38.もう一押し
「旦那さま。奥方さまと愛を語り合うのは、私としても賛成ではあるのですが、その前に当面の問題を片付けていただきたく存じます」
冷静なセスの声が割り込み、クライブは舌打ちしそうな表情を浮かべる。
「無粋なことを……」
「そ、そうよ。問題があるのなら、先に片付けるべきたと私も思うわ」
忌々しそうにセスを睨むクライブに向け、コーデリアはすっかりお花畑の住人になってしまった彼を引き戻そうとする。
すると、クライブは表情を和らげた。
「あなたがそう言うのなら、そうしましょう」
コーデリアが拍子抜けするくらい、あっさりとクライブは頷いた。
セスもあまり表情は動いていないが、どことなく呆れたような雰囲気だ。
「後ほど、領内を何か所か回ってください。転移すればすぐに終わるでしょう」
「転移で行けるということは、いつもの場所ばかりだな。わかった」
セスとクライブの話は、コーデリアにはわからない領内の問題のようだ。
邪魔になるのなら退出するべきだろうかと、コーデリアは迷う。
「ああ……転移というのは、印をつけた場所にしか行けないんです。見知らぬ場所はもちろん、単に行ったことがあるだけの場所も、転移はできません。王都にも印をつけてきたので、その気になれば国王の寝首をかきにも行けますよ」
コーデリアがそわそわしているのを、転移への疑問と思ったらしい。クライブはにこやかに説明してくれる。
ただ、その内容にはかなり物騒なものも含まれていた。
「そ……そうなのね……そうだわ、クライブも養成所を出るときに国を裏切らない制約を立てているはずよね。それは大丈夫なの……?」
前世の記憶では、平民魔術師は国を裏切らないように制約を立てさせられていた。当然、クライブも立てているだろう。
そこのことに気付くと、コーデリアは今までのクライブの行動はかなりきわどかったのではないかと、背筋が冷たくなっていくようだ。
「そんな制約、とっくにはずしましたよ。うっとうしいですから」
しかし、クライブはこともなげに答える。
制約をはずせるなど、初耳だ。コーデリアは呆然とクライブを見つめる。
「……はずせるの?」
「自発的なものでしたら無理ですけれどね。国に対する制約は、一種の儀式なんです。国の強制力を上回る魔力で打ち消せますよ。もっとも、それができる平民魔術師なんて滅多にいませんけれど」
「もしかして、他人が国に対して立てた制約も、クライブならはずせるの?」
「本人の同意があれば可能です」
養成所に入る前から天才と言われていたクライブだが、本当にそのとおりなのだなとコーデリアは感じ入る。
「まさか、まだ制約が残って……」
「いえ、それはないみたい。大丈夫よ」
心配そうなクライブに、コーデリアは慌てて首を横に振る。
前世のリアは国に対する制約を立てていた。それが残っているのかと思ったのだろう。
だが、生まれ変わってまでついてくるものではなかったようだ。今のコーデリアは、何の制約も残ってはいない。
「……私が思ったのは、制約がなければ、使い潰されている平民魔術師たちの逃げ道にならないかなって……」
「ああ……そういうことですか……」
やや歯切れ悪く、クライブは呟く。
どうやら、あまり賛同してはいないようだ。
それも仕方の無いことだろうと、コーデリアはやや寂しく思いながらも納得する。
平民魔術師たちに対する罪悪感を和らげようと、クライブを利用するようなものだ。コーデリアの個人的な都合にすぎず、身勝手としか言えないだろう。
「そうよね……勝手なことを言ってごめんなさい」
「いえ、奥方さま。もっと旦那さまに言ってやってください。これ以上責任が重くなるのは嫌だとか、面倒なのはごめんだとかで、旦那さまは腰が重いのです。やっと今回、動く気になったようなので、この際一気に行うべきです」
思いがけず、セスからの援護があった。
「魔術師なんて、自分に力があるんだから自分で何とかすればいいだろう。……大体、奴らは先生が殺されたときも動くどころか……いや、でも当の本人が望んでいるのか……うーん……」
ややふてくされたように、クライブは言葉を吐き出す。
途中からは一人でぶつぶつと何かを呟いているようだったが、コーデリアにはよく聞こえなかった。
「そのやる気のなさが、これまでの国からの冷遇にも繋がっているのですよ。平民魔術師を取り込むことは、互いの利益になることです。それなのに、いつまでも言い訳ばかり……このままでは奥方さまに嫌われてしまいますよ」
セスの言葉に、クライブはぎょっとした顔をする。
おそるおそるコーデリアの様子をうかがってくるクライブに、何と言ってよいものかわからない。
だが、そこにセスが口の動きだけで何かを訴えてくる。どうやら『なにか、もうひとおし』と言っているようだ。
クライブの負担を増やすことに、申し訳ない気持ちはある。
だが、クライブでなければできないことがあるのだ。
背負わせてしまう重荷は、自分も共に持つことをコーデリアは決意する。
クライブを動かすことは恥さえ捨ててしまえば、簡単なことだ。そして、共に背負うと決心した以上、その程度のことから逃げてはいけない。
「その……平民魔術師たちのために動いてくれたら、きっと私はクライブのこと、もっと好きになると思うの」
恥ずかしさをこらえながら、それでもコーデリアはしっかりとクライブを見据えて口を開く。
すると、クライブが唖然とした顔で固まった。
「……今すぐ、取りかかります」
ややあって、力強いクライブの声が響く。
一瞬にしてやる気に満ちあふれたクライブと、にこにこしているセスを見比べ、コーデリアはいたたまれなくなって宙を仰いだ。





