8時
この国では15歳を成人と定め、デビュタントと称する祝賀会が、王家主催で毎年開かれている。そこでは貴族や資産家の子息令嬢が、家門の財力を競い合うように華やかに着飾り、王家の祝福を受けるのだ。
わたしだって教養としての知識はある。綺麗なところなのだろうな、と淡い憧れもあった。
だが実際に自分が参加するのは別問題だ。
「むっ……むり、むりよ、何を言ってるの、そんなのむり」
顔面蒼白で首を振るわたしに、パームキンはゆっくりと同じく首を左右に振った。
「いいえ。無理ではありません」
「たとえあなたが力を貸してくれて、会場に行けたとしても、わたしのこの顔でどうやって参加しろって言うの……!?」
自分で鏡を見るのも嫌になるほどの顔なのだ。こんな薄汚い小娘が着飾ったところで、惨めな目に遭うだけ。
訴えるわたしに、パームキンは再び首を振る。そして目尻を下げ、声音を和らげた。
「それはメイデンスの呪いによる物です。大丈夫、僕がその呪いの解除を進めます」
「っ……で、でも、お母様はその呪いで、……」
「大丈夫ですよ。今まで、ただ蓄えてきた訳じゃないんです」
わたしの疑問符は声にならなかった。彼は悪戯が成功した子供のように笑い、自らの腹を撫でて見せる。ぽよ、と左右に揺れた脂肪の塊に、わたしは目を見開いて、ポカンと口も開けてしまった。
この呪いを解除するために、技術と体力がいると彼は言っていた。お母様はその負荷に耐えられなかったのだと。
まさか。
「……ま、まさか、あなた」
「それに、やっとメイデンスを城に閉じ込めたんです。あなたがデビュタントを迎える日が決戦だ」
わざとらしく遮った彼は、片手を思案げに口元に当てる。
「メイデンスの存在が、呪いそのものなんです。……人間には程度の差はあれ、必ず魔力が宿ります。その魔力を扱える人間に、魔法使いや魔女という名称がつくにすぎない。メイデンスは全ての人間が持つ魔力に働きかけ、記憶や脳を支配し、姿を見るだけで魔法にかかるように仕向けている」
「そんなこと、可能なの?」
「人間なら不可能です。……けれどメイデンスは師匠を陥れるために、悪魔に魂を売り払いました。だからもう人間ではない。呪いの集合体と言っていいでしょう」
「集合体……」
「この支部には、特殊な結界を張っていますから、問題ありませんが……。準備を進めた先日、強力な魔法を込めた金バッジを身につけさせ、やっと、あの魔女を城に抑え込めました。ですが、あまり時間は残されていないんです」
何故それほど、お母様は恨まれたのだろうか。
一族もろとも根絶やしだと言わんばかりに、狙われてしまったのだろうか。
わたしの疑問に、パームキンはもう一度思案した後、肩を落として溜め息をついた。そして視線をテーブルへと逸らし、両手の指を組む。
「動機については、正直、僕にもよく分かりません。ですがおそらく、師匠が『ネームドウィザード』になった事が原因でしょう。師匠は綺麗でしたし、恐ろしく強かったので、そこに金バッジ授与の話も舞い込み、『ネームドウィザード』にもなれば、妬み嫉みの対象になるのも、ある意味で必然だったのかもしれません」
それで呪われて良い理由にはなりませんが、と彼は苦く笑った。
お母様がわたしを授かった時に、天啓が降りた。“オヴィゴース”を与えられたお母様は、女神マリア・トリジアの祝福を受けたということだ。教会の中でも天啓の話は有名で、わたしも司教様に幾度も教えられている。
『ネームドウィザード』は特別だ。パームキンの言う通り、妬む動機としては十分に有り得る。特にあの悪い魔女は、自らの力に固執していると聞くから、尚のこと。
眉を顰めて考え込むわたしの前で、パームキンがソファーの背に体を預け、やれやれと大きく溜め息を吐き出した。
「卑しい考えだ。そんな事をしたって、自分が変わる訳でもないのに」
「……」
「……話を戻しましょう、エラ妃殿下。僕は貴女の呪いを解除し、その全てをあの魔女に返したく思っています。その為には、貴女がデビュタントに参加することが必要になるのです。デビュタントであれば、不信感なく対峙できます。それに今年のデビュタントは、貴女の15歳の誕生日ですからね」
パームキン曰く、わたしが呪いに完全に打ち勝つ為には、城に閉じ込めた悪い魔女と対峙しなければならないらしい。直接会うことで呪いを返す威力が増すのだと、彼は説明してくれた。
では、どのように呪いを解除していくのかと問えば、お母様が残していったペンダントを持ってくるよう、彼に頼まれる。
お母様のペンダントには、女神マリア・トリジアの加護が込められていて、そのペンダントを通して行うのだという。お母様が亡くなる前も、そうやってわたしを懸命に守ってくれていたのだと。
急いで自室からペンダントを持ってきたわたしは、彼の話に目を丸くした。
「もしかして、王家に伝わる秘宝なの?」
「うーん、いや、これは私物というべきですかね」
「お母様はどうしてそんな凄い物を持ってるの? 教会で保管している物を譲り受けたとか?」
各国に拠点を構える世界魔法教会なら、太古より伝わる遺物を保管していてもおかしくない。実際、わたしが居るこの教会も、世界最大級と言われる魔法石が保管されている。
『ネームドウィザード』であるお母様なら、そういった遺物を譲り受け、扱うようになってもきっと不思議ではない。
わたしの疑問に、パームキンは大事にペンダントを持ち上げ、しげしげと宝石を覗き込みつつ目を細めた。
「いえ師匠が、貴女を守るために、女神に願い加護を受けたものです」
「なるほど……、……え?」
あまりに普通の事だと言わんばかりのパームキンに、わたしは頷いてから二度見してしまった。
言っている事が理解できず、思考を堂々巡りさせては、目を瞬かせ首を傾げる。
「女神の加護? え? 女神の?」
「はい。マリア・トリジアは我が子に甘いので」
「我が子に甘いので??」
「ええ。本当……師匠ってば、こんなぶっ飛んだ魔法の使い方、よく考えつきましたよ」
「どういうこと!?」
やはり意味が分からず目を白黒させていると、パームキンは悪戯に笑った。
「でも、そのおかげで、僕らは戦える」
彼は胸ポケットから、銀の鎖に繋がれた、同じペンダントを取り出す。そしてわたしの胸に合わせるように、そっと、厳かに掲げて見せた。
ふ、と緊張に吐いた息が、冷たい。眼下の床にはいつの間にか、複雑な模様が彩る、円形状の絵が浮かび上がっていた。中央には女神を模した幾何学模様があり、わたしは状況について行けず身を固くする。
司教様との勉学の一環で、少しだけ魔法学をかじった事はある。けれど、こんな円形の模様を使用した魔法など、見た事も聞いた事もない。
「ぱ、パームキン? これは、な……、……に……」
床からさす光が強さを増して、わたしは身震いした。教会に暮らしているので、魔法を見る機会は常人よりは多いが、そのどれとも違う光だ。神々しいほど恐ろしい、真っ白に視界を焼くような光だった。
助けを求めて顔を上げた瞬間、ひゅ、と掠れた息が喉を鳴らす。
目の前のソファーに座るパームキンの後ろに、その方は居た。
緩やかに巻いた長髪は、この光のように白く輝き、透き通る肌に浮かぶ、真っ赤な瞳。その表情はあまりにも均整がとれすぎた、この世の物ではない人外的な美しさだった。
いつの間に部屋に入ってきたのだろう。それともパームキンが無詠唱で召喚した何かだろうか。揺れたわたしの視線が、彼の後方に先ほどまで居たはずの、侍女二人の姿が消えているのを捉えた。
「『まぁまぁ、殿下ったら悪い人。わたくしの美しき新月を驚かすなんて、紳士のすることではございませんことよ』」
鈴を転がしたような美しい声に、聞き慣れない言語を話す、女性的で落ち着いた声がかぶさる。二重に聞こえるそれは、よりこの方が人間ではない事を助長させていた。
「お喋りは終わったらね。君の存在する次元は、耐性がないと辛いんだから」
「『まぁ、意地悪な人。……ふふ、よろしくてよ。他ならぬ殿下の命ですもの』」
その方は心底嬉しそうに破顔し、パームキンの頬にキスを送った。
美しいその人は、わたしに敵意もなく、たおやかな様子なのに、体の芯から冷えて震えが止まらない。威圧感だって全くないのに、平伏しろと脳内が警鐘を鳴らす。けれども恐ろしさに身がすくんで、全く動けなかった。
その方はパームキンの手に自らの手を重ね、上体を屈めて、ペンダントに埋め込まれた宝石に唇を寄せる。辺りの輝きは更に増して、わたしは思わず両手を前にかざしながら、震える声で問いかけた。
「っ、ぱ、パームキン、っあなたは、誰なの……?」
指の間から見えるのは、吊り上がる彼の口元だけ。
「……貴女のお母様に導かれた、効率の悪いただの魔法使いですよ」