第8話:お勉強の時間
「皆様、そろそろ講義の時間でございます。黒板を持って会議室にお集まりください」
セリアさんが踊り場の後ろから叫んでいた。俺たちは興奮が冷めぬまま、いったん部屋に戻ることにした。
途中、ラウンジにいたセリアさんに「ありがとう」と声をかける。ああ、笑顔も可愛いなと思ったら、足を蹴られた。おかしい、洋子はさっきトイレに行ったはずではと思って振り返ると初音だった。なぜ?
「ごめん、これ洋子の代わりだから」
初音はあっけらかんと答えた。周りの事情を知る人間はみな笑っていた。この後で、
「さっきさあ、タカがセリアさんにお礼を言ってたんだけど、なんか顔がデレデレでさあ・・」
「えー、どうしたの?」
「洋子の代わりに蹴っておいたよ」
「サンキュー、ありがとう」
なんて会話が取り交わされるのだろうか?なんか納得できないが、とりあえず部屋から黒板を持ってくる。さっきは気づかなかったが、ラウンジから廊下に入ると右に小さな礼拝所があった。
入口に扉が無いので覗いてみると、奥に神殿で見た彫刻と似た神像が置いてあった。礼拝所の隣は大会議室、廊下を挟んだ反対側は小会議室が三部屋ある。講義は右の
大会議室でやるようだ。
大会議室は前後二か所に扉があり、中に入るとラウンジ側の壁に大きな黒板がかけられ、それに向かい合うように椅子が五列×六段の計三十脚並んでいた。教壇や机が無いのがなんか新鮮な感じ。
椅子に座って黒板に触るとアイコンのようなものが横並びで三つ並んでいる。誰がどうやったのか知らないが、寝ている間に「言霊」がインストールされた(画面下の右端に「言霊」のアイコンがあった)みたいで、日本語で表示されている。
一言で言って便利だ。教科書の電子化よりノートの電子化の方が便利かも。いや、教科書のサブ機能として電子ノートをくっつければいいのか?例えば、教科書にアンダーライン引いたら、そこだけ抜き出してノートにまとめてくれたりしてさ。
時間になったみたいで、洋子たちの話も出たメアリー・ナイ・スイープ侍女長が入ってきた。喪服のような黒いロングドレスにアップした暗めの金髪、キリツとした琥珀色の目で俺たちを見わたしたが、口調は案外やさしくて穏やかだった。
「おはようございます。殿方には初めてのご挨拶でございますね。私はメアリー・ナイ・スイープと申します。
宮廷では侍女長を拝命しておりますが、かって魔法学校で教職に就いたことがあったため、皆様にミドガルド王国の一般教養をご教授させていただくことになりました。短き期間とは思いますが、よろしくお願いいたします」
メアリー先生はここで一度礼をとると話を続けた。
「まずはこれからの予定ですが、今月の午前中はこの会議室で座学、午後は王宮内にある練兵場での実技演習を予定しております。来月以降の午前中はミドガルト語の読み書きの講座を開講します。希望者は今週中に申し出てください。
希望されない方は自由時間となります。午後は一か月目と同じく実技演習となります。魔王討伐にご協力いただける方、あるいはご検討いただける方は是非、実技演習に参加をお願いします。
ただし、明らかに非戦闘職と見なされる職業の方、野田様・平野様・伊藤様・谷山様・水野様は、実技演習は免除とします。座学は私が、実技演習はイリア・ペンネローブ神官長とラルフ・エル・ローエン伯爵が監督します。授業と演習は、毎週日曜日から火曜日までの週五日行い、月曜日はお休みとします。
時間割ですが、座学は四時半から六時まで、演習は七時から八時半までを予定しております。食堂は朝は三時半から四時まで、昼は六時から六時半まで、夜は九時から十時まで開いております。
宿舎から練兵場までは馬車での移動となりますので、遅れぬようお願いします。この宿舎は一辺約一キロ半の正方形となる王宮の西北の端にあります。そして練兵場は東北の端にございます。警備上からも走っていく訳にはまいりませんので、くれぐれも注意をお願いします」
王宮って一辺一キロ半の正方形だって。広すぎるぜ。それじゃあ王都の広さはどのくらいなんだろ?
「重ねてご案内しますが、来月からのミドガルト語の読み書きの講座の希望者は今週中に申し出てください」
どうしようかな?スケジュール的には余裕ありそうだから受けようかな。ここでメアリー先生はいったん言葉を止めて俺たちを見渡して続けた。
「本来ならばこのまま講義に入るのですが、今後の講義内容を決め、効率的な日程を組むために、まずは皆様の学力を計らせて頂きたいと思います。抜き打ちのようになって恐縮ですが、ご理解ください」
教室にピンと緊張感が張り詰めた。異世界に行ってもテストからは逃げられないのか。俺は少しげんなりした。唯一の救いは問題が数学だけということだ。まあ、国語や歴史の問題出されてもお手上げだから当然か。
先生はこの世界の数字と四則演算の記号を例題付きで大黒板に書いて説明してくれた。試験中もこのままにしておいてくれるそうなので、なんとかなるかな。問題用紙が裏返して配られた。なお、黒板タブレットは不正の可能性があるから使っちゃダメだって。
試験時間は半時間、日本時間で一時間だ。始め!の合図とともに問題をひっくり返して驚いた。三十あった問題の二十は一桁の四則演算で、残り十は二桁の四則演算だった。要するに、一桁または二桁の数字の足し算・引き算・掛け算・割り算だ。高校生なめるなー。でも間違えたら恥ずかしいので、全問三回検算しました。
半時間後全員の回答を回収。今日中に採点して、結果は明日発表するとのこと。全員一息ついたタイミングでメアリー先生がよびかけた。
「突然召喚され、昨日から初めてのことばかりでさぞや驚きのことばかりと思います。それゆえ、今日は皆様からの質問を承りましょう。ただし、以降の講義内容と重なる所は後回しとなりますが、よろしゅうございますか?」
いいね、いいね、こういう姿勢はいいんじゃない。とりあえず思い立ったら質問だ。
「王都の広さはどのくらいあるんですが?」
先生は即答した。
「直径約六キロのほぼ円形をしております」
広い、広いわ、広すぎるわー。どうやって外敵から守るの?
「王都の外周は全て高さ十メートルの分厚い城壁で囲まれております。出入りは東西南北の門からのみとなります。夜間の出入りは原則として禁止です」
王宮の壁でも相当高いと思ったけど、その倍もあるのね。まるで古代中国の城壁都市みたい。高さが三階建ての建物と同じくらいならばひとまず安心かな。それにしても、いったいどうやって作ったのだろう?
「王都の中には王宮だけでなく、ミトカ教の神殿をはじめに軍部・役所・工房・各ギルドの本部や主な商会の本店があり、民草まで含めると人口三十万人を超えるこの国最大の都市でもあります」
昨日聞いた通り、ここを取られたり破壊されたらこの国は終わりなんだろうな。
俺の次に手を上げたのは鷹町菜花だ。身長は160センチ位で栗色がかった髪をツインテールでまとめている。優しくて友達思いの可愛い女の子なのだが、正義感が強く、自分が正しいと思ったら千堂でも臆せずやりあう強さがあるので、男女問わず人気がある。
実家は喫茶店兼スイーツショップを経営していて、放課後や休みの日は家業を手伝うことが多いそうだ。鷹町のエプロン姿目当てで甘いものが苦手なのに通っている男子もいるみたい。
教科は理数系、特に数学が得意だが、彼女に言わせるとお菓子作りは科学らしい。即ち、重さ・体積・温度・時間を正しく計り、正しい順番で作ることが何より重要なのだと。
「時計を見て思ったんですけど、この世界で『六』は特別な数字なんですか?」
鷹町らしい質問だな。確かにそれは言えてる。どうでもいいかもしれないけど、テーブルの数とか椅子の数とか何気に「六」という数字との遭遇率が高いような気がする。
「良い質問です」
メアリー先生は笑顔で頷いた。
「まず『六』という数字には法的にも経典にも特別な意味は特にありません。数の数え方も十で桁上がりします。しかし、六は世俗的には縁起の良い数字、特別な数字と思われています。どこに起因するかといえば、この世界で最も古い神話にあります。短いお話なので、お聞きください」
先生は一度ここで話を切ると黒板に向かい、真ん中位に〇を書いてから話し始めた。
「神が長い眠りから目を覚ました時、世界は闇に包まれていて何も見えなかった。
神は告げた。
『光を』
世界が明るくなり、回りが見えるようになった。
しかし、そこには何もなかった。
神は自分が降り立つ場所が必要だと考えた。
『地を』
大地が生まれた。神は大地に降り立った。
光が大地を照らす。そこに熱が生まれた。
神は熱を冷ますものが必要だと考えた。
『風を』
大地の上を涼しい風が吹いた。
神は喉の渇きを覚えた。
『水を』
雨が降り大地の上を川が流れた。
植物が生まれ森となり動物が生まれて大地は賑やかになった。
人が生まれ大地はさらに賑やかになった。
すると神をおろそかにする愚か者が生まれた。
神は愚か者を許さなかった。
『火を』
大地は焼け落ち全てが灰になった。
風も水も全てが失われた。
『闇を』
世界は闇に包まれ、神は眠りについた」
先生は俺たちを見渡すと話を続けた。
「短いですが、以上がこの世界で最も古い神話です。世界は、光から始まり、地、風、水、火、闇へと変わり、そして循環していくのです。そして六つの要素の均衡を取るために、世界にはそれぞれの力の象徴たる精霊が存在すると言われています」
先生は「〇」の次に「一」、「二」、「三」、「E」、「日」を円形になるように順番に書いていき、全体を大きな〇で結んだ。
「一週間が六日で、日曜日・土曜日・風曜日・水曜日・火曜日・月曜日と呼ぶのも神話の影響と考えられます。もちろん「日」は「光」、「土」は「地」、「月」は「夜」すなわち「闇」の象徴です」
日曜日から始まり、月曜日に終わるのね。日本人的な感覚では正反対だな。
「六日で一回りすることから、いつしか六は特別な数字とする考え方が生まれたのでしょう。だから人に何か贈り物をするときは六あるいは六の倍数で揃えるのが常識ですし、何か物を集める時もできるだけ六にするのも普通です」
次に質問したのは青井秀二だ。
「トレーニングのため、宿舎の周りを走っても良いか?」
身長180セン以上、バスケット部の主将を務める青井の口癖は「筋肉は裏切らない」だ。体を動かしていないと不安なんだろ。気持ちはよくわかる。
サイドを刈り上げた短髪に太い眉毛、細い目。決してハンサムではないが、いかにもスポーツマンらしくて筋肉好き女子には人気があるみたいだ。ちょっと困った癖があるが、基本良い奴だと思う。
「鍛錬のために必要なのですね。分かりました。宿舎の塀沿いの道に限定することと、朝夕の決まった時間内であれば問題ありません」
時間帯はこの後、警備担当と打ち合わせて決めるそうだ。念のため、俺も聞いておこう。
「実技演習は免除と聞きましたが、見学しても良いですか?」
いやさ、魔法がどういうものかこの目でみたいじゃん。
先生は笑顔でうなづいた。
「もちろん結構です。興味のある方は、一緒に馬車で移動してください。私は四時から九時まではこの本棟におりますので、何か質問や相談があれば、いつでもお尋ねください」
その後、身分制と通貨に関する質問がいろいろ出たが、いずれも改めて授業で説明するとのことで、質問タイムはひとまず終わった。先生のプライベートに関する質問も出たが、男爵家の出身であることと誕生日(なんと来週の日曜日)以外は秘密と言われて教えてもらえなかった。
半刻ほど休憩した後で、後半の授業が始まる。まずは暦だ。一年は十二か月、一月は五週、一週は六日で一年は三百六十日とは聞いていたが、閏年があって、四年か五年に一回は十二月が三十一日まであるそうだ。一月一日は常に日曜日でなければならないので、三十一日は特別に「闇曜日」と呼ぶらしい。日本語に訳すと「黒曜日」だろうか?なんかカッコイイぞ。
なぜ一月一日が日曜日にならなければならないかというと、その日が一年で最大のイベントである「光臨祭」の日だからだ。例の古い神話にあやかり、世界の始まりを祝して前後含めて五日間は街中大騒ぎらしい。リオのカーニバルみたいなものだろうか?
ちなみに「月曜日」は日本における日曜日みたいなもので、役所や大商店は閉まるらしいが、中小や個人の店は基本的に営業しているらしい。代わりに休業日は店ごとに必要な時に勝手に締めるそうだ。基本毎日営業しているが、棚卸など、どうしようもない時だけ閉店するような感じだろう。働かざる者食うべからずか。
次は時制。一日十二時間とは聞いていたが、なんと一般レベルでは「分」と「秒」が無かった。代わりにあったのは「刻」という概念で、一時間=六刻、つまり日本時間に直すと二十分単位で針が動く仕様だ。だから、一時の次は「一時一刻」となり次は「一時二刻」で、「一時五刻」の次は「二時」となる。
なお、「一時三刻」はあまり使われず、「一時半」と呼ぶらしい。アバウトすぎると思うが、電車もバスもテレビもラジオも何もないからこれで十分なんだろうな。
あとで時計の盤面をよーく見ると、一時間の間に小さな点が五か所あるのだが、真ん中の一つだけが赤で残り四つは黒だった。つまり、赤が「?時半」ということなのだろうな。
最後に度量衡(長さ、体積、重さの単位)の話になったが、複雑すぎて理解できなかった。後で羽河に聞こう。
ここで今日のお勉強はタイムアップとなりました。立ち上がって出ていこうとしたら、メアリー先生に呼び止められた。あのことかな?
「なんでしょうか?」
「昨日、イリアが約束した件です。一晩かけて調査しましたが何も分からなかったそうです。引き続き調査しますので、お待ちくださいませ」
まあ、予想していたからね。そんなにダメージはないよ。多分。飯食ったら、次はいよいよお待ちかねの実技演習だ。頭切り替えていこう。
勉強は大事です。
07/21:王都の人口を三十万人に修正しました。
22/5/28:タブレットの冗長な説明を省きました。