第61話:女王様の赤い鞭
6月28日、水曜日。曇り。雨が降りそうで降らないもどかしい感じの空だ。珍しく羽河が朝のランニングに参加していた。今日は鍛錬もちょっとだけ参加するそうだ。王女様のお迎えの準備があるので、途中で宿舎に戻るとのこと。なんか嬉しそうで何より。
朝ご飯の前にアイテムボックスの中をチェックする。ピクニックの整地作業をやった時にでたゴミの中から木の根っこを別フォルダに移して残り(大岩など)をゴミ箱に移動する。
次にアズの木から作った「薪」フォルダをクリックすると、「炭焼き」が選べることを発見。早速クリックする。
さらにワインフォルダを選び、クリックすると「熟成する」が選べることを発見!やったね。ウイスキーと同じことができるのではないかと思ったのだ。
まずは味の決め手となる器をチェンジしよう。ウイスキー用に作った樫の木の樽が七十七個残っているので、十個出して修道院で貰った赤ワインの中身を全て移し替えた。樫の空き樽は六十七個、普通の空き樽が十個になった。
次に移し替えた六個を二個づつ別フォルダに分け、それぞれ二十年、四十年、百年で熟成を開始した。どうなるか分からないが楽しみじゃないか。中身を入れ替えただけの樽を四つ残しているので、なんとかなるだろう。
時間になったので食堂に行こうとしたら、志摩に呼び止められた。昨日打ち合わせたグラスの見本がもう出来たそうだ。ウイスキー用のショットグラスとタンブラー、赤ワイン用の卵型ぽい脚つきのグラスと白ワイン用の少し丸っこい脚付きのグラス、そして水・ジュース・エールを飲むのに良さそうな短い脚付きのゴブレット、以上全部で五種類だ。既に志摩が強化の魔法をかけているとのこと。
工藤が通りかかったので、グラスを見せたら大喜びだった。とりあえず、平野用に全種類を各一個、プレゼン用にショットグラスとタンブラーを各十五個、ゴブレットを五個作って貰うことにした。明日までにはなんとかなるだろう。工藤がこっそりポケットにタンブラーを入れようとしたので、急いで取り上げた。
今日の朝ごはんはクラブハウスサンドだ。早い話がトーストした食パンで作ったサンドイッチなのだが、トーストしたパンの香りと一緒に具材を楽しめるのがおしゃれだ。
教科書通り、食パンを三枚使い、ローストチキン・ベーコン・薄焼き卵・レタス・玉ねぎスライス・トマトのスライスを挟んでいる。味付けはマヨネーズとマスタードで、ちょびっと黒胡椒もかかっているみたい。いつもどおりミックスジュースとカットフルーツで美味しく頂きました。
食後のんびり紅茶を飲んでいると浅野がやってきた。
「谷山君、ちょっとお願いがあるんだ」
「何?俺にお願いなんて珍しいな」
「うん、30日に孤児院に歌の指導に行くじゃない。その後、この前ピクニックに行った河原に行きたいんだけどいいかな」
「いいぜ、先生とイリアさんに今日頼んでみる。イリアさん次第ということでいいかな?」
「うん、それでいいよ」
浅野は向日葵のような笑顔でこたえた。惚れてしまいそうだ。テーブルの下で足を蹴られた。なんで?
「そういえば、誰が同行するんだ?」
「ユウナ(木田)とカンイチ(楽丸)が付いてきてくれるって。あと、千堂君・三平さん・小山さんも希望しているんだけど、どうかな」
「分かった。それも聞いておく。あと、俺もついて行っていいか?」
「え?いいよ?でも何するの?」
「河原に行くんだったらちょっとやりたいことがあるんだ」
「分かった」
浅野は頷いた。何か河原で落としたのだろうか?まあ、いずれ分かるだろう。思ったより大人数になったが、小山が同行してくれるなら安心かな。
早速先生に30日の参加メンバーを報告し、河原への出張を願い出た。参加メンバーは了承、河原への遠征は教会が許せば、ということになった。
朝ご飯を食べてからラウンジでまったりしていると、玄関先でシロが騒がしい。水野のお世話係のサラさんに呼ばれた。
「雑貨ギルドのニエットさんがお見えです」
なんか特に何も企んでいないのに、物事全てジャストのタイミングで進んでいるような感じでなんか嬉しかった。とりあえず江宮を探しに行ってもらった。
まずはニエットさんがでっかい木箱に入れて運んできたボトルの見本、四種類を検品しなければならない。作った中で出来が良かったものを各十本、持ってきたそうだ。急遽借りた会議室のテーブルに並べ終わった時に、江宮がやってきた。
江宮は一つ一つ手に取って入念にチェックした。俺の目ではさっぱり分からない。全部よさげに見える。どうなんだ?
「平均して百点満点で七十点。ぎりぎりで採用です。全部いただきます」
江宮の言葉を聞いてニエットさんはハンカチで額の汗をぬぐった。
「安堵しました。ありがとうございます。自信のある物だけ選んできたのですが、それでも七十点ですか。勉強になりますな」
「お代はおいくらでしょうか?」
一応聞いてみたが・・・。
「前回同様、お代は結構でございますぞ。全て王家預かりとなりますので」
「ありがとうございます。ただし、これの製品化については王家および商業ギルドとの調整が必要と思いますので、よろしくお願いします」
「承りました。皆様にはご迷惑はおかけしませんので、ご安心くださいませ」
「ありがとうございます。ご迷惑でないなら追加でお願いがあるのですが」
「なんでしょうか?」
ニエットさんの顔が引き締まった。
俺はアイテムボックスから朝方、志摩から預かったばかりのグラスの見本五種類を取り出した。窓から差し込む光を浴びてグラスの縁がきれいに光った。
「これはまた芸術品のようなグラスですな。ワイン用と思しき二つの脚付きグラスは曲線と直線の組み合わせが素晴らしいですな。残り三つも一見武骨に見えて、その実繊細という類まれな感性を感じまする」
「こちらと同じものを作って欲しいのですが、どうでしょうか?」
「これと全く同じものをすぐ作るというのは難儀ですが、是非挑戦させてくださいませ」
ニエットさんは宝物のようにグラスの見本を鞄にしまうと静かに去っていった。
「何とかなるかな?」
俺は江宮に聞いた。
「時間はかかるけど、いずれどうにかなるだろう。見本があるからな」
江宮はニエットさんが出ていった扉を見ながら応えた。とりあえずボトルは間に合った。後はウイスキーを詰めてラベルを貼るだけだ。江宮は志摩と一緒にプレゼン用のグラス等を作るそうだ。
魔法学の授業の前に先生に合図してから羽河が再び教室の前に行った。なんだろうというざわざわとした雰囲気の中で羽河は淡々と告げた。
「緊急かつ重要なお知らせです。王女様が今日の夕方、再度ご訪問されることになりました」
一瞬静まり返った後、教室のあちこちで「えーっ」という悲鳴のような声が上がったのは仕方ないだろう。
「前回の視察で何か問題があった訳ではありません。友好を深めるのが目的のご訪問なので、ご安心ください。晩餐をご一緒にとのことなので、先日と同様みんなのご協力をお願いします」
羽河は笑顔で話を終わらせると席に戻った。
今日の魔法学はオークをはじめとする森に生息する魔物についての講義だった。皆の真剣さが一段と上がった様な気がする。その反動かミドガルト語の講義はつらかった。 講義が終わると地下室に向かう。鍵がかかっていたので、扉をノックした。
「合言葉を言え、石橋を叩いて」
「割る」
なぜかOKになって扉が開いた。どうして?
まずは利根川に雑貨ギルドから持ってきたボトルを見せた。
「なかなか良いじゃない」
「江宮に言わせると七十点だそうだ」
「厳しいわね」
「グラスも発注したぞ」
「いくらかかるの?」
「王家預かりだからとりあえずは無料だ」
ご機嫌になった利根川が手伝ってくれたので、ウイスキーの割水とボトル詰めはすぐ終わった。ついでとばかりに浅野から預かっていたラベルを瓶に糊付けして完成だ。不思議なもので、ラベルを張っただけで一気に商品というか、高級品に見えてくる。やっぱ、なんでも見かけって大事だな。
お昼ご飯は、チキンのドリアだった。少し深みのある平皿にバターライスを敷き詰め、表面をパリッと焼いたチキンを置いた上に玉ねぎ・人参・キノコなど数種の野菜を煮込んだペシャメルソース(いわゆるホワイトソース)を流し込み、粉チーズを山ほどかけてオーブンで焼き上げた逸品だ。
結構ボリュームがあるのにあっという間に食べてしまった。しめじに似たキノコの弾力ある噛み応えが良かった。
デザートの早生ミカンのジェラートは早生ミカン特有の爽やかな香りが最高で、デザートをお替りしてしまった。
練兵場では伯爵が待っていた。羽河と一緒に契約書に問題なかったことを伝えると、伯爵はホッとした顔で喜んでいた。将軍様の署名が終わり次第、正式版を持ってくるそうだ。軍側の取り分の三パーセントは少ないと思うが、そうでもないそうだ。
伯爵によると国から予算が出ているのだけれど、予算化しずらい諸々の費用を賄うために、軍独自の収入原が必要なのだ。そのためには、金額は小さくても長期間にわたって安定した収入が見込める案件をたくさん確保することが大事らしい。
そういえば叔父さんが言っていたけれど、ライセンス料の百万円は売り上げの一億円に匹敵するらしい。どういうことかといえば、ライセンス料は何もしなくても、それこそ寝ていても入金される。しかし、売り上げから利益を出す場合、一億円の売り上げから原材料費・製造加工費・人件費・広告販促費・運送費などを引いていくと、うまくいっても数百万ほどの利益にしかならないそうだ。うまくいかなければ・・・。
とにかくこれで伯爵の軍内部におけるポジションは現状維持あるいは上昇のトレンドに乗ったかもしれない。良かったのではなかろうか。
次にイリアさんを探して30日の件を打ち合わせた。同行するメンバーの件はすぐにOKになったが、河原行きはなかなかうんと言ってくれなかった。しかし、「浅野の希望なんですが」と言うとあっさり認めてくれたのはどういうことなのか。
俺はそのまま羽河の鞭のお試しに付き合った。剣を構えてボケッと立っているだけだが、とりあえず怖かった。しなりの効いた鞭の先端の速度はなんと音速を超えるらしい。はい、見えません。動けません。顔の横をヒュッという音とともに何かが通り過ぎるのだけが分かります。
羽河は俺の顔が面白いのか、凄く上機嫌で笑いながら三種類の鞭を代わる代わる試してみた。馬車用の黒い鞭は細くて短い。短いと言っても三メートルはある。細い革の紐を編み上げてあり、先端にいくほど細くなっている。皮膚に当たったらナイフみたいにスパッと切れそうだ。
ワイバーンに騎乗する際に使う鞭は緑色で長くて太い。そのまま一本で鞭として使えそうな革ひもを何本も結ってある。当たったら皮膚が避けるだけでなく、骨まで砕けそうな重さというか凄みを感じた。長さも七メートルはある。
この二つの中間をいくのが赤い鞭だ。長さは五メートル位。細すぎず太過ぎず長すぎない。羽河はこれが気に入ったみたいだ。
「この赤いのが気に入ったみたいだな」
「うん、これにする」
「じゃあ、残りは返してくるよ」
そういって羽河からニ本の鞭を預かった俺の前に大小二つの影が立ちはだかった。花山と夜神だった。花山は右手に持った緑の鞭を、夜神は左手に持った黒い鞭を指さした。俺は黙って渡した。
夜神は初めてとは思えない鞭裁きで飛んでくる複数の手裏剣を苦も無く叩き落としていた。あいつは本当に魔法使いなのだろうか。それだけじゃない。鞭をそのまま魔法の杖代わりに使えるのだ。手足に絡みついた鞭から電撃を食らったらどうしたらいいのだ。
花山の鞭は圧巻のパワーだった。杭が一撃でばらばらになった。あれを正面から受けられるのは盾を構えた青井だけだ。花山よ、大型手裏剣と言い、盾役が長距離攻撃が出来る武器を持ってどうするんだ。
でもこの二人より恐ろしいのは羽河だった。
「あはははは、あはははははは、あはははははははは」
狂ったように笑いながら縦横無尽に赤い鞭を操る姿は、女帝という言葉を連想させた。
リーチの長さとスピード、変幻自在の軌道は修練を重ね全国レベルの腕を持つ一条や尾上ですら守勢に回ってしまう。羽河に勝てるのは、野生動物のような反射神経と勘の良さを持つ平井とヒデ、爆発的なスピードと思い切りの良さを持つ楽丸、ミリ単位の見切りができる小山の四人だけだった。
羽河は満足したのか上気した顔で俺の所に来た。
「たにやんありがとう。すっごく気に入ったよ、これ」
いつの間にか「谷山君」が「たにやん」になっていた。まあいいか。
「気に入ってなにより。またその赤も似合うな」
「そう?嬉しい。私もこの色気に入った」
羽河の笑顔は妖艶で背中がぞくぞくするほど魅力的だった。
「私は黒が似合いか?腹黒いとでもいうんか?」
なぜか夜神が絡んできた。
「おお、夜神にはシックな黒が良く似合うぞ。夜の女王とでも呼んでやろうか?」
「嫌や、それだけはやめて」
なぜか本当に嫌そうな顔をしている。
「でも、その鞭、魔法を通すんだな。凄いじゃないか」
夜神は笑顔でこたえた。
「そうそう、まだ無理やりやけど、ちょびっと改造したら杖代わりになるで」
「流石は夜神!天才魔法使いだな」
「そうや、うちは褒められて伸びる子なんや。もっと褒めてえな」
などと漫才しているうちに羽河は手を振りながら帰っていった。羽河を目で見送っていると、伯爵が話しかけていた。
「驚きました。羽河様には鞭の才覚があったのですな」
「俺もびっくりです」
「対人戦闘においては最強クラスではないですかな」
「そこまで言いますか?」
「率直な感想です。腕まで含めると六メートルを超えるリーチの長さは脅威です。それを見抜いてバーニン殿に依頼した谷山様の慧眼、恐れ入ります」
「まぐれです。鍛冶ギルドのバーニンさんには三本とも頂きますと伝えてください」
「承知しました」
羽河はある程度予想していたが、夜神と花山は完全に予想外だった。予想外の戦力アップと考えよう。
羽河さんは一皮むけたようです。