28.クライブの決意
クライブが緊急の用件で採掘場に呼び出され、帰ってくるとコーデリアが王家の使者に連れ去られていた。
しかも、婚姻が無効であるとの通知まで残されていた。コーデリアはこれから王族の一員となるそうだ。
執務室で通知書を見つめながら、クライブは唖然とする。
「……奥方さまのこと、これでいいのか?」
冷たいセスの声が響く。
いつもは執事としてわきまえているセスだが、まるで魔術師部隊にいた頃に戻ったかのような態度だ。
クライブは、セスの言葉を苦い思いで噛みしめる。
ほぼ最初からコーデリアには好意を持っていた。初夜こそ冷たくあしらってしまったが、翌朝には改善している。
女として見ていたわけではないが、一人の人間として好ましかった。
美味しそうに食べる姿も、気さくなところも、クライブのことを気遣ってくれるところも、一緒に暮らすことが心地よく思えたのだ。
だが、先日、コーデリアの美しさに気付いてしまった。
彼女の妹だという女の侮辱に反撃するためにコーデリアの美しさを称えたが、言ったことは全て本心だ。
それまで考えもしなかったことを、意識してしまった。
しかも、クライブの永遠の想い人であるリアと、コーデリアの姿が重なってしまったのだ。
まっすぐに前を見据える瞳、強い意志の宿った口元。かつてクライブがリアに心を奪われた美しさと同じものだった。
まさか知らぬ間に、コーデリアに惹かれていたのかと、愕然とした。
このままではクライブの心に生きるリアに対する裏切りとなってしまうと、距離を置くことにしたのだ。
「……王族の一員となるのなら、こんな僻地にいるよりも華やかな暮らしができるだろう。きっと彼女にとっても、そちらのほうが幸せなはずだ」
己に言い聞かせるように、クライブは呟く。
「本当にそう思っているのか? 奥方さまにとって幸せだと?」
「……奥方じゃない。もともと、白い結婚だった。それがさらに白紙に戻っただけのことだ」
俯きがちに、クライブは声を絞り出す。
本来あるべき姿に戻っただけのことだ。
「奥方さまは、国王の側妃になるようだ。すでに六十近い老人だぞ」
「それでも……俺よりは……」
女として愛してやれない自分の側にいても、コーデリアは幸せになれないだろう。
たとえ年寄りであっても、国王は国一番の権力者だ。そういった存在に愛されるほうが、幸福ではないだろうか。
「なあ、クライブ。お前、本当は奥方さまに惹かれているんだろう?」
見透かしたようなセスの言葉に、クライブははっとする。
唖然としながら友人の顔を見つめたクライブは、ややあって俯く。
「……だが、それは先生への裏切りだ」
か細い声が口から漏れる。
惹かれていることを否定はできなかった。だから、まだ本気になる前に、この気持ちを終わらせてしまいたい。
すると、セスは大きなため息を吐き出した。
「その先生っていうのは、お前が幸せになるのを許さないような、陰険でケチな女だったのか?」
「先生を侮辱する気か!」
敬愛するリアの悪口に、クライブは頭に血が上る。
恫喝するが、セスはまったく怯まなかった。
「お前の言う先生っていうのは、心の広い優しい人だったんだろ? そんな人が、お前が新たな人生を歩んだら裏切りだなんて言うのか? むしろ、前を向いて進んで欲しいと思っているんじゃないのか?」
「それは……」
クライブは何も言い返せず、唇を噛みしめる。
おおらかだったリアなら、セスの言うとおり、クライブが過去に囚われることのほうを望まないかもしれない。
裏切りだというのも、クライブの勝手な言い分なのだろうか。
己の独りよがりだと突きつけられて、反論することができなかった。
「さらわれた奥方さまを助けないことのほうが、先生は失望するんじゃないのか?」
畳みかけるようなセスの言葉に、クライブはじっと黙って考え込む。
契約結婚とはいえ、一度は妻と呼んだ相手をあっさり見捨てるような男など、願い下げだ。そう言うリアの声が聞こえてくるようだった。
都合の良い妄想かもしれない。だが、ここでコーデリアを見捨てるほうが失望されることは、間違いないだろう。
己の想いがどうであるかは、今は問題ではない。妻をさらわれて泣き寝入りするような男を、きっとリアは認めないであろうことが重要なのだ。
クライブはこれまでの思いを振り払い、まっすぐに顔を上げる。
「……そうだな。そもそも、俺やアーデン領を舐めすぎだ。これまではあえて波風を立てることもないだろうと黙っていたが、これだけのことをされて何もしないわけにはいかないよな」
「そのとおりです、旦那さま」
満足そうに頷くセスが、執事に戻った。
友人としての忠告は終わったらしい。
「戦争で見せた力が俺の全てだと勘違いしている連中に、目に物見せてやろう。アーデン領から王国に対する忠誠を奪ったのは、王国自身だ。己の行いに報いを受けるときがきたのだと、思い知らせてやる。セス、準備をしてくれ」
「かしこまりました。とうとう、旦那さまがその気に……」
うやうやしく頷きながら、セスの声には隠しきれない喜びがにじんでいる。
「俺は妻を取り返しに行ってくる」
「はい、どうぞお気を付けて。急いだほうがいいでしょう」
「そうだな。その……少々、別のことで戸惑いはあるが……」
急ぐべきではあるが、いざコーデリアに会ったらどういう顔をしてよいのかわからない。クライブは眉根を寄せる。
しかし、セスはにこやかな笑みを崩さない。
「奥方さまは心の広いお方です。旦那さまが煮え切らない情けない男でも、当分の間は待っていてくださるでしょう」
「……当分の間、か」
思わず、クライブの口元に苦笑がわき上がってくる。
ただ、今は余計なことを悠長に考えている時間はない。まずはコーデリアを取り戻すことからだ。
決意をこめ、クライブは魔術を発動させるべく、集中した。





