第94話:河童
大きな川を渡り、半刻ほど走った所で馬車が停まった。目的地に着いたみたい。馬車を降りると進行方向に向かって左側、つまり南側は緩やかな斜面が広がっていた。膝位までの一面の草むらの中に、所々背丈より高い灌木が数本茂っている。南から吹く風は、しっとりした水の匂いがした。
まずは馬車の近くにトイレを設置しようとして俺は数秒間動けなくなった。突然、西の方から誰かの視線を感じたのだ。悪意も無ければ好意も無い、純粋に見ているだけ、といった意思を感じた。視線は徐々に薄くなり、俺は動けるようになった。なんなんだこれ?前に女神の森から感じた視線とはまったく違う。
トイレを設置しながら回りを見渡すが、皆普通にしている。視線を感じたのは、俺だけみたい。気のせいかな?大きな杉の木の下で全員を集めると、伯爵の説明が始まった。
「ここから半刻程走ると、先ほど渡った川と同じくらいの幅の川がございます。ここは二本の大きな川の合流地点になっておりまして、この道路を南に行くと湿地帯になっております。湿地帯をさらに進むと二本の川が合流することによって出来た湖がございます。今回の皆様の鍛錬は、この湿地帯での魔物の討伐でございますぞ」
伯爵は続けてこの湿地帯で遭遇する魔物を説明し、最後に注意事項を教えてくれた。
「水系統の魔物は、地上では戦わず、まず水の中に引きずり込んでから仕留めようとする傾向がありまする。水の中では人間は手も足も出ません。呼吸も出来ませんからな。
相当に不利なので、くれぐれも用心してくだされ。合わせて魔法の相性をよく考えることも大事ですぞ」
つまり火魔法は効果が半減するということだろうか?逆に相性が良いのは何かな?その辺も考えながらやれということなのだろうか。伯爵の話は続く。
「今日はまずは湖までの往復が目標ですな。途中何が出て来るかは分かりませんので、くれぐれも用心してくだされ」
ここから先は班別に行動という事なので、各班に伯爵から各種ポーションとマジックボックスを、俺からもお弁当を渡す。俺たちは三平と一緒に湖に向かった。
道路から三十メートルも離れると、なだらかな下りの傾斜が始まる。膝位までの高さの雑草が一面に生えていて、所々背の高さ位の灌木が茂っている。こういう所では初音の「探査」による索敵が頼りだ。早速、正面十メートル位先に蛇みたいのがいると警戒の声が上がった。
俺はヒデと一条と顔を見合わせると、作戦を決めた。まずは投擲用の石を出してヒデと二人で草むらに適当に投げ込んだ。当たった感触は無かったが、体長三メートル位の真っ黒い蛇が地面すれすれを這い出してきた。
蛇は三メートル位先でいったん立ち止まると、とぐろを巻き鎌首をもたげて威嚇する。微かに開けた口元では赤い舌がちろちろうごめいていた。
蛇の額には小さな赤い石が輝いている。こいつはブラックスネークという立派な魔物で、しかも毒持だ。噛まれたら三十分以内に対処しないと、半身不随の重症、運が悪ければ死ぬらしい。蛇が飛びかかろうとして頭を低くしたので、俺とヒデは後ろに下がった。
勝負は一瞬だった。蛇が跳躍する前に一条が飛び込んで一刀両断していた。首から下で切断された蛇の胴体がうねうねと動き、噴き出す血が草むらを赤く染めていく。いやー、一条の動きが全然見えなかった。三平は呆然としていた。売り物になるかもしれないので、とりあえず収納した。
次にであったのはお馴染みのスライムだった。直径五十センチ位の半球形のゼリー状の物体がうねうねしている。色は薄い水色で下の草がかすかに透けて見えていた。
はじめて対決したのだが、剣で切ろうとしてもクッションを叩いているみたいに、衝撃をするりと吸収してしまう。残念ながら俺のなまくらでは切れなかったが、一条の刀は見事にスライムの体を切り裂いていた。切断面から手を突っ込んで魔石を抜き取ると、ゼリー状の体は氷が溶けるように水になって流れていってしまった。
その後もスライム退治をしながら進んでいくと、幅一メートル位の水路にぶつかった。ここを渡らないと先に進めないのだが、俺の中でアラートが鳴った。それほど深くもなさそうだが、そろそろあれを召喚した方が良いような気がする。俺は皆に声をかけて立ち止まると、冬梅に話しかけた。
「あれを召喚してくれないか?」
「あれか?」
「そうだ、水辺ならあれしかいないだろ」
「でも、あれが無いよ」
「大丈夫!」
俺は弁当を預かった時に平野に頼んで大量に分けて貰ったものを幾つか冬梅に渡した。宿舎の菜園で大量に出来た夏野菜だ。冬梅は笑顔で受け取ってくれた。
「これなら何とかなるかも」
皆の注目を一身に集めながら冬梅が召喚したのは、河童だった。水辺の妖怪と言えばこれしかないでしょ。平井より背が低かったので、身長は百四十センチ位だろうか、全身緑色で頭の上にはちゃんと皿があった。
背中には亀の様な濃い緑色の甲羅、手足にはちゃんと水かきが付いている。血走った丸く大きい目がお化けみたいで気色悪い。
ある意味日本で最もお馴染みの妖怪なのだが、この河童は態度が悪かった。座り込んで胡坐をかくと、甲高い声でわめいた。
「なんだよてめえら。俺様に何の用だ。人のくせに河童に命令すんのか?ふざけた事ぬかすと尻子玉引っこ抜くぞ」
冬梅はにやりと笑うとポケットからズッキーニを一本取りだした。河童の面前でポキンと半分に折ると、半分ずつ左右の手に持って河童の目の前でブラブラ揺らした。
「さーて、これは何かな?」
河童はガバッと立ち上がると、ズッキーニを穴が開くほど見つめた。鼻を鳴らして懸命に匂いを嗅いでいる。正直なのか、頭が左右に揺れている。
「そ、それはキュウリか?」
「似たようなもんだ」
「ほ、欲しい。くれ。今すぐくれ」
冬梅は河童をじらすようにゆっくり話した。
「やってもいいが、その代わりに今日一日俺たちを手伝ってくれるか?」
「手伝ってもいいがそれだけじゃ足りない。もっとくれ」
「分かった。それじゃあ、今二本、夕方帰るときに三本やろう」
「それじゃあ足りない」
「分かった。それなら今三本、帰るときに二本やろう」
「よし、それならいいぜ」
河童は上機嫌で冬梅からズッキーニを受け取ると、喜色満面であっという間に三本食べてしまった。
「こいつはキュウリとちょっと違うが、悪くないな。うまいぜ。おまえら、今日は俺についてこい」
上位互換なのか下位互換なのか不明だが、ズッキーニはキュウリの代わりになるようだ。それにしても、まさか朝三暮四を目の前で見られるとは思わなかった。実は昔、幼稚園に通っている姪に同じことを飴玉で試してみたことがあるのだが、「同じじゃない!」と怒られたのだ。河童の知能は幼稚園児以下?
それより、冬梅って結構策士かもしれない。ズッキーニにご満悦の河童に俺は聞いた。
「この川、このまま渡っても大丈夫か?」
返事をする代わりに河童はスルリと川に飛び込むと、しばらくしてから上がってきた。
「ここは駄目だ」
「どうして?」
「ほんの一跨ぎで渡れるように見えるが、向こう岸は全部草が川の中から伸びているだけだ。うっかり足をつくと水の中に落ちることになる。おまけに・・・」
「おまけになんだ?」
「水草の中ではこいつの群れが待ち構えている」
河童が水の中に手を突っ込んで何かを掴んで持ち上げた。茶色に黒の斑模様が混ざった体長五十センチ位のでかい蛙だった。河童に両足を掴まれ、逆さの姿勢でギャアギャア耳障りな鳴き声を上げて抗議している。
でかいだけではない。幅広の口の上下にはピラニアのように鋭いぎざぎざの歯がびっしり生えていた。あれに噛みつかれたらえらいことになるぞ。
「ヘケトか?」
ヒデの質問に河童は大きく頷いて肯定すると、いきなり俺たちに向かって蛙を放り投げた。蛙がでかい口を開けながらこっちに向かって飛んでくる。「止めろ」と言う前に黒い線が走った。蛙は俺の目の前に奇麗に着地したが、そのまま動かない。よく見ると、初音の投げた手裏剣が、頭のてっぺんから半分以上突き出ていた。
「ごめん、蛙は苦手なの」
初音は首をすくめながら謝ったが、文句を言う奴は誰もいなかった。こいつも一応魔物なので、アイテムボックスに収納しておく。河童の案内で少し上流(?)に移動して、両岸共に岩になっている所で水路を渡った。
渡り終わって後ろを振り返ると、平井たちの姿が見えた。どうやら俺たちの班が先頭で、あとの連中はそれに続いているようだ。賢明な判断だと思います。
次の水路で河童が水の中から引き上げたのは、体長一メートルもある巨大なザリガニのような魔物だった。左右のハサミの長さが三十センチ以上あって、うっかり挟まれたら指どころか、腕ごと切られそうな感じ。
ジャイアンントロブスターというらしい。色は黒と間違えそうな濃い茶色をしてる。河童によると、毒は無く食用になるとのことだったので、三平に頼んで十匹ほど釣って貰った。
「ザリガニ釣りなんて小学校以来だ」
文句を言いながらも、三平は楽しそうに次々釣り上げてくれた。いったん吊り上げると、針(?)にかかっている間はおとなしくなるので、問答無用で口の中に剣を突っ込む。一気に脳天を突き上げて締めたら、魔石を回収してアイテムボックスに収納するだけだ。
三本目の水路には魔物はいなかったが、鯉に似た魚が群れになっていたので、三平に思う存分釣って貰った。入れ食い状態で三十匹くらい釣ったと思う。「釣る→締める→収納」の繰り返しが忙しかった。河童が欲しそうにしていたので、鯉を一匹やったら鱗が付いたまんま、頭から食いついていた。ワイルドですね。
三本目の水路を渡ると、微かに水面が見えてきた。あれが湖か!駆け寄りたい気持ちを抑えて、わざとゆっくり進んだ。途中遭遇したスライムやブラックスネークを始末しながら進むと、水面まで五十メートル位の所で草むらは終わり、ゴツゴツした岩場に変わった。
そのまま波打ち際は小石だらけの河原になっているが、所々でかい岩が何十個も転がっている。河原の先は向こう岸が見えない程の大きな湖だった。大小の波が風のリズムに合わせて静かに打ち寄せてくる。俺は踏み出そうとした足を止めた。なんだろう、この前髪がチリチリする感じは・・・。
谷山君のセンサーに何かがひっかかったようです。