第91話:ほの暗き地下室で5
初めて感想を頂きました。とても嬉しく有難く思います。本当にありがとうございました。
その日の深夜、王宮の地下では、とある会合が開かれていた。出席者は、エリザベート・ファー・オードリー王女、レボルバー・ダン・ラスカル侯爵(宰相)、ラルフ・エル・ローエン伯爵(近衛師団長)、イリア・ペンネローブ神官長、メアリー・ナイ・スイープ侍女長の五人。いずれも勇者召喚に深く関わる人間ばかりである。今回は王女から現場組二人への情報聴取から始まった。
「レベルアップが始まったそうだな」
「御意」
二人は頭を下げて答えた。
「今のレベルは?」
伯爵が宰相の質問にこたえた。
「レベル3でございます」
宰相は馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「なんだそれは?少々手ぬるいのではないか?」
イリアが発言した。
「明日からは湖沼地帯に出る予定です。谷山様の尽力でトイレの問題が解決したので、週末までにレベル10まで上げる予定でございます」
「以降も週ごとにエリアを変更しながら効率的かつ安全にレベルを上げていく予定でございますぞ」
王女は伯爵の言葉に大きく頷くとまとめた。
「良い、トイレの件ではどうなるかと心配したが、まずは順調という事だな」
「御意」
頭を下げた現場組二人を見て、王女様は続けて話した。
「生活向上委員会の商業ギルドへのプレゼンが終わったぞ」
「いかがでしたかな」
「まずは大成功と言ってよいだろう。なんせ、濾過器・植物油・砂糖の商業ギルドへの情報開示が決まったのだからな」
「水と油と砂糖、全て戦略級の物資ですな」
「さよう、その上さらに濾過器と植物油は無償で開示じゃ」
王女と侍女長以外の三人はひっくり返った。宰相は椅子に這い上がりながら聞いた。
「濾過器は聞いておりましたが、油も無償ですか?」
「さよう、間違いない」
宰相はしわがれた声で聞いた。
「何かとんでもない条件が付いているのでは?」
王女はにやりと笑った。
「むろんついておる」
三人は固唾をのんで王女様の説明を待った。
「原料の採集と製品の製造は全てスラムの住人を雇用して行い、それを王家が監督すること、これが条件じゃ」
王女様の説明を聞いて、再び三人はひっくりかえった。宰相は椅子に這い上がりながら聞いた。
「それはつまり植物油の売り上げでスラム対策を行うということでしょうか?
「然り」
王女はすました顔で続けた。
「どうじゃ、とんでもない条件であろう?」
宰相はどもりながら聞いた。
「そ、それはいったい彼らにどういう益があるのですかな?」
王女は笑みを深くした。
「無い、少なくても直接には無い。だが、谷山様はこう仰った・・・。魔王を討伐するためには常に万全の状態で臨みたいのです。そのためには世の中が安定していることがなによりです。スラムの人口の多寡は社会の安定を測る物差しとなりますので・・・とな」
宰相は眉をひそめながらこたえた。
「正直申し上げて意味が良く分りません」
王女は笑いながらこたえた。
「分からずとも良い。だが、この言葉を聞いて商業ギルドのミハエルが、この事業に身命を賭す、と申しておった。事実上、商業ギルドは生活向上委員会の傘下に下ったと考えた方が良いぞ。これが召喚者にとってどれほどの益となるか、お主にも分かるのではないか?」
「それは分かりますが・・・」
「いや、まだ分かっておらぬな。つまりはこうだ、商業ギルドは己が主人を、真の忠誠を尽くす相手を見出したのだ」
「さようでございますか・・・」
宰相は不承不承頷いたが、神官長と伯爵は言葉にならない程の感銘を受けていた。王女は続けた。
「二回目の会合の折に話が出たごみのリサイクル事業も動き出すぞ。商業ギルドが本気になっておる。まだ限られた人数ではあるが、刑務所に収監された強制労働者達の働き場所が新たに生まれるのだ」
「素晴らしい」
イリアの口から意図せずに思いが漏れていた。王女は力強く頷いた。
「そうだ、素晴らしい。何より素晴らしいのは施しではなく、自らの労働で罪を償う道が開かれたという事だ。歴代の王家で誰にもなしなかった新しい雇用が生まれようとしているのだ。これを素晴らしいと言わずに何と言えば良いのだ」
伯爵が感に堪えたようにつぶやいた。
「それにしてもこれから先、濾過器と油と砂糖でどれほどの金を稼げるでしょうか?商業ギルドが入れ込むのも分かりますな」
宰相が呆然とした顔で呟いた。
「商業ギルドのミハエルともあろう者がなぜあのような小僧や小娘どもにたぶらかされるのでしょうか?」
王女は瞬間的に怒気を膨れ上がらせたイリアを手の平で制してこたえた。
「簡単な話よ。生活向上委員会には気高く崇高な理念と巨額の金儲けの可能性が両方並び立っておるのだ。ある意味それは商道の理想だ。まあこれを食せ」
王女はテーブルの上にあった皿を皆の前に差し出した。
「生姜のクッキーですな」
「素朴ですが美味です」
王女は微笑むと説明した。
「この菓子は彼らが試作した砂糖を使って作られておる。つまり、既に商品化可能な状態なのだ。今までわが国は植物油も砂糖も全て輸入で賄ってきた。これを全て自国で生産できるようになったらどれほどの雇用が生まれるか想像できるか?貿易収支がどれだけ改善されるか想像できるか?」
宰相は一言も言い返せない。
「それだけではないぞ。女性用の衣服に鞄、月のもののための衛生用具、さらに遊戯用具まで見本を用意してご提案された。遊戯用具については普及させるための話題作りのため、金貨百枚を投じて競技大会を催すとまで仰せになった。新奇な商品であるだけでなく、その宣伝方法まで考えておられるのだ。
断言しよう。谷山様は世の中を変える種をまだまだたくさん持っておられる。遠からずこのグラスウールが再度、大陸の中心になる日が来ることを我は確信したぞ」
「そこまでおっしゃいますか・・・」
伯爵はまぶしいものを見るような目で王女を見た。
「スラムの人口の多寡は社会の安定を測る物差しとなる、という言葉に我はうちのめされた。我らがなんとなくで分かっていることを彼らはやすやすと言語化したのだ。此度の召喚者は規格外であることを改めて痛感したわ」
「私もプレゼンを拝見したかったです」
神官長はぽつりと呟いたが、王女の耳には入らなかった。
「無理を言って晩餐に出席したのだが、その席でも谷山様はさらなる驚くべき提案を用意されていた。焼き鳥なる美味な料理だったが、専用店を同時に複数出店するというチェーン店という新しい商法を提示してくださったのだ。この王都であれば、少なくても百の出店が可能らしい。仮に一店舗で十人雇うことができれば、千人もの雇用を生み出すことができるぞ」
王女はため息をつきながら続けた。
「もしも可能ならば魔王討伐など軍と冒険者にまかせて、召喚者は生活向上委員会の活動に専念して頂いた方がこの国のためになるような気がしてならぬ」
ようやく復活した宰相が驚いた声で叫んだ。
「そ、それは本末転倒でございますぞ」
王女は顔をしかめながらこたえた。
「分かっておる、分っておるがあれを見たらそう考えてしまうのだ。それに・・・」
「何でしょうか?」
「実は話のついでにトリヒドと下水処理場跡のことを話題にしたのだ。もしかすると・・」
「もしかすると・・?」
「解決策を考えて頂けるかもしれん」
宰相は疑わし気な顔で王女を見つめた。
「トリヒドに投じた膨大な金貨を考えると簡単にあきらめるわけにはいかないとは思いますが、大丈夫でしょうか?」
「分からん。だが、谷山様はトリヒドという名前を聞いて何かを知っておられるようだった。期待したくなるではないか」
王女は顔を引き締めて伝えた。
「これからは警備と機密保持だけでなく、他国からの妨害工策にも備える必要がある。皆の者、注意を厳にせよ」
「御意」
王女は満足そうに頷づくと、終会を宣言した。
谷山君は金儲けにはそれほど執着していないので、ほんわかした理想が崇高に見えてしまうのかもしれません。魔王討伐は他に任せて、ということになったら何のために召喚したのか分かりませんね。
今更ながらですが、読みやすさに配慮した編集を始めております。いずれ過去分も一話から順に訂正していく予定です。よろしくお願いします。