第31話:お小言を頂きました
「谷山様、少しお時間をいただけますか?」
予想通りメアリー先生だった。俺は心配顔の洋子をなだめて先に帰らせると、紅茶のセットを持ってデッキに降りた。
うす暗くなっていたのでデッキには他に誰もいない。人払いもいらなそうだ。席に座る前に、先生のカップに紅茶を静かに注ぐ。先生がライトの魔法をつぶやいた。
「お酒の方が良かったですか?」
「まだ仕事が残っているから紅茶で良うございます」
「いつも夕方までにお帰りではなかったですか?」
「来週からの講義の準備のために居残りしていたら遅くなったので、料理長に頼んで夕食の手配をお願いしました。いつもは私用に作って貰ったものを私用の部屋で頂くのですが、私から頼んで皆様と同じものを食堂で頂くようにしたのです」
「平野のご飯が気に入ったんですか?」
「ええ、とても。ここの雰囲気も気に入りました。平野様は天才だと思います。アイアンシェフとはこういう職業だったのですね。明日からはお昼もこちらでいただく予定です」
先生は紅茶を一口飲んでから話しかけた。
「王都の上空を飛ぶことは固く禁じられています。知らなかったではすみませんよ」
「申し訳ありません。どうしてもこの目で見たかったんです」
先生は深くため息をついた。
「お詫びと言っては何ですが、こちらを献上します」
俺はとっさにボールペンを差し出した。黒・赤・青の三色で、インクを交換できるのが気に入って、召喚の前日に買ったばかりなのだ。まだほとんど使ってないんだが仕方ないよな。
「これは何ですか?」
「俺の世界の筆記用具です。三色のインクを切り替えながら書くことができます」
俺は地図の裏に色を切り替えながら試し書きして説明した。先生はボールペンを興味深そうに受け取った後、地図を裏返して俺の書き込みを見てため息をついた。
「城壁の外側は問題ないでしょう。しかし、内側はいけません。今後は絶対に飛ばないようにお願いします」
先生は地図を返してくれた。何とか許して貰えたみたい。一本三百円のボールペンが役に立ってくれたようだ。助かったぜ。ずうずうしいようだがついでに聞いてみよう。
「先生、教えてください。スライム処理場の後ろの建物は何ですか?」
先生はしばらく考えてからもう一度ため息をついた。
「私はあなたを良い意味でも悪い意味でも見損なっていたようです。お教えしましょう。あれは監獄です。主に強制労働の刑に処された罪人を収監しております」
軽い暴力沙汰や金貨一枚未満の未払いなどで強制労働の刑に処された人は、刑が終わるまで(短い人で一か月、長い人で一年)あそこで生活するらしい。
「あと、王都の南西にあるプールみたいなのは何ですか?三つありましたけど」
先生によると、あれはスライム処理場ができる前に使っていたゴミ&下水処理施設なのだそうだ。
高さが上、中、下の三段階になっていて、まず上には川から引いた水を目いっぱい張っておく。中には下水を流し込み、スライムに食わせる。スライムが増えすぎると下に流す。
下にスライムが増えすぎると、上から一気に水を流してスライムを川に放流するのだそうだ。ある意味スライムの養殖をやっているようなものだが、増えすぎたスライムはどうなるのだろうか?
結果としてスライムを餌とする鳥が大繁殖することになり、それによる農作物の被害が甚大になって、今の方式が考案されたそうだ。
「ひょっとすると、スライム処理場は勇者の遺産じゃないですか?」
「よく分かりましたね。その通りです。勇者様はエコとかリサイクルと呼んでいたようです」
うすうす予想していた通りだった。やってくれるね先輩は。地球の歴史でも都市の盛衰は水と薪の供給によるところが大きい。スライムの魔石によって水問題を解決したのは、大きいだろうな。
「ついでに、王都の南にある森は何ですか?なんかあそこにいるような気がして」
「あれは女神のおわす神聖な森です。森の中には湖があり、そこには女神がいらっしゃるそうです。魔物の類はいませんが、結界が張られてあり、普通の人間は立ち入ることもできません。
不敬の輩には厳罰が下るという言い伝えもあり、せいぜい森の周辺にある悪木(灌木。成長は早いが幹も枝も細くて曲がっており、建築には適さない)を取りに行く程度です。悪木は乾燥するとよく燃えるので、火の魔石を購入できない庶民の煮炊き用の薪になります」
「え?それなら王都で使う木材はどこから仕入れているんですか?」
三十万人が暮らす大都市ならば、建築や土木で常に一定量の木材が必要なはずだ。まさか全部輸入?
「主に街道です」
先生は微笑むと説明した。
「王都近郊の街道は全て街路樹として杉の木が植えてあり、計画的に伐採しているのです。もちろん、伐採すると同時に若木を植えて次に備えます。街道沿いに植えているので、輸送も早いのです。今ではミドガルトの杉並木として名物になっています」
「川沿いにも植えてるみたいでしたが」
「杉ではありませんが、川の両岸にも植えられています。こちらは護岸と氾濫防止が目的ですね」
なるほど、街道を林道として考えれば良いのか。確かにこれなら伐採も輸送も管理も楽だと思う。仮に十メートルおきに道路の両側に木を植えたら一キロで二百本、街道は四方に伸びているから王都の外周一キロ以内で、八百本を植林できる計算だ。
外周十キロ以内と考えると、なんと八千本、もし二重に植えたら一万六千本だ。植えてから二十年で伐採できると考えると、一年当たり八百本は使える計算になる。王都の需要をこれで全部賄えるかどうかは不明だが、それでもかなりの量を賄えるのではなかろうか。
「まさかこれもじゃないですよね」
「はい、もちろんこれも勇者の遺産です。二百年前に召喚されし者の中でこの世界に残った御方が、魔王討伐後一人で植林をはじめました。一日一本植えるだけでしたが、没するまでの五十年で一万八千本も植林したそうです。
勇者が年老いて弟子に引き継いだ際、王はその功績をたたえ、褒美を取らせようとしましたが、勇者は金銀財宝や爵位は望みませんでした」
「何を望んだんですか?」
「自分が行ったことを本にして後世に伝えることでした」
自分の名前は出さないことを条件にしたそうなので、名誉欲という訳ではないみたい。こうしてこの世界に「杉を植える男」のお話しができたそうだ。微妙に文字が違うような気がするが、考えたら負けだ。
とりあえずの疑問は全て解決した。役に立つかどうか分からないが周辺の情報も得られた。俺の満足そうな顔を見て先生は静かに言った。
「今回は若さゆえの勇み足としてお咎めなしになるでしょう。ただし、二度目はありません。軽率と積極は異なります。今後何かこの世界のことで分からないことがあったら、必ず私にご相談ください」
俺は深々と頭を下げた。先生が立ち上がるとライトの明かりも消えた。俺は先生が食堂に戻るのを見届けてから腰を下ろして息を吐いた。やっぱり緊張していたみたいだ。
「大丈夫?」
いきなり横から声をかけられて盛大に咳き込んだ。驚いたぜ。この声は小山か?
「あーびっくりした。とりあえず大丈夫だったみたい。心配かけたならごめん」
小山を連れて食堂に戻ると羽河がボケッとした顔で紅茶を飲んでいたので、小山と一緒に王都の地図を見せて先生から聞いた情報を説明した。
「谷山君は先走りしすぎ」
羽河の第一声に小山が大きく頷いた。
「でも、凄い。先生を味方につけたのは大きい」
違う方面では評価してくれたようだ。
「いや、味方になってくれたのは、昨日の誕生日祝いが大きかったと思うぞ。あれって、羽河の演出だろ?羽河ってイベントプロデューサーの才能があるんじゃない?」
「そうかな?」
羽河が照れたような顔で笑った。ついでにあのことも聞いてみよう。
「この前の実況中継を見て思ったんだけど、江宮はどうしてあんなに料理に詳しいんだ?」
「趣味、今は。でも本職になるかも」
小山が簡潔にこたえてくれた。
「彼、レミの店だと知らなくてバイトに来たらしいのよね。一か月しかいなかったそうだけど、腕と人柄を見込まれてお父さんが婿入りを誘ったそうよ。
自分の身に余りますと言って丁重にお断りしたらしいけど・・・。和食ならレミより得意らしいわ」
羽河が補足した。人は見かけによらないとはこのことだな。
帰り際、ラウンジでセリアさんを見つけたので、「杉を植える男」のことを聞いてみた。セリアさんは眼を輝かして話してくれた。
「もちろん知ってます。あのお話、大好きなんです」
隣にいた女の子も声を上げた。確か伊藤のお世話係だ。
「私も大好きです。最後、子コボルトが矢を受けて死んでしまう所など、悲しくて悲しくて何度読んでも泣いてしまいます」
ちょっと理解ができない言葉が出て来たぞ。子コボルトが矢を受けて死ぬ?「木を植える男」にそんなのあったっけ?どういうことなのか追求したい気持ちを抑えて、盛り上がっている二人におやすみを告げた。
考えちゃだめだ、考えちゃだめだと呟きながら部屋に戻ると、洋子が待っていた。どうやって入ったんだ?
「どうだった?」
心配かけたことを謝ってから、今日のことを一通り説明した。なんか今日は謝ってばかりだな。
木を植える男とゴンぎつねを合体させるとどういう話になるでしょうか?誰か書いて欲しい。