第46話:厨房に吹く新しい風
6月19日、日曜日。曇り。夕方から雨が降るそうだ。今日の朝御飯はいつもと様子が変わっていた。これまでは、パン→スープ→サラダ→メイン→飲み物→デザートの順に並んでいたのが、サラダ→パン→スープ→メイン→飲み物→デザートの順に変わっている。平野曰く、メインを見てスープを選べるように順番を変えたそうだ。
変わったことは他にもあった。まず、料理と飲み物それぞれに竹で作った名札がカウンターに置いてあった。名札にはミドガルト語の横に小さく日本語も書いてある。飲み食いしながら勉強しようということか。小学校みたいだけど、いいじゃないの。
もう一つは、各テーブルに冷たい水が入った蓋つきのピッチャーが置かれていたことだった。多分、女神の森の水だな。朝からワインもいいけど、やっぱ水が欲しくなる日本人としては嬉しい限り。どっちも好評だった。
今日の朝ごはんはサンドイッチだった。具は、ゆで卵をつぶしてマヨネーズであえたもの、マスタードを挟んだハム&チーズ、カリッと焼いたベーコンとマヨネーズの乗ったレタス、フライドガーリックを混ぜたポテトサラダだった。
一つ一つは食パン半分の大きさなので、四つ全部頼む。もちろんパンは耳付きの状態で具のボリュームもたっぷりなので、四つだけでも十分なのだが、ヒデのように一種類だけ八個も頼むような強者もいた。
飲み物コーナーでは紅茶の他にミックスジュースを頼んだ。だって、匂いが素晴らしく良いんだもの。きっとこれも女神の森産だな。
デザートはカットフルーツの盛り合わせだった。五種類くらい入っていたが、これがまためちゃくちゃおいしかった。切り方も上手なんだろうな。
なぜか朝から先生がいて、目をつぶってサンドイッチをしみじみ味わっていたのが印象的だった。何かあったのかな?
魔法学の講義が始まる前に、平野が先生に断って黒板の前に立った。緊張した様子が一切見えない所が平野らしい。なんだろ一体?
「今後の食堂のメニューのことでお知らせがあります。料理対決がきっかけで厨房をまかされるようになったのですが、まだまだ自分の作りたい料理の十分の一も出来てないのが現状です。理由はなんといっても調味料と素材です。この世界には、米も味噌もしょうゆも出汁もとうがらしもチョコレートもありません。
その中で自分で出来ることを模索してなんとかやっているのが現状です。創意工夫するための時間が何より必要です。そのため、今後は少し手を抜きたいと思います」
皆驚いた。まさか一日二食になるのか?
「別に量や回数を減らすわけではありません。その代わり、メニューをある程度ルーティン化したいと思います。具体的には、朝はサンドイッチなどの総菜的なパン、昼はパスタやピザ、夜はこれまで通りにします。ご理解とご協力をお願いします」
平野は深々と頭を下げた。俺たちは一斉に拍手した。
「いいぞ」とか「さすが平野」とか声をかける者もいた。
平野は花が咲いたような笑顔を見せた。
「ありがとう。それと気が付いたかと思うけど、カウンターの名札は料理長の協力で作りました。自分自身の勉強にもなってます。また、テーブルに置いてあったお水は女神の森の天然水です。
谷山君が持ってきてくれました。安心して飲んでください。最後に食パンの耳を切ってないのは、フードロスを減らすための取り組みの一つです。ご理解願います」
再度大きな拍手を受けながら、平野は自分の席に戻った。拍手が収まると先生が黒板の前に立った。
「皆さん、おはようございます。私は今朝食堂のカウンターを見て驚愕しました。そこにはミドガルト語で書かれた名札があったからです」
先生は真面目な顔で俺たちを見渡すと話を続けた。
「私は長く教職にあり、指導的な立場にも就いておりました。ある意味教育の現場で出来ることは全てやったつもりだったのですが、それが浅慮菲才の愚かな思い上がりであったことをつくづく思い知らされました。我が国には『孫に教わる』という言葉がありますが、その言葉の意味を実感することができました。
皆様と出会えたことを神に深く感謝し、その出会いの中で自分自身も成長できるよう努力したいと思います。これからもよろしくお願いします」
どこが先生の琴線に触れたのか良く分からないが、平野の取り組みは先生に感銘を与えたようだ。良かったな、平野。
魔法学の授業は最も基礎的な火魔法である「発火」だった。光に始まり、土、風、水魔法を習ったが、俺にとっては一番遠い感じのする魔法だった。なんかこう、かすりもしない感じ。しかし、これやらないとドライヤーが出来ないんだよな。がむばるしかないみたい。
中休みの間に浅野は木田と水野と連れ立って、ピクニックの件で先生の部屋に行った。すぐ帰ってきたので駄目かと思いきや、あっさり賛成してくれたそうだ。
今週の月曜日、24日の予定で進めるとのこと。場所選びと修道院との調整もやってくれるそうだ。念のため、イリアさんにも話しておくように言われたとのこと。
ミドガルト語の講座は基本的な単語と文法の習得だ。とりあえず今は情報を蓄積するだけと割り切ろう。
お昼の時間少し前に食堂に行って、熟成が終わったウスターソースを渡した。二番が満足いく出来だったらしいが、熟成が不足しているとのことで、あと一年追加の熟成を頼まれた。俺には全然分からないが、こういう拘りが大事なんだろうな。それと予想していたとおり、梅酒の熟成をたのまれた。
リカーを女神の水で割ってアルコール度数を二十五度位にしたものに梅(青くて硬いプラムのような未成熟の果実。生では食えない)を漬けた瓶を預かった。砂糖の代わりはハチミツだそうだ。その数なんと二十本!頑張りすぎだろ。
「何年熟成する?」
「半分は二年で、残りは五年で」
平野は即答した。出来上がりが楽しみだな。果物の追加を頼まれたので、ブルーベリーとリンガをそれぞれ籠一杯渡した。丁度、洋子達がやってきたので、そのままお昼を頂きました。
お昼ご飯は、久々のナポリタンだった。今日はベーコンではなく短めのソーセージが丸ごと何本も入っていた。トマトソースじゃなくてケチャップで作るのが良いんだよな。チーズがごろごろ入ったサラダとの相性もバッチリ!デザートはブルーベリーのジェラートだった。ブルーベリーの酸味・渋み・甘みが濃厚で、お替りを考えるほどおいしかった。
練兵場に行くと、ニコニコ顔の伯爵が待っていた。手裏剣・苦無の納品日が決まったらしい。23日・火曜日にここに持って来るそうだ。ただし、日本刀と大手裏剣はその日に間に合うかどうかは分からないとのこと。
正直言って日本刀がこの短期間で出来るわけは無いと思うのだが、そこはそれ、鍛冶の魔法ということなのだろう。
久々にイリアさんが登場したので、浅野が木田と連れ立ってピクニックのことを相談していた。相変わらず顔には出ないが、ものすごく驚いているようだった。
「そんなことをしてあなた方に何か得があるのですか?」
イリアさんは率直に尋ねた。
「何もありません」
浅野は正直にこたえた。
「でも、ボクはそうしたいんです。子供たちに外の世界を見せてやりたいんです」
イリアさんはしばらく考え込んでから返事した。
「私には理解できかねますが、勇者様たちの願いはなるべくかなえるように命を受けております。修道院には私からも連絡を入れておきましょう」
イリアさんの目はいつもと同じ湖のような青だが、その中に静かにさざ波が立っているような気がした。
昨日の話を聞きつけた女の子達に頼み込まれて、中原はまた猫のミケを召喚していた。精神安定剤代わりなのか、キャットセラピーなのか知らないが、そこだけ平和な空間が出来上がっていた。帰り際にはミケを抱いた一条が「この子は私が育てる」と叫んで中原を困らせていた。これはまたお持ち帰りパターンだな。
晩御飯はコンソメベースのロールキャベツだった。スープが無かったのでなんで?と思っていたから納得。ニンジンや玉ねぎなどと一緒にキャベツに包まれて柔らかく煮こまれているのに、肉の味がしっかり残っていて、これもまた肉料理であることを実感した。
ハーブが入っていたけど、単なる臭み消しではなくて、肉の存在をより引き立たせるためのサポート役になっていた。
考えてみたらスープ・野菜・肉が一度に食べられるという点で、ロールキャベツは凄いメニューなのかもしれない。
デザートは、ブルーベリーのジェラートと梅酒のゼリーだった。梅酒のゼリーはとにかく香りが素晴らしかった。ひとかけ入っている梅の果肉をかじると、かすかにアルコールの匂いがして、大人のデザートという感じだ。
平野に頼んで梅酒のゼリーとブルーベリーのジェラートを一つの皿に盛って貰い、昨日と同じように部屋に戻ってからお供えした。手を合わせてから目を開けると、今日もしっかりお召し上がりになってました。
雨雲に隠れて月は見えないのだが、関係ないみたい。何の考えも無しに始めたことだが、えらいことになってしまったと少し後悔したのだった。
神棚のお水は毎日替えないといけません。