第九話 「新調」
「クロエさんの新しい洋服を僕が選べるなんて、光栄です」
既に満足気な笑みを浮かべてルーカスはクロエの横に並んで歩く。
二人はクロエの服を新調するためにブティックに向かっていた。
安くはないドレスを選ぶのに自分一人で選択することが不安で、第三者の意見を聞くためにもちょうど同じ時間に仕事を終えたルーカスに声をかけた。
昨日の荷物持ちといい、何度も自身の予定に駆り出していることに申し訳ないと思いつつも、嫌な顔をせず笑顔で対応してくれるルーカスにありがたさを感じる。
「あんまり予算は多くないの。だから煌びやかなものは選べないから、最低限保たれていて且つ側から見ておかしくないかを見極めて欲しいの。」
クロエはもう何年も貴族の集まりには参加していなかった。彼女自身、参加を望んでいるわけではないが、何よりも母親がそれを許さない。
クロエが『婚約破棄された女』というレッテルを貼られたその日から、母親は徹底して彼女を表舞台には立たせなかった。
クロエが傷つかないように、なんていう大義名分は少しもなく、純粋に伯爵家の名誉のためであり『エシャロット』の名前が傷つかないための施策でしかなかった。
「せっかくドレスを新調するのに……勿体無いですよ」
「そうは言っても、買うお金がなければどうしようもないもの」
そこまで言ってからクロエはハッとする。
同情を買うような言葉を口から出してしまった。憐れんでほしい訳でもないのに、いつもなら気をつけるのに、どうしてかするりと口からこぼれていた。
予想通り、ルーカスの顔を見ると何と言っていいかわからないような表情をクロエに向けている。
「やめて、そんな目を向けないで。憐れみは結構よ」
反射的に突き放すようなことを言ってしまう。
ルーカスはすぐに視線を外した。
「ごめんなさい、僕、そんなつもりじゃ……」
ルーカスがあからさまに憐れみの目を向けたわけではないことをクロエはわかっていた。
だけれど、気にしないでなんて笑顔を向けることが出来ずにいる。そんな自分を、弱いとも思う。
「……とにかく、今日はよろしく頼むわね」
クロエはルーカスへと小声で声をかけてから、ブティックの扉を開ける。
「いらっしゃいませ」
上品な店員の声が響いた。
店内には幸いにも他にお客さんはおらず、図らずも貸切状態が発生した。
「本日はどのようなドレスをお探しでいらっしゃいますか?」
まだ店に入ったばかりだというのに店員はずいっとクロエの前に踊り出て詰め寄ってくる。
あぁ、そういえば貴族御用達の店は大概こういうものだったとクロエは思い出した。控えめに言っても自分のことを金払いが良い客とは言えないため、返答に困って何も言い出さない。
そんなとき、後ろにいたルーカスがクロエの少し前に出て店員と対峙した。
「とりあえず、店の中を見てから考えます」
いつもの柔和な笑みを浮かべて店員に進言してから、ルーカスはクロエの肩を抱いて店の中を歩き始めた。
「何か惹かれるものがあるかもしれませんから、一旦店の中を見て回ってみましょう」
ね? と首を傾けながら同意を求められて、クロエは反射的にこくりと頷いていた。
それから、たくさん並ぶ商品に目を向けてみるが、どれもこれも華美なものばかりで、自身の予算を考えると到底購入は難しいという結論にしか至らない。
だが、始めからそれらを購入するつもりは少しもなかったので、特段なにも感じずに流し見ていく。
その途中で、パッと目を惹かれたものがあった。
店の端で展示された淡いブルーのそのドレスからなぜかクロエは目を離せない。俗に言う、一目惚れというものだ。
華やかすぎない装飾だが、とにかく生地が綺麗だと感じた。
「そのドレスが気に入ったんですか?」
ひょこりと横から顔を出すルーカス。
にこりと笑みを浮かべながらクロエを見ていた。
「お客さま、とってもお目が高いですわ!」
クロエがルーカスに返答をする前に、店員がずいと割って入ってきた。
「こちらの商品、装飾はあまり豪華ではありませんが、最高級のシルクを使用したドレスでございます!」
最高級シルク。
それを聞いてクロエは心を沈ませた。どう考えたって高いに決まっているからだ。
「他のものも、見てみます」
クロエはそう言ってすぐさまそのドレスから離れる。
これ以上見ていると、頭から離れなくなってしまうから。
それから、いくつか質素なドレスを選んで試着をすることにした。選んだものが値を張るものではないためか、店員はあからさまに態度を変えた。
さすがは金払いの良い貴族ばかりを相手にしているブティックだということか、金のない客には手厳しい。
「どうかしら?」
1着、2着とドレスを着る中で、ルーカスに毎度見せる。
ルーカスは全てに対して笑顔で「いいですね」と答えるので、クロエの中で全く参考にならなかった。
第三者の意見を聞くためにルーカスを連れてきたのに、これではなんの意味もないではないかとクロエは内心で憤慨する。
結果的に、全てを試着し終える中でどれか一つに絞ることは出来なかった。
しかし複数買う余裕なんてない。悩みながらもクロエは最終的に2つまで選択肢を狭めた。
「ルーク、この2つのどちらが良いと思う?」
右手には無難なブラウンのドレス、もう片方にはオリーブのドレスを手にしてルークに見せる。
「オリーブの方がオシャレですが、普段使いするならブラウンも捨てがたいですね。」
どっちつかずな意見を言われて、クロエは小さくため息をつく。結局、最終的には自分が決めるわけだ。
だが、自分が着るのだから最終的な決定権が自分にあるのはなんらおかしいことではないと思うことにした。
「そうね……じゃあブラウンにしようかな。オシャレである必要ないし」
「……いや、オリーブにしましょう」
「えぇ?」
先ほどまではどちらでも良いような発言だったのに、唐突にオリーブを推されてクロエは困惑する。
「オシャレである必要はない、なんて……せっかくクロエさんはお綺麗なんですから、勿体無いと思って」
「いや、別に……綺麗では、ないけど……」
クロエは突然のルーカスの言葉に顔を赤らめながらも下を向く。それから、特段何も言わずにオリーブのドレスを購入した。
店を出る前に、再び淡いブルーのドレスに目を惹かれる。
「あの、着るだけ、着てみても良いですか?」
「ええ、勿論ですわ」
そんなつもりはなかったのに、ドレスを見てつい口から出ていた。
どうせ買えないけれど、着てみるだけ。それくらいどうか許してほしい。それで、満足するから。
試着室でドレスに袖を通してみる。
想像通り、いや、それ以上にドレスは身体に馴染んだ。そして着てしまうと湧き上がる欲しいという感情。
「クロエさん、僕にも見せてくれませんか?」
「え、あぁ、うん」
外からルーカスの声が聞こえて、クロエは試着室を出る。
ルーカスは今日1番パッとした笑顔を見せて「凄く良く似合っています!」と声を上げた。
「ありがとう。でも、着てみただけ」
クロエはすぐに試着室に戻って、そそくさとドレスを脱いだ。
これを買うことを目標にお金を貯めるのも良いかもしれない。人生に目標なんてなく、ただひたすら必死に生きていたけれど、そういうものを自分も作っても良いかもしれないと思えてきた。
「どうもありがとうございました。また、来ます」
クロエは店員に会釈をして店を出る。
貯めるのに、どれくらいかかるだろう。
それまでに売れてしまうだろうか。
「僕、あまりクロエさんの力になれていなかったですよね、すみません……」
「そんなことないわ、一緒に来てくれてありがとう」
しょんぼりするルーカスにお礼を述べる。
彼はそれを聞いて小さく笑みを浮かべた。
「また、いつでもお手伝いします。すみません、今日は僕ここで失礼します。仕事場に用事を思い出しまして」
ルーカスはぺこりと頭を下げて足早に仕事場に戻っていく。もしかしたら、まだ仕事が残っていたのに付き合ってくれたのかもしれない。
どこまでも、彼は自分の力になってくれる。
どうして、そこまで……。
クロエは不思議に思いながらも、その優しさを素直に享受することにした。




