32.コーデリアの幸福
床の上で身をよじる国王を、クライブは忌々しそうに見下ろす。
せっかくの楽しい時間を邪魔されたとでもいうように、舌打ちしかねない表情だ。
「……そういえば、これがいましたね。衝撃的な出来事ですっかり忘れていましたが、大丈夫でしたか?」
「ええ……近付いてきたから、無意識に眠らせる魔術を使ったみたいなの。養成所が私のせいで潰されたって聞いて、ショックで……そうよ……私のせいで、平民魔術師たちが……」
思い出してきたら、コーデリアは罪悪感で震えそうになってしまう。
すると、ずっとコーデリアに触れていたクライブの腕が、再び力を強める。
「落ち着いてください。あなたのせいではありません。もともと、こいつらは力をつけてきた平民魔術師たちを排除したかったんです。養成所を潰す隙を狙っていて、たまたまきっかけの一つになっただけです。あなたのことがなかったとしても、いずれ養成所は潰されていました」
クライブはコーデリアの背中を撫でながら、優しく語りかけてくる。
大きな手の温もりが、ゆっくりとコーデリアを落ち着かせてくれるようだ。
「というか……かつて先生を殺したのは、こいつらだったんですか……? ある程度予想はしていましたが……本当に……」
怒りのにじんだ声が、クライブの口から漏れる。
それを聞き、コーデリアは自分の罪悪感などいっとき忘れるほど、背筋が凍り付くような恐怖に覆われる。
「先生を殺したのは隣国の密偵と聞いて、俺は隣国との戦闘に身を投じたんです。あのとき、もし真実を知っていれば……」
「ク……クライブ……苦し……」
コーデリアを抱き締める腕に、力が入る。
思わずコーデリアが悲鳴を漏らすと、クライブはすぐに力を抜いた。
「ああ……申し訳ありません。つい、力が……今後、気を付けます」
本当に申し訳なさそうに、クライブは謝罪してくる。
直前までの怒りに満ちた姿とは打って変わって、うなだれたような様子だ。
どうか嫌わないでください、と訴えるような目をしている。
「だ……大丈夫よ……」
あまりの落差に戸惑いながらも、コーデリアは何か言わなくてはと、一言だけ口にする。
すると、クライブの顔に微笑みが戻った。
「ありがとうございます。どうか、俺に任せてください。こいつらに報いを受けさせてやります。あなたは何も悪くない。悪いのは全部、こいつらなんです」
クライブは穏やかにそう言うと、名残惜しそうにコーデリアから離れた。
そして、床に転がる国王の前まで近付くと、足を止める。
「起きろ、妻をさらった盗人が」
クライブが冷淡に言い放つと、国王が目を開けた。眠りから覚ますための魔術を使ったようだ。
国王はきょとんとした顔で周囲を見回し、クライブの姿を見つけてぎょっとする。
だが、すぐに状況を把握したのか、国王の顔が怒りに染まっていく。
「下賤の身で……どうやって入り込みおった」
「悪くない結界だったが、俺を止めるには足りない。しかも、魔鉱石に頼りすぎだ。過去の魔道具をずっと使い続けているんだろう? もう、ろくな魔術師がいないと見えるな」
「……アーデン領を滅ぼしてやる。卑しい者どもめ」
国王は悔しそうにクライブを睨みつける。
内容を否定することはなかったので、図星なのかもしれない。
「その前に、俺は高貴な国王陛下の首を落とせるぞ。王宮の尖塔に飾ってやろうか。きっと、国をよく見渡せるだろう」
だが、クライブは余裕ある態度のまま、鼻先で笑い飛ばす。
国王は言葉に詰まり、歯ぎしりした。
「……何が望みだ」
ややあって、屈辱をこらえたように国王は口を開く。
この場でまともに戦って、クライブ相手に勝てる自信はないらしい。
「妻を返してもらおう。アーデン領を滅ぼすつもりなら、やってみろ。俺の編み出した広域魔術の真価が、戦争で見せた程度のものと思うな。妻を守るためなら、本気を出すことに何のためらいもない」
まるではったりのような台詞だが、クライブの声には自信があふれている。
これまでは本気を出したことがないような口ぶりだ。
だが、もしかしたら必要以上に危険視されないため、力を隠していたのかもしれない。仮にそうだとすれば、どれだけの力を秘めているのだろうかと、コーデリアは恐ろしくなってくる。
「……うぬぼれるな。それほどの力があるものか。後悔するぞ」
「ならば、試してみればいい。後悔するのはどちらか、わかるだろう」
クライブは一歩も引かない。
言葉に詰まる国王は、明らかに押し負けている。
「……お前などのもとに、王家の血を引く娘を送ったのが、そもそもの間違いだった。間違いは正されなくてはならぬ。見逃してやるから、さっさと失せろ」
「まだ、自分の立場がわかっていないと見える。俺が、平和的に話し合いをしてやっているんだ。話し合う気がないのなら、力に訴えるだけだが、いいのか?」
「これだから下賤の者は……コーデリアはお前のような身も心も卑しい者になど、ふさわしくない」
コーデリアの名を出され、これまで余裕を浮かべていたクライブが、眉をぴくりとわずかに動かす。
「余はコーデリアをいずれ正妃にするつもりだ。そうなれば、王国第一の女性となり、やがては母后として権力すら握れる。これ以上の幸福など、あるものか。お前ごときでは、コーデリアを幸せにできぬ」
「そんなものが幸福か。笑わせる。地位や身分で、誰もが満たされると思うな。まして、数いる側妃の一人だろう。俺はコーデリア一人だけに心を捧げ、ずっと愛し続ける。どう考えても、こちらのほうが幸福だろう」
「はっ、若造が。そのような青臭い理想、現実の前には無力だ。女の幸福、女の本懐とは何か、さっぱりわかっておらぬ」
「愛し、愛されること以上の幸福などあるものか。哀れなものだ」
「何もわかっておらぬな……いいか、コーデリアにとって……」
「いや、コーデリアは……」
当の本人であるコーデリアを置き去りにして、国王とクライブが言い争いを続ける。二人でコーデリアの幸福について論じているようだが、だんだんと苛立ちが募ってきた。
どうして、他人にコーデリアの幸福を決められなくてはならないのか。
「いいかげんにしてください! さっきから、勝手なことばかり……!」
とうとうコーデリアが声を荒げると、国王とクライブは口をつぐんだ。二人はおそるおそるといったように、コーデリアを見つめてくる。
「私の幸福は、私が決めます! 他人にこうだと、押し付けられるようなものではありません! 人の心まで勝手に決め付けようとするの、本当に気持ち悪いわ!」





