07.幸福な朝食
「このパン、ふわふわよ……何なの、この具だくさんのスープ……お肉……お肉だわ……最後に食べたのはいつだったかしら……そんな、果物まで……美味しい……美味しいわ……」
感動の涙を流しながら、コーデリアは朝食を味わう。
早速、クライブが契約を履行してくれたのだ。
実家では見たこともないような、豪勢な食事だった。かつてのリアの記憶でも、朝食など硬いパンだけが当たり前で、具の入ったスープがあれば上等すぎるくらいだ。
しかし、目の前にはふわふわのパンに、野菜がたっぷり入ったスープがある。それだけでも素晴らしいのに、ソースのかかった肉や果物まであるのだ。
貴族にとっては一般的と言える程度の食事だったが、コーデリアにとっては想像もできないような豪華絢爛な食卓だった。
「こ……これは……まさか、タルト……? タルト、よね。本で見たことがあるわ……まさか、実在していたなんて……」
そして食後には、色とりどりの果物が載ったタルトが用意された。しかも、一口で食べられる大きさのものが何種類もある。
これは夢だろうかと思いながら、コーデリアはおそるおそる一つを手に取って、口に入れる。
サクサクとしたパイ生地の感触に、上品なクリームの味わい、そして甘酸っぱい果物が口の中で絡み合い、幸福が広がっていく。
「幸せ……幸せすぎるわ……生きていてよかった……」
結婚してよかったと、コーデリアは心の底から思う。
『愛することはできない』など、『食べ物を与えることはできない』に比べたら、かけらも痛痒を感じない。
愛で腹は膨れないのだ。
「何と言うか……いや、好きなだけ食べてくれ……」
ずっと無言でコーデリアを見守っていたクライブの目には、哀れみが浮かんでいるようだった。
少し焦りすぎたようだ。テーブルマナーのずさんな、頭がかわいそうな子だと思われたのかもしれない。
コーデリアはタルトを食べ終えると、すまし顔で口を拭く。
「あの……厚かましいことをお尋ねいたしますが、本当にお昼にも食事をいただけるのでしょうか?」
「当然だ。足りなかったか?」
「いいえ、お腹がいっぱいです。満腹になったことなんて、いつ以来でしょう……しかもお昼も確約……次はいつ食べられるかの心配をしなくてもいいなんて、ここは楽園ですわ……」
うっとりとコーデリアが呟くと、クライブの眉間に皺がよる。
少し喋りすぎてしまったかもしれない。お飾りの妻は、口数も控えておいたほうがよいのだろう。
かつてリアだった頃に後ろ暗い仕事はいくつもこなしたが、お飾りの妻稼業は初めてだ。契約であるのだから、きっちり仕事は遂行したい。
だが、コーデリアにはやっておきたいことがあった。そのために、クライブにはもう少し会話を我慢してもらおう。
「料理人の方に、お礼を言いたいのです。厨房に行ってもよろしいですか?」
そう尋ねると、クライブはあっけにとられたような顔をした。
「厨房に……いや、まあ、行くのは構わないが……だが……そうだな、デニスをここに呼べ」
しばし迷った後、クライブは控えている使用人に命じる。
使用人は頷き、目元を拭いながら部屋を出ていった。目にゴミでも入ったのかと、コーデリアは首を傾げる。
「私が行きましたのに……あ、それとも厨房に入ってはいけないのでしょうか?」
「いや、それは構わないのだが……その前に、話しておきたいことがある。ここアーデンの地は、もともと行き場のない者たちが流れ着いた場所だということは知っているか?」
「はい。昔は流刑地とすら呼ばれるほど、困窮した地だったと伺いました」
コーデリアは頷く。
実家では食事はろくに与えられなかったが、勉強はさせてもらえた。歴史や地理の基礎知識はある。
戦争の英雄であるクライブには、アーデン領が与えられた。
王国の端に位置する、広大な荒れ地だ。農地には適さず、かといって何の産業もなく、行き場を失った人たちが流れ着いて身を寄せ合っている。
平面の地図上では広大な領地だが、実際には貧乏くじの地と言えるだろう。
平民上がりにはこれで十分だという、王都の貴族たちの声が聞こえてくるようだ。
「今は魔鉱石の発掘により、かなり財政が豊かになったと聞いております」
「そのとおりだ。採掘場は、俺がいなければ閉ざされるように細工してある。この地を奪おうとする者も諦めたというわけだ」
クライブは頷く。
彼が領主となってから、魔鉱石が採掘できる場所を見つけた話は有名である。
魔鉱石は魔道具の動力となるもので、王都の貴族たちには必須のものだ。質の良い魔鉱石は引く手あまたで、アーデン男爵領は一気に潤ったという。
欲深い貴族の中には、クライブから領地を取り上げようとする者もいた。だが、クライブが領地を離れると、採掘場は勝手に閉ざされてしまうのだ。
結局、クライブがいなければ魔鉱石を発掘できないことがわかり、欲深い貴族たちも諦めた。
そして今や、アーデン男爵家はかなり裕福な生活が可能となっている。
「先の戦争では、生き残ったものの、後遺症が残った兵士も多い。ここでは、そういった者たちを積極的に受け入れている。つまり、令嬢が顔を背けるような恐ろしい姿をした平民たちが、たくさんいるというわけだ」
「まあ……何て素晴らしいのかしら! ご立派ですわ、旦那さま!」
脅すようなクライブの口調だったが、コーデリアは感嘆の声をあげる。
前世のリアも後遺症が残り処分されるところだったのを、フローレス侯爵が養成所を作ったことにより救われた。
まさかクライブがそういった者を受け入れていたとは、本当に立派になったものだと、胸が感動に満たされる。
だが、クライブはコーデリアの反応に面食らったようだ。
「いや、ええと……おや、来たようだ。見てもらったほうが早いだろう。あの大男が料理長のデニスだ」
現れたのは、筋骨隆々たる立派な体躯のスキンヘッドの男性だった。顔面には何か所も刀傷が走っている。
確かに、令嬢や子どもが見れば泣き出してしまいそうな外見だ。しかし、かつてのリアは戦場に出たこともある。この程度の容姿は珍しくもない。
それよりも彼は片足をわずかに引きずっていた。かつてのリアのように、足に後遺症が残って引退したのだろうか。
「あなたが料理長ね。とても美味しい料理をどうもありがとう。きっとタルトは、私がデザートをなんて言ったから用意してくれたのよね。突然のことでごめんなさい。それと、足は大丈夫かしら? 今度から何かあるときは、なるべく私が出向くようにするわね」
コーデリアがにこやかに話しかけると、デニスもクライブも、控えている使用人たちまで、この場にいる全員が固まった。
何かおかしなことを言ってしまっただろうか。コーデリアは周囲を見回し、焦る。
「あ……ありがとうございます……とても光栄……です……まさか、足のことまでお気遣いを……」
ややあって、デニスが感極まったように口を開いた。
何故か涙ぐんでいて、コーデリアは何があったのかと首を傾げる。
「……奥方さまのために、昼食もご満足いただけるよう、全力を尽くします。もちろん午後の菓子も、夕食も、ご期待を裏切らないようにします……!」
決意を込めて、デニスは力強く誓う。
「まあ! 楽しみだわ!」
コーデリアは無邪気に喜ぶ。
何と、午後の菓子まであるらしい。幸せすぎて、恐ろしいくらいだ。夢なら醒めないでくれと切に願う。
未来に思いを馳せているコーデリアは、呆然とした顔でクライブが見つめていることに気付かなかった。