第43話:カットハウスいとう
6月17日、火曜日。晴れ。今日の朝御飯は洋風春巻きだった。春巻きの具は、ひき肉と野菜、チーズとハム、鳥のささみと野菜、ボロネーゼ、白身の魚とハーブなど、たくさん種類があった。春巻きの生地にも、それぞれの具にも味付けしてあるので必要は無いのだが、酢醤油かポン酢が欲しいと思う今日この頃だった。
付け合わせのサラダは野菜やハーブだけでなく、角切りのベーコンやチーズ、ゆで卵にオレンジ、ドライフルーツやナッツまで入っていて、葉物の緑を背景にチーズの白、オレンジの黄色、トマトの赤が鮮やかだった。
女の子によってはサラダだけ食べている子もいた。カロリーを気にしているかもしれないが、お替りしたら一緒だと思うぞ、洋子。利根川にリカーの追加を平野に渡すよう頼むついでに梅酒のことを伝えると、商品が増えると喜んでいた。こいつはぶれないなと感心していたら、声をかけられた。中原だった。
「どうした?」
「明日、女神の森に行くんだろ。俺も連れて行ってくれないか?」
「なんで?」
「女神さまがホトトギス派だと聞いたんだ。だとしたら、ぜひお会いしないと」
「そうか?」
「狭いなら広げてみようホトトギス、素晴らしい句だと思わないか?」
女神の森のことを誰かこいつに話したんだな・・・。余計なことをしやがって。
「先生の許可はとったから、頼むよ」
俺は仕方なく頷いた。どうにかなるだろ(投げやり)。
魔法学は昨日に引き続き、水魔法の実習だ。なんとなーくだが、体に刻むという感覚が少しだけ分かった様な気がした。来週は火魔法をやるそうだ。中休みにラウンジに行こうとしたら、先生に呼び止められた。
「昨日いただいたシャンプーとリンスを早速使わせて頂きました」
「どうでしたか?」
先生は俺に詰め寄ると、目をキラキラさせながらこたえた。
「素晴らしかったです。勇者の知恵をこの身で初めて体感致しました」
俺は若干引きながらこたえた。
「お気にいったなら何よりです。シャンプーは三種類ありますので、どれが良いかお試しください。シャンプーとリンスは木田が担当しておりますので、感想とご意見は木田までお願いします」
先生が笑顔で頷いたので、俺は胸を撫でおろした。
ミドガルト語の講義は相変わらず文法だ。理屈が分からないので、とりあえず丸暗記するしかないみたい。先は長いな。
お昼ご飯は肉がたっぷり入った野菜炒めと、ネギのようなハーブの千切りが入った卵焼きだった。定番のおかずの登場がなにより嬉しかった。
デザートはドーナッツだったが、油で揚げるタイプではなく、オーブンで焼くタイプのドーナッツだった。さっぱりした甘さが心地よかった。
先生はネギ入りの卵焼きが気に入ったみたいで、お替りしていた。あ、エールを頼んでいる。念のため、月曜日の外出のことを確認したら、笑顔で「聞いておりますよ」と答えてくれたので一安心。部屋に戻ろうとしたら呼び止められた。
「昨日、樽が納品されたそうですが、その木工ギルドの噂話を耳にしました」
「何でしょうか?」
「とある公爵家の長女が来年、ハイランド王国の公爵家に嫁ぐことになっているのですが、その嫁入り道具として女神の森の樫の巨木で作った家具一式を受注したそうです。驚いたことにその金額は金貨百枚とか」
「すみません、桁が一つ違うのでは?」
「いえ、間違いありませんよ。公爵様の側近からお聞きましたので。良い買い物をしたとたいそう喜んでおられたそうです」
金貨一枚が三十万円として百枚で三千万円?家具が仮に十点あるとしたら、一点当たり金貨十枚、日本円で三百万円てこと?イタリア製の高級家具並みだな。ということは、金貨十枚が百枚に化けたってことか・・・。商売の道は奥が深いな。
先生に礼を言って部屋に戻ろうとして突然ひらめいた。早速、平野に聞いてみよう。
「野菜炒め食べてさ、やっぱウスターソースが欲しいと思ったんだけど」
「そうだよね。でも、あれは時間がかかると思う」
俺はにやりと笑った。
「それなんだけど、ウイスキーを作ったときに使った『熟成』が使えるんじゃないかな」
平野は一瞬あっけにとられたような顔をしたが、すぐに手を叩いて賛成した。
「それだ!」
「ウスターソースの元を何パターンか用意してくれないか?」
「やるやる!明日までに用意するからよろしく!」
「それともう一つお願いがあるんだ。明日、月曜日に製材所に行くんだけど、ついでに女神の森に行こうと思うんだ。お供え物と弁当を用意してくれないかな?」
「まかせて!あと、炭酸水もよろしく」
「もちろん!」
食堂を出てラウンジに入ると隅のテーブルに伊藤と伊藤のお傍係のレイナさんがいた。テーブルの上に小さなポップが置いてある。そしてそのポップには「カットハウスいとう」と書いてあった。どういうことかと近寄って聞いてみた。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいじゃねえよ!吟遊詩人じゃなかったの?」
伊藤は笑顔でこたえた。
「シャンプーとリンスをみんな凄く喜んでくれただろ、他にも何かできることがないかと考えたら、母ちゃんから貰ったハサミと櫛を持ってたことを思い出したんだ」
そういえば伊藤のお母さん、美容師だったっけ。
「実はガキの頃、母ちゃんみたいな美容師になりたいと思っていたんだ。一日中歌っていても喉が枯れるだけだしな。それにお前、そろそろ切った方がいいんじゃないの?今日は開店セールで無料にしとくぞ」
俺は黙って伊藤の前の椅子に座った。レイナさんが「いらっしゃいませ」と言いながらベージュ色のマントを首から下に広げてくれた。
「いつも通りで」
「かしこまりー」
伊藤は調子よく答えると、慣れた手つきで切りだした。まだそれほど伸びていなかったので、十分もかからず終了。レイナさんの差し出す鏡を見たけど、きれいに整っていた。やるじゃん、伊藤。
「ありがとう。また頼むよ」
伊藤は気取った礼をすると、笑顔で宣言した。
「俺は歌って踊れる美容師になる!」
なんなんだよそれと言いたい気持ちをこらえて席を立った。伊藤の腕が確認できたのか、俺を見ていた連中が伊藤の前にじゃんけんを始めた。順番を決めるみたい。
どうやら俺がお客様第一号だったみたいだ。これで商売繁盛間違い無しだな。吟遊詩人よりカリスマ美容師の方が将来性があるんじゃないのか?順番は青井が一番になったみたいだ。
帰ろうとしたら、後ろから声をかけられた。先生だった。
「谷山様、あれは何ですか?」
先生の目は二番を決めるためのじゃんけんを見つめていた。あ、楽丸が勝ったみたいだ。あいつ必要あるのか?
「あれは『じゃんけん』です。一種の賭けですね。掛け声と共に、手を出してその形で勝ち負けが決まります」
俺が、グー・チョキ・パーの優劣を説明した。
「でも、この世界で使うならば、魔法の名前に置き換えたら面白いかもしれません」
「どういう意味でしょうか?」
「つまり、土は風を遮り、風は火を吹き消し、火は土を焼くと考えるのです。つまりは、
火<風<土が循環するイメージです。土は握りこぶし、風は手のひらを広げ、火は二本指でどうでしょうか?」
「素晴らしい。それならば分かりやすいと思います。最初の掛け声は何が良いでしょうか?」
「うーん、シンプルにいくならば、『火・土・風』ですかね?」
「重ね重ね素晴らしいご意見です。参考になりました」
四柱推命の原則をアレンジしただけで、何の参考になるのかわからないが、喜んでくれているようなので良しとしよう。
練兵場では手裏剣のブームがようやく収まった。まあいまだに消える魔球(手裏剣)に取り組んでいるあきらめの悪い奴もいるが・・・。
冬梅が今日は火の玉を召喚した。「つるべ火」というそうだ。ぱっと見は高さ五十センチ位の火の玉なんだけど、よく見ると炎の中に老人の顔が浮かんでいるのが不気味だ。夜見たら怖いと思う。
伯爵が言うことには夜間やダンジョンの中では自力で明かりが必要なことがあるので、そういう時に最適ではないかとのこと。人魂みたいで気味が悪いが。
専用の剣を使い始めた尾上と一条だが、一条の炎の暴走は止まり、尾上も風王結界を自分で制御できるようになった。剣としても素晴らしい出来なので、試合形式の練習だけでも楽しいみたい。
晩御飯はマカロニグラタン、付け合わせはロースの薄切りを溶き卵に漬けて焼いたピカタだった。
俺はホワイトソース系は苦手なんだが、このグラタンは苦手を感じる前に食べ終わってしまった。小麦粉を使っているはずなのに軽いんだよね。細切れの肉と野菜が柔らかく煮込まれていて優しい味なのだ。白胡椒の香りが上品で流石ビストロ!という感じだ。
それに対してピカタは黒コショウがピリッと効いていて薄いのに、肉を食ったという充実感があった。
デザートはベイクドタイプのチーズケーキだった。洋子はかなり迷ったあげく自分の分を目を細めて食べていた。食欲が勝ったみたいだ。もちろん紅茶でも悪くないんだが、やっぱコーヒーが欲しいよ。
寝る前に久々に観想月を試してみたら、今日はきれいに満月がイメージできた。何とはなしにあの女神さまを連想したら、満月の上にご尊顔が浮かび上がった。でも、つるべ火と違って全然怖くない。
人間の顔って整形でもしない限り左右が完全には対象にならないんだけど(目の大きさが違ったりする)、あの女神様は目の大きさや位置、耳の高さなど全てが完璧に左右対称だったんだよな。それが不自然ではなくて、神々しく感じるところが神様なんだろうと思う。
思わず「明日お伺いしますのでよろしくお願いします」と挨拶すると、「よかろう」と厳かに返事がきたので飛び起きた。心臓に悪いぜ。
伊藤君は髪切りの亭主(髪を切る亭主)になりそうです。