37.不安
コーデリアが目を覚ますと、すっかり日が高くなっていた。
もう昼に近いだろうか。思った以上に疲れていたらしい。かなり寝坊してしまったと、急いでコーデリアは起きる。
「奥方さま、おはようございます。お着替えの準備をしますね」
「お食事もお部屋にお持ちしますので、お待ちください」
すると、隣の部屋にいたジェナとミミが、普段と同じようにやってきた。
日常に戻ってきたのだと、コーデリアはほっと息をつく。
「おはよう。すっかり寝過ごしてしまったわ……」
「お疲れでしたから、無理もありません。旦那さまも、ゆっくり休ませて差し上げろとおっしゃっていました」
コーデリアは顔を洗い、着替えながら、ジェナといつものように会話を交わす。
準備を終えて寝室から居間に移ると、すでにミミが食事を運んできていた。
いつもは食堂に行くのだが、今日は寝過ごしたコーデリアのために、部屋で食べられるようにしてくれたらしい。
それも、スープからは湯気が立ち上っていて、料理人たちの気遣いを感じる。
「準備してくれたのね……ありがたいわ。ああ……やっぱり、ここの食事が一番美味しいわ……」
王宮では高級な食材を使った豪華な食事が出たが、どこか味気なかった。美味しいが、何かが足りないのだ。
やはり家での食事が一番だと、コーデリアは幸せを噛みしめる。
「あら? このお花……」
ふと、テーブルに色とりどりの花が飾られていることに気付き、コーデリアは首を傾げる。
コーデリアには花を飾るという習慣がなく、飾ってみようと思いつきもしなかったのだ。それなのに、鮮やかな花がテーブルを彩っている。
「それは今朝、旦那さまが奥方さまにと持ってきたお花です!」
「奥方さまはこのお花を気に入ってくれるだろうかと、旦那さまは気にしておいでで……旦那さまから奥方さまへの愛情を感じました!」
やや興奮気味に、ミミとジェナが答える。
二人の顔はどことなく誇らしげで、満面の笑みを浮かべていた。
「……そうだったのね……クライブが……」
前世も含めて花など贈られたことのないコーデリアは、戸惑う。
少し気恥ずかしいが、鮮やかな花を見ていると心も晴れやかになるようで、胸に温かいものが広がっていく。
「先日はお忙しさからのすれ違いがありましたが、やっぱり旦那さまは奥方さまのことを大切に思っておいででしたね……!」
「さらわれた奥方さまを颯爽と助けに行く旦那さま……まるで、物語のようでした……!」
キラキラとした眼差しを向けてくる二人に、コーデリアは居心地の悪さを覚える。
「そ……そうだわ、話をしないと……執務室に行ってくるわ」
ごまかすように、コーデリアはそう呟く。
照れ隠しではあるが、詳しく話をしたいのは本当だ。
コーデリアは食事を終えると、部屋を出た。込み入った話になるからと、ジェナとミミは置いて、一人で執務室に向かう。
「おはようございます、コーデリア。体調は大丈夫ですか?」
執務室にいたクライブは、にこやかにコーデリアを迎える。
それまでは執事セスと何かを話していたようだったが、完全に放り出して、部屋の入り口までやって来た。
「お……おはよう……ゆっくり寝かせてもらったから、体調は大丈夫よ」
わざわざ目の前までやって来たクライブに困惑しながらも、コーデリアは問題ないことを答える。
「それは良かったです。さあ、こちらにどうぞ」
コーデリアの手を取り、クライブは椅子をすすめる。
何と言ってよいかわからなかったが、コーデリアは頷いて椅子に腰掛けた。
「おはようございます、奥方さま」
「おはよう……」
放り出されたセスが礼儀正しく挨拶してくるのに、何となく気まずい思いを抱えながら、コーデリアも応える。
「あの……王都はその後どうなっているのか、わかるかしら……?」
空気を変えようと、コーデリアは質問を投げかける。
「昨日の今日なので、まだこれといった動きはないようですね。神殿から光が飛び出していったのを見たという話もありましたが、噂の域を出ないようです」
クライブが穏やかに答える。
とりあえず、今のところは国王も動いていないらしい。これから国王が何をするのだろうかと、コーデリアは不安がわき上がってくる。
「国王が立てた、コーデリアを返し、アーデン領にも手出ししないという制約は有効です。破ることはできないでしょう」
そういえば、クライブと国王が互いに制約を立てていたことを、コーデリアは思い出す。
国王の立てた制約は、扉が開けた場合にのみ有効という条件だったが、扉は開かれている。本人の望んだ結果が得られなかったとはいえ、制約は有効だろう。
少しだけ、コーデリアは胸を撫で下ろす。
「ただ、例えば現在の国王が退位して、次の国王になったとすれば、制約は関係なくなります。制約は個人のものですから。その場合だと、アーデン領に攻め入ることも可能なので、当分は相手の様子見ですね」
だが、続くクライブの言葉で、コーデリアはそっとため息を漏らす。
やはりそううまくはいかないようだ。
「でも、コーデリアは何も心配することはありませんよ。俺たちの邪魔をするようなら、こちらだって手段は選びません。攻めてきたところで、アーデン領にたどり着く前に全滅させてやりますよ」
にこやかに恐ろしいことを言い放つクライブは、頼もしかったが、少し恐ろしくもあった。コーデリアは引きつった笑みを浮かべる。
「俺はそんなことより、あなたの好きな花は何かとか、どんなことをすれば喜んでもらえるかといったことのほうが、重要なんです。それに比べれば、国王たちのことなんて、些末ごとでしかありません」
甘い笑みを浮かべるクライブに、コーデリアはさらに表情を引きつらせる。
これで大丈夫なのだろうかと、別の不安が襲いかかってきた。





