第73話:トイレはどこ?
突然ですが、しばらくお休みします。再開は1月11日の予定です。
鷹町が何気なく呟いた言葉から全てが変わった。
「トイレはどこ?」
もちろん誰もこたえられない。俺たちの視線は伯爵に集中した。伯爵は不思議そうな顔でこたえた。
「もちろんそのようなものはございません。ここは野外ですぞ」
鷹町の声のトーンが上がった。
「じゃあどうするんですか?」
伯爵は笑顔でこたえた。
「もよおしてきたらお好きな所でご自由に、ということですかな。うははははははは」
伯爵の愉快そうな笑い声と共に、辺り一帯がブリザードに覆われたように急激に温度が下がった。皆の氷点下の視線の理由が分からない伯爵は困惑していた。
俺はなんとなく冒険者が底辺に見られる理由の一つが分かった。俺たちの初めての冒険は始まる前に終わったのだ。さあどうするか。
俺は伯爵に近寄ると短く伝えた。
「帰りましょう」
「え?なんで?今からこれからですぞ」
「すみません。理由は馬車の中で説明します。対策も考えますので、とりあえず今日は帰りましょう」
俺の剣幕に驚いたのか伯爵はあっさり帰還を認めてくれた。助かったぜ。帰りの馬車の中で俺はマンツーマンで伯爵に現代日本で普通に育った人間の常識や衛生に関する考え方をこんこんと説明した。伯爵はようやく理解してくれたが、同時に頭を抱えた。
「いったいどうすれば・・・」
伯爵は頭を伏せたままぶつぶつ呟いた。
「城壁の外に出たら頭を切り替えるだけですのに」
おれは笑顔でこたえた。
「大丈夫です。俺が何とかします。ただし、一日だけ時間をください。訓練は、明後日に再開しましょう」
「本当ですか?くれぐれも頼みますぞ」
伯爵は顔を上げると、必至な顔で何度も繰り返した。これから俺たちのレベル上げをしていく第一歩が仕切り直しになったのだ。気が気じゃないよな。
練兵場に戻ると、伯爵は皆を集めてトイレ問題を解決してから野外活動を再開すること、今日・明日は臨時のお休みにすることを告げた。俺たちは武器防具を戻すと、足取りも重く馬車に乗り込んだ。
帰りの馬車の中では皆無言だった。誰もこういうエンディングは想像していなかっただろうから仕方ないよな。
宿舎に着くと、俺はラウンジで羽河を捕まえた。
「大至急で木工ギルドに連絡して欲しいんだ」
「何て書くの?」
「ハハキトクスグカエレ」
「ふざけないで!」
珍しく怒っている。
「ごめんごめん。でも美人って得だな。怒ってもきれいだ」
「フ・ザ・ケ・ナ・イ・デ」
「許して。もう言いません」
「もう一度聞くわ。何て書くの?」
「至急の発注あり。今すぐ来られたし」
「分かった」
それだけ言うと羽河は走っていった。
俺はカウンターにいたシルバーさんに頼んで会議室を抑えてもらうと、玄関の横で濾過器を二個作成した。一個はアイテムボックスに収納し、一個はそのまま置いておく。 出来上がると、ラウンジに戻って安楽椅子でまどろんでいる先生をおこした。濾過器の作成方法と注意事項を説明して、王女あての手紙にしてもらう。
内容は「水の濾過器を試作したので、見本を献上します。以下は作成方法と注意点です・・・」というものだ。日付は昨日付けにしてもらった。そのままカウンターに行って手紙を渡し、玄関先の樽と一緒に王女様に至急送るよう頼んだ。これでなんとかなったかな?
一息ついたので、生活向上委員会のチーフデザイナーである浅野を中心に、江宮、工藤と一緒に将棋の駒のデザインについて話し込んでいると玄関先が騒がしい。カウンターでシルバーさんが叫んだ。
「木工ギルド様がお越しです」
早いな。シルバーさんにお茶の手配を頼んで待っているとテイラーさんが入ってきた。そのまま一緒に会議室に移動する。
「いかがなさいましたか?」
「すみません。大至急のお願いがありましてお呼びしました」
「なんのなんの、谷山様のお願いとあれば墓の下からも這い出てきますぞ」
なにその例え。ちょっと怖いんですが。
「実は移動可能なトイレを二つ大至急で作って欲しいんです」
「野外で大規模な工事をするための仮設のトイレで良ければ手配しますが」
「そういうのがあるんですね。助かった。良かったらすぐに持ってきてくれませんか?」
「流石に今日は間に合いません。明日の納品となりますがよろしいですか?」
「十分です。お待ちします」
「了解しました。それでは早速戻ります」
「ついでですみませんが、竹串を追加で千本お願いします」
「かしこまりました」
お代は王宮に請求するので不要とのこと。助かるぜ。竹を十本渡そうとしたが、前貰った分があるので不要だし、今日は馬で来たので持って帰れないとのことだった。籠の納品はもう少し待って欲しいと言うと、テイラーさんはひらりと馬にまたがると、速足で帰っていった。暴れん坊将軍みたいでカッコいいなと思った。なぜ?
テイラーさんの後姿をボケッと見ていると、樽を引き取りに馬車が来た。シルバーさんが出てきて対応してくれたのだが、黒馬便というそうだ。なんか聞いたことがあるような名前だな。それにしても集荷が速いな。
今日の晩御飯はアジの南蛮漬け&ニラとじだった。骨まで食べられるほどからりと揚げたアジを野菜の細切りと一緒に甘酢につけてあるのだが、これが絶品だった。だって頭からサクサク食べられるんだもの。ひょっとすると昨日のうちに揚げてまる一日漬けていたのかもしれない。恐るべし平野。サイドメニューのニラとじも、白コショウがピリッと強めでうまかった。
デザートは赤飯饅頭だった。見かけは赤飯の丸いおにぎりなのだが、中の具がアズキの餡子なのだ。いわば、牡丹餅やお萩の表裏がひっくり返ったものと思ってくれ。これはひょっとすると浅野のために作ったのかもしれない。赤飯だけだとあまりにも直接的すぎるので、餡子を入れてお菓子にしたんだろうな。
女神様のお供えにしようと思って平野に頼んでみた。
「これ、お供え用に三つ貰えないかな?」
「いいよ」
「ありがとう。ひょっとするとこれって例のお祝い?」
「そうそう。赤飯がなかなかきれいな色にならなくて苦労したよ」
「浅野は何か言った?」
「さっき来てさ、お礼を言ってくれたんだけど、嬉しいような嬉しくないような複雑な顔していた」
「やっぱりそうなるよな」
「けじめというか、ささやかなお祝いとして作ったんだけど、まずかったかな?」
「いや、浅野も理屈の上では分かっていると思うよ。だから大丈夫」
部屋に戻ってアンコ入り赤飯をお供えしたのだが、つい浅野の幸せを祈ってしまった。許せ。
初潮→赤飯はもうやらないのかな?