは反射的に「だ、だめじゃないわ……」と答えていた。
ルーカスは「やった!」と無邪気に笑って見せる。
「どこに行く予定なんですか?」
「今ちょうど悩んでいたところ」
「じゃあ、僕が行きたいところに連れて行くのはどうでしょう!」
ルーカスのパッと明るい表情にクロエは自然と笑みが零れる。
再会してから少ししか経っていないのに、一瞬で昔のような関係を取り戻した気がした。
「この街に帰ってきたときに必ずと言っていいほど訪れる場所です。期待していいですよ」
それは一体どこだろうかと想像してみる。
美味しいと評判のお店か雑貨屋さんか、はたまたブティックかもしれない。
どこに行くにしてもお金がかかりそうだ。
少なくとも私は年上なのだから、お金を出してもらうわけにはいかないわ。
クロエが悶々と考え事をしていると、ルーカスが「クロエさん!」と声をかけた。
「今朝は雪が降っていたのに今は晴れていますよ!」
部屋に籠り切りで外の様子を見ていなかったためか、どうせ暗い空模様だと決めつけていたこともあり、建物の外を出て見た光がなぜかいつもよりも明るいような気がした。
今朝ここへ向かう途中、あんなにも暗く沈んでいたというのに、気が付けば今はそうでもない。
「僕、晴れ男なんです」
そうして無邪気に笑う彼を見て、クロエは晴れたのが本当にルーカスのおかげなのかもと思えてくる。
そういえば、昔も同じことを言っていたような気がする。
人の口癖とはおそらく変わらないものなのだろう。
内心そう思いつつクロエは「そうかもね」とほほ笑んで相槌を打った。
「さてと、どこに連れていってくれるのかしら」
「あ、先に聞きますが、結構歩きますけどお時間ありますか?」
「ええ、時間ならいくらでも」
家に帰ってもやることは家事のみ。
誰も待っている人はいないし、楽しみもない。
つくづく自分が寂しい女だと思えてくる。
ルーカスの道案内に沿って二人は歩みを進めていく。
朝の雪で地面はまだ濡れていて足元が悪い。だけれど、差し込む陽の光が水たまりを反射してきらきら煌めいている。
クロエはいつも無理矢理に前や上を向いて歩いていた。たまには下を向いてみるのも悪くないかも、と普通だったら抱くはずもない感情を持つ。
次は右、次は左、まっすぐ!
ルーカスからの指示に従って着々と目的地への距離を縮めていく。
クロエは一体どこがゴールなのか理解していないけれど。
「あと少しです!」
少しずつ日が落ちてきて、まだ明るいとも言える空に月が顔を出してきた。
進めば進むほど、街の喧騒から外れているような気がする。
しかも坂を上っているため、クロエの息が切れ始めている。
ルーカスは、流石に魔導師団にいたおかげか全くと言っていいほど疲れていない。
「ほら、あと少しです! 頑張って!」
ルーカスがクロエの両手を取って連れて行くように後ろ向きで歩みを進める。
あと少しって、一体どれくらい!?
内心で悪態をついてすぐに「着きましたよ!」という声が聞こえる。
「わぁ……綺麗……」
そこからは街の様子が一望出来た。
夕暮れ時、空はオレンジがかっていて、それが尚更景色を引き立てている。
「ここに来るたびに、この景色を守ろうって思って元気を貰っていました。クロエさんにも元気になって欲しくて」
「え?」
クロエは横に立つルーカスを見上げる。
ルーカスは眉根を下げて心配そうにクロエを見つめていた。
「僕の記憶の中のクロエさんは、満開の花のような笑顔をしていたので、元気がないんじゃないかと思って……」
「もう七年も前だもの、私だって変わるわ」
クロエの回答にルーカスは少し肩を落とす。
「でも、そうね……確かに元気になったわ、ありがとう」
お礼の言葉を述べると、瞬時にルーカスはパッと顔を明るくさせる。
昔は子犬だったけれど、今はまるで大型犬のようだとクロエは感じて、自然と手が彼の頭に伸びていた。
ふわふわな髪の毛を一撫でしてから、再び景色に視線を戻す。
こんなにもスッキリとした気持ちになったのはいつぶりだろうか。
彼の太陽みたいな笑顔が、行動が、眩しい。
変わったところはたくさんあるけれど、昔から変わらないこともあるのだ。
クロエはこの瞬間、なんだか救われたような気分になれた。




