04.リアの最期
「クライブくんが、今の自分があるのはリア殿のおかげだと絶賛するのでね。彼ほどの実力者を育てるような秘訣があるのかと思い、会ってみたかったのだよ」
にこやかなフローレス侯爵だが、リアは背筋に冷や汗が流れる。
そのようなご大層なことは何もない。彼の実力はもともとだ。リアは恨みがましい目をクライブに向けてしまうが、彼はにこにことするだけだった。
「私もリアさまにお会いしたかったですわ。クライブがよく、自分の唯一の太陽だとか、道しるべを照らしてくれた光のように言っているのですもの。それに……」
「お嬢さま……!」
令嬢ブリジットが愉快そうに言うのを、クライブが慌てて遮る。
だが、ブリジットは気を悪くした様子もなく、くすくすと笑うだけだ。
平民に対してこれほど寛大に振る舞う貴族など、リアは初めて見た。
二人の姿を眺めて、お似合いだとリアは思う。
年齢も二人は同等程度に見える。美男美女で、まるで一枚の絵画のように輝いていた。
もしかしたら、二人の間には特別な感情があって、だからこそ令嬢が平民の振る舞いを咎めないのではないか。リアはその考えにたどり着く。
貴族と平民では身分違いで茨の道だが、リアは応援したい。
クライブは孤児だ。身内など存在しない。
だからこそ、教師であるリアを家族のように思っているのだろうか。
今回の件でリアを招いたのも、教師というよりは、クライブの家族扱いなのかもしれない。家族に近況を知ってほしかったのだろう。
「さて、座ってくれ。茶を用意させよう」
フローレス侯爵が呼び鈴を鳴らすと、メイドが茶を運んでくる。
慣れないふかふかのソファに座りながら、リアはおそるおそる茶を飲んだ。すると、これまでに味わったことがないような、爽やかさが全身に染み渡っていく感覚を覚える。
「……美味しい」
「銀月茶だ。貴族たちの間で、昔から愛飲されている。平民には出回ることのないものだ」
思わずリアが呟くと、フローレス侯爵が教えてくれた。
だからこれほど美味なのかと納得しつつ、リアは震えそうになってしまう。
「そ……そんな貴重なものを……」
「……貴族と平民の間にある壁は高いな」
恐れるリアを見て、フローレス侯爵は軽く息を吐く。
「魔力を持つことが貴族の証と言われるが、平民でもそういった者はいる。ところが、そういった魔力持ちでも、やはり気後れしてしまうものなのだろうな」
「……魔力は、おそらく生まれながらのものではなく、後天的に得られるものなので」
フローレス侯爵の嘆きを聞き、リアはぼそりと呟く。
その途端、フローレス侯爵がはっと息をのんだ。退出しようとしていたメイドも、一瞬だけ足を止める。
何かとんでもないことを言ってしまったのかと、リアは焦る。
「……それはとても興味深い話だ。だが、あまり他人に言うべきではないだろう。後日、改めてゆっくりと話を聞かせてもらいたい。それまで、誰にもこの話はしないでくれ」
「は……はい……」
真剣なフローレス侯爵の言葉に、リアはやや怯みながら頷く。
どうやら、触れてはならないことのようだ。
「リアさま、養成所のことをお伺いしたいですわ」
重くなった雰囲気を変えるように、ブリジットが違う話題をリアに振ってくる。
ほっとしながら、リアは聞かれたことに答えていく。
その後は当たり障りのない話題が続き、やがてお開きとなった。
「今日は良い時間を過ごすことができた。近いうちに、また話を聞きたい。これは足労願ったことへの礼だ」
帰り際に、フローレス侯爵から手土産の袋を渡された。
礼を言って別れ、帰りの馬車に向かうところで袋の中身を確かめてみる。
「おお……!」
思わず、リアの口から感嘆の呻きが漏れる。
中に入っていたのは、二本のボトルだった。名前は聞いたことがあっても、実際に見たことがないような高級な酒である。
リアの気分が一気に高揚する。先ほどの不穏な雰囲気のことも、全てが頭の中から吹き飛ぶ。
一本は早速今晩飲み、もう一本は何か良いことがあったときのために取っておくべきだろうか。リアはうきうきしながら、楽しい未来に思いを馳せる。
「先生……!」
早く帰ろうと馬車に乗り込もうとしたところで、クライブに引き留められた。追いかけてきたらしい。
高級な酒も、いわば彼のおかげだ。リアは足を止め、機嫌良く振り返る。
「先生、これは大きな功績になりますか?」
「もちろんだとも!」
尋ねられ、リアは満面の笑みを浮かべて頷いた。
教師の薄給では決して手が届かないような、高級な酒だ。素晴らしい功績としか言いようがない。
すると、クライブも顔を輝かせた。
「ということは、やっと……! あ、あの、俺、明後日が非番なんです。会えませんか?」
クライブからの誘いに、リアは考え込む。
どうやら彼もこの高級酒が気になるようだ。この国では、酒は大人の飲み物という認識だが、彼はもう卒業して一人前に働いている。酒を飲む資格はあるだろう。
分け前が減るなどという、ケチなことは言わない。そもそも、彼のおかげで得た酒だ。
「そうだな……いつまでも子ども扱いはよくないな。一人前の男として扱おう。明後日が非番というのなら……明日の夜、私の部屋に来るか?」
いつまでも教師と生徒の感覚でいるのはよくないだろう。
対等な存在として、酒を酌み交わすのもよい。せっかくなので、夜通し酒盛りをして語り合おう。
ただ、クライブはまだ酒に慣れていないかもしれない。二日酔いのことを考えれば、非番の前夜に飲むのがよいだろうと、リアは判断する。
「そ……それは……いいのですか……?」
クライブは顔を赤らめ、もじもじとする。
その初心な反応に、リアは首を傾げた。差し向かいで飲むことに戸惑いがあるのだろうか。
あるいは、高級酒をかすめとることを遠慮しているのかもしれない。一口飲めればよいくらいの考えだったところに、リアがあっさり頷いたため、気後れしたのだろうか。
「まあ、お前ならいいだろう。まさか、初めてか?」
「はい……そういった店に誘われることはありましたが、行ったことは……」
ぼそぼそとしたクライブの返事を聞き、リアは目を見開く。
酒場に誘われても行かなかったというのか。人見知りはかなり良くなったと思っていたが、消極的なところはなかなか変わらないらしい。
「そうか……それなら、これを機会に色々覚えていけ」
リアはクライブの肩をぽんと叩く。
養成所でも、クライブは最終的には周囲とそれなりに親睦を深めていた。慣れるのに少し時間がかかるだけで、やればできる子なのだ。
今回の酒盛りで経験を積めば、同僚とも酒場に行くくらいはできるようになるだろう。最初の一歩さえ踏み出せば、後は何とかなるものだ。
「は……はい!」
やや緊張した様子ながらも、クライブは元気に頷く。
素直でよいことだと、リアは微笑ましい気持ちに包まれた。
翌日、リアは教師の宿舎にある自室で、酒の準備をしていた。
フローレス侯爵からもらってきた高級酒が一番の目玉だが、それだけで一晩持たせることはできないだろう。他にも安酒を準備する。
準備が整うと、リアは部屋の結界を解く。普段は自分以外が入れないようにしてある部屋を、他人が入れるようにしたのだ。
クライブの魔力であれば、無理やりに通ることもできるだろうが、それでは招いておいて失礼だろう。
「さて、そろそろか」
すでに外は暗くなっている。クライブもそろそろ来る頃だろう。
リアは硬い椅子に座りながら、蚤の市で見つけてきたふかふかのクッションにもたれる。
そのまま目を閉じてぼんやりしていると、不意に気配を感じた。
「……来たか?」
クライブが来たのかと思い、リアは目を開けようとする。
しかし、その瞬間、首筋にちくりとした痛みが走った。急激に意識が黒く染まっていく。
「な……に……」
リアの全身から力が抜けていき、感覚が失われる。何も見えず、何も聞こえない暗闇の中、リアは死神が鎌を振り下ろす音を聞いたような気がした。
そして、その目が開かれることは二度となかった。