12.ささやかな望み
「それにしても、見事に弱点を突いて倒しているな。……昔、俺が世の中を舐めきっていた頃、野外演習で見せられた手本のように的確だ」
クライブが倒れている一角猪を眺めながら、呟く。
それを聞いて、コーデリアは開きかけた口をつぐんだ。
かつてのリアの記憶では、クライブがまだ養成所に入ってきて間もない頃、野外演習があった。
思い返せば、この野外演習の後から、刺々しかったクライブの態度が和らいでいったようだ。きっと、皆で美味しい肉を食べたことにより、少し心を開いたのだろう。
このときのことを前世の記憶の証明として話せばよいと、コーデリアは再び口を開こうとする。
「……あのときの俺の無様な姿を見た……を、全て消し去ってやりたい。特に先生……」
だが、続くクライブのぼそぼそとした小さな呟きを拾い、コーデリアはまたも口を閉ざす。
背筋には冷たい汗が流れていく。
リアの記憶によれば、野外演習にて、弱点など知らなくても大きな力で吹き飛ばせばよいという考えだったクライブは、見事に失敗した。
実際のところ、その考えは間違いとは言い切れないのだが、まだクライブは未熟だったのだ。また、小さな力で倒せるのなら、それに越したことはない。
結果として、一角猪に吹き飛ばされたクライブは、よい教材だった。リアが見せた手本が、より強調されることとなったのだ。
失敗の一つや二つ、よくあることだとリアは深く考えていなかった。
だが、クライブにとってはリアを消し去りたいほどの恨みとなっていたのか。
その後、リアに懐いているように見えたのは、近付いて弱点を探ろうとしていたのかもしれない。
教師のリアとしては、自分の屍を超えて生徒が成長してくれるのなら、その礎となるのもやぶさかではなかった。
だが、コーデリアとしては話が別だ。
「ああ……余計なことを言ってしまった。それよりも、どうやって一角猪を倒したんだ?」
「そ……それは……一瞬だけ、魔術が使えたようなのです」
コーデリアは必死に一角猪を倒したときの状況を思い出し、それらしい理由を探し出した。
リアの生まれ変わりであることは、明かすべきではないだろう。もし今から復讐をと言われてしまっては、たまったものではない。
せっかく今は三食昼寝付き、茶と菓子までそろった楽園生活を得たのだ。決して手放したくはない。
「魔術を? 魔力がないという話を聞いたが」
「はい、確かに魔力なしと言われています。ですが、危機が迫ったことにより、普段は使わない力がそのときだけ目覚めたのかもしれません。今はうまく使えなくなっています」
言い訳ではあるが、何も間違ったことは言っていない。
身体強化の魔術を無意識に使ったのはおそらく本当で、今は魔力をうまく流せないのも事実だ。
「一角猪の弱点は、知識として知っていました。倒さなければ自分がやられると思って、無我夢中で……それで、どうやら魔術が使えたようなのです」
多少の誇張はあるが、おおむね間違ってはいない。たとえ嘘を感知する魔術を使ったとしても、発見できないだろう。
クライブは訝しげな顔をしていたが、何も言うことなく、考え込んでいた。
「確かに、危機的状況で普段以上の力を発揮することは、珍しくもないことではあるが……その日傘が折れるような衝撃を……」
ややあって口を開いたクライブだが、その言葉でコーデリアははっとする。
すっかり忘れてしまっていた。
「そ……そうでした! 旦那さまがせっかく用意してくださった日傘を、折ってしまったのです。申し訳ございません!」
謝罪が遅くなったと焦りながら、コーデリアは頭を下げる。
日傘一本の犠牲で命を守れたのだし、間違った行為だったとは思わない。
だが、せっかくクライブが用意してくれた物なのだから、それを壊したことに対する謝罪は必要だろう。
「別にそれくらい構わないが……」
あっけにとられたように、クライブは答える。
「日傘を折ってしまったのは私ですので、お咎めがあればどうぞ私に……」
日傘のことで使用人たちに累が及ぶのは避けたい。せっかく大きな罰は受けずに済むことになったのに、これで万が一クライブが気を変えてしまっては困る。
おそらくそれはないだろうとは思いつつ、念のためにコーデリアは責が自分にあることを強調した。
「いや、きみに贈った物は全てきみの好きに使っていい。きみのための物だ。壊したところで、咎めることなどない」
クライブの返答に、コーデリアはほっとする。
やはり日傘一本で処刑だ何だと騒ぎ立てるほど、クライブの器は小さくなかったようだ。
「むしろ、それでよく身を守ってくれた。さすがに、きみに何かあっては色々と問題が起こっていただろう。咎められるべきは俺だ。危険な目に遭わせてしまって申し訳なかった。償いに、何か望みがあれば言ってくれ」
さらに、思ってもいない方向に話が進んだ。
望みを言う権利を得たらしい。コーデリアは本当によいのだろうかと、少しあたふたとしてしまう。
「……本当に望みを申し上げてもよろしいのですか?」
「ああ、もちろん」
頷くクライブを見て、それならば遠慮などしないと、コーデリアはまっすぐに顔を上げて口を開く。
「午後のお茶とお菓子も、毎日の日課として正式に取り入れてください」
「……そんなことでいいのか」
クライブの声にはやや呆れが交じっているようだったが、コーデリアは頷いた。
これほどすぐに契約更新は少し図々しかっただろうか。少しだけ、コーデリアは焦りを覚える。
「わかった。それ以外にも何か考えておこう」
だが、クライブは了承してくれた。
しかも、さらにボーナスが発生するらしい。気前の良いことだ。
「もし可能でしたら、お茶には銀月茶をいただきたいです」
「銀月茶? ああ、いいだろう」
ある考えがあり、コーデリアは申し出てみるが、それもクライブは頷いた。
貴族の飲み物である銀月茶について、思うことがあったのだ。これで実験ができると、コーデリアはにっこり笑った。