39.視察
うっすらとした緊張感を孕みながら、クライブは忙しく動き回っていた。
王都にこれといった動きはなく、今のところは平穏だ。だが、いつ何を仕掛けてくるかわかったものではない。
今のうちに準備しておこうという考えもあるようだ。
「コーデリア、今日はどんな一日でしたか?」
それでもクライブは、せめて夕食はコーデリアと共にしようと、時間を作っている。一日の出来事を話すのが、最近の日課だ。
「アーデン領について学びながら、少しずつ仕事の手伝いも始めたわ。まだ書類整理程度だけれど、早く役に立てるように頑張るわね」
今までは三食昼寝付き生活を満喫し、それ以外のことはせいぜい魔術実験しかしてこなかったコーデリアだが、仕事の手伝いを始めたのだ。
クライブが忙しく働いているのに、自分だけぼんやりとしているわけにはいかない。重荷を共に背負えるよう、学んでいるところだ。
ただ、それでも昼寝や午後の茶の時間は確保されているので、クライブだけではなく使用人たちにも甘やかされていると、コーデリアは思う。
「ありがとうございます。あなたが俺と一緒に歩んで行ってくださるなんて、天にも昇るような幸福です」
クライブは嬉しそうな笑みを浮かべる。
いつものことではあるが、こうも素直に感情を表現されると、コーデリアは少し恥ずかしくなってしまう。
「ええと……アーデン領は広大な荒れ地だったはずだけれど、最近は農作物も収穫できるようになってきているのね」
照れ隠しのように、コーデリアは領地についての話題を持ち出す。
「そうですね。以前はまともに育つ作物がろくになかったんですが、土壌改良の成果が出てきたようです。まだまだ痩せた土地でも育つようなものばかりですが、それでもかなり改善されましたよ」
「それは素晴らしいわね。クライブは領主としてずっと頑張ってきたのね」
コーデリアが心からの賛辞を述べると、クライブは心地よさそうに目を細めた。
「そう言ってもらえると、これまでのことが報われたようです。あなたのためにも、アーデンをもっと豊かにしましょう」
アーデン領とは、魔鉱石で豊かになった地だ。
嫁ぐまでのコーデリアもそれ以外の名産は聞いたことがなく、おそらく大抵の者も同じように思っているだろう。
だが、実際に領内の仕事に触れるようになってみると、それ以外の産業にも力を入れているのだとわかった。
それらの成果が表にはなかなか出てこないのは、もしかしたら王都に隠そうとしているのかもしれない。
「明日は、午前中に農地の視察に行く予定です。よろしければ、一緒に行ってみますか?」
「まあ、私も行っていいの?」
「もちろんです。転移で行くので、準備も必要ありませんよ」
思いがけない誘いに、コーデリアは心が浮き立つ。
領地の視察に行くのは初めてだ。実際に自分の目で見ることで、書類上ではわからない現場を少しでも知ることができるだろう。
すでにアーデンはコーデリアの故郷となっている。この地を良くしていきたいと、心から願った。
翌朝、コーデリアは旅行用の動きやすいドレスを着て、視察に向かった。
クライブに転移で連れて行ってもらうのだが、王都から転移したときのように、目まいのようなものを覚える。
それでも前回より楽になるのも早かったので、次第に慣れていくものなのかもしれない。
「領主さまご夫妻が……何という光栄な……」
迎えてくれた領民たちは、クライブとコーデリアを見て感動していた。
好意的に受け入れてくれているようだと、コーデリアはほっとする。
「こちらは二年前から植え始めた作物ですが、順調に育っています」
案内されたのは、一面の緑が生い茂る畑だった。
瑞々しい葉が風に揺れ、たくましい生命力を感じさせる。荒れ地だったとは思えない、豊かな光景だ。
畑では作業をしている者もいて、その中の一人をコーデリアは見たことがあるような気がした。
だが、よく思い出せずにいるうちに移動したので、気のせいだろうと片付ける。
「収穫はまだ先ですが、今年は去年より期待できると思います」
「それは良かった。以前の改良した種か?」
「はい。領主さまが以前……」
クライブは責任者と話しているようだ。
しっかり領民と向き合っているのだなと、コーデリアはクライブを誇らしく感じる。
「奥方さま、果実を搾ったジュースです。先ほど収穫したばかりのものです」
コーデリアには、黄金色に輝くジュースが差し出された。
毒味だというように、領民が同じ水差しから注いだジュースを一口飲む。
細やかな心遣いだと微笑みながら、コーデリアはジュースを飲んだ。
爽やかな酸味と程よい甘みが広がり、瑞々しくすっきりとした味わいだった。
「まあ、美味しいわ……!」
これまで飲んだジュースの中で、一番美味しいかもしれない。
コーデリアは思わず口元がほころぶ。
すると、見守っている領民たちも、ほっとしたように笑った。
その後はジュースの原料となった果実も見せてもらった。
色々な作物を見たり話を聞いたりと、あっという間に時間は過ぎていく。
やがて時間になり、コーデリアはクライブの転移で一緒に屋敷に戻ってくる。
「視察はどうでしたか? 楽しめましたか?」
「ええ、とても楽しかったわ! あんなにたくさんの作物を見たのは、初めて。栽培法も、色々な工夫をしているんだなと感心したわ。ジュースも美味しかった……!」
やや興奮気味にコーデリアが語るのを、クライブはにこにこしながら聞いていた。
「楽しんでもらえたようで何よりです。ところで、元養成所にいた人間がいたことには、気付きましたか?」
「えっ……!? まさか……そういえば……」
驚きながらも、コーデリアは畑で作業していた者の一人を、見たことがあるような気がしたことを思い出す。
まさか、養成所にいた平民魔術師だったのか。
「気付いたようですね。彼は、国では死んだことになっています。もう殺伐とした生き方は嫌だ、土と共に暮らしたいと望んだので、あそこで働いてもらっています」
「そうだったのね……」
何だかんだと言って、クライブは平民魔術師にも手を差し伸べていたのだ。
もしかしたらこれまでも、積極的に動いていなかっただけで、頼られたら受け入れていたのかもしれない。
コーデリアは感動で、胸がいっぱいになる。
「俺のこと、好きになってくれましたか?」
口元には微笑みを浮かべながら、クライブの眼差しは真剣だった。
コーデリアは紫色の瞳から目が離せず、言葉がうまく出てこない。
だが、答えなど決まっている。もうとっくに、好きになっているのだ。
「そ……その……私もクライブのこと……」
戸惑いながらも、コーデリアは意を決して口を開く。
まるでこの世には見つめ合う二人しかおらず、それ以外の時が止まったようにすら感じられる。
「とうとう王家の使者がやって来ました!」
ところが、二人を引き裂くかのような知らせが響いた。
甘い雰囲気は砕け散り、時は動き出す。
そしてクライブは、怒りと悔しさをにじませた凄まじい形相になっていた。





