第310話:馬車を作ろう(要求仕様完成)
工房に入ると左手の壁の前に江宮が立っていた。いつもと何か違うと思ったら、江宮の後ろの壁に幅一メートル位の薄型テレビのようなものがかけてあり、クラウン(王冠)のマークが輝っている。思わず俺は聞いた。
「まさか液晶ディスプレイ?」
江宮は笑顔でこたえた。
「のようなものだ。タブレットの画像を表示している。まあ、プロジェクターみたいなものだ。以前作ったスローグラスを元に作った」
そういえば江宮の手前のテーブルの上にタブレットと四角い箱、そして馬車の模型が置いてあった。俺は四角い箱を指さしながら聞いた。
「中継器?」
江宮は小さく頷いてこたえた。
「その通り」
最初に支給されたタブレットでこういう使い方が出来るとは思わなかった。遅れてやってきた先生(オブザーバー参加)も感心したような目で江宮を見ていた。ここで木田が手を上げた。
「今更なんだけど、『要求仕様』って何なの?」
江宮はずっこけることなく説明してくれた。
「主にソフトウェアやシステムの開発で使用される手法で、新製品を開発する際にその製品の理念・目的・機能・仕様・開発手法・期間・工数(開発者の人数×開発期間)などをまとめたもの、と考えてくれ。普通は、市場調査・ターゲット・価格と売上目標・原価と採算・販売・情報宣伝販促などをまとめた企画書とペアになっている。簡単に言えば、何のためにどういう製品を作るのか、ということだ」
簡潔で分かりやすい説明だったと思う。もちろんいきなり図面を引くというやり方もあるんだろうけど、それじゃあ回りは何も分からないからな。江宮は咳払いしてから話し始めた。
「前回、乗り心地を格段に良くしたうえで、巡航速度を現在の倍にすることが目標だと言ったことに変わりはないが、それに安全性の向上を加えたいと思う。もしキャッチコピーをつけるなら『安全安心、早くて快適』かな?」
特に異義は無かったので、江宮はタブレットを操作しながら要求仕様を説明してくれた。その概要は以下の通り。
まず目標は馬車の乗り心地を良くすること、巡行速度を二倍にすること、そして今回追加された安全性の向上の三点。それを実現するためのポイントが以下の十個。
1.ラダーフレームの導入:今までの馬車は前後の車軸の上に車軸受けを付けたボディ(キャビン)が乗っかっているような構造が多いが、金属製の梯子のような構造をした頑丈なラダーフレームを導入する。衝突などの事故にあったときにボディに直接衝撃がかからないので、人命を守ることにもつながる。四駆やSUVに多数採用されているラダーフレームは頑丈なだけでなく、耐久性にも優れている。
2.サスペンション:車輪は全て独立懸架式のサスペンションを導入してフレームに付け、フレームの上にも板バネ式のサスペンションとダンパーを設置した上にボディを乗せる。
3.五輪:現在の固定型の四輪の前方に駆動輪を追加して、五輪にする。それに合わせて長方形の短辺に三角形をくつけたような五角形のフレームを採用する。駆動輪は三角形の頂点に設置する。
4.ゴムタイヤ:利根川が開発したソリッドゴムを元に、金属製のホイールの車輪の外側にゴムを被せたゴムタイヤを開発する。
5.駆動輪:動力を効率的に伝えるため幅広のタイヤにする。モーター部分はホイールの中に収容する。
6.魔力アシスト機能:火と水、光と闇など、反発する魔力を回転力に変換する位相反転式モーターを開発する。魔力の流れに反応する風車でギアを高速回転させ、それを遊星歯車で減速することで、タイヤを回転させる。魔力で推進力を補助することで馬の負担を減らし、速度を向上させる。なんというかバッテリー搭載の電動自転車みたい。それとも馬と魔石のハイブリッドと呼ぶべきか?将来的には魔石の力だけで自走できることが目標。
7.ブレーキ:駆動輪および後輪にブレーキを付けて、下り坂での減速や緊急停止ができるようにする。安全性向上の目玉。
8.操縦装置:ブレーキ以外にも駆動輪を左右に曲げるハンドル(後輪は固定)や、魔力アシスト機能をオンオフできるクラッチなどを開発する。
9.座席:クッションを改良することで揺れや振動を軽減する。脚も床と接する部分にゴムを挟む。
10.防矢ガラス:雹や弓矢や投石を防ぐ。同時にオンオフできるスモークガラスも実現する。賊や魔物の襲撃から乗員を守る。出来れば槍の攻撃も防げれば良いが、オプションになる可能性あり。安全性向上の目玉。
以上が必ず達成する機能だそうだ。乗り心地の点で言うと、ゴムタイヤ・独立懸架式サスペンション・板バネ・座席のクッションの改良で、かなり改善されるとのこと。例えば、石に乗り上げた時にこれまでは「ガタン!」と直接的で強い衝撃があったのが、「カタン」位でおさまるそうだ。まあうまくいけばの話なのだろうが、みんな感心して拍手していた。
巡航速度については、現行の一倍半から二倍を見込んでいるそうだ。ただモーターの出力を上げるほど魔力のロスが増えて燃費が悪くなるので、最高速度をどこに設定するか悩みどころらしい。また、馬の負担が減ることによって、一日当たりの航続距離が延びることも見込んでいるそうだ。
また、必須ではないが、出来れば実現させたい機能・仕様は以下の通り。
・サイドブレーキ:坂道駐車や風が強い時を想定して、後輪を四つともロックできるようにする。
・ヘッドライト:ボディの屋外前方上部に照射器を設置して進行方向を照らし、夜でも安全に運航できるようにする。同様に後部にはテールランプを設置する。
・伝声管:車内と御者と円滑なコミュニケーションがとれるようにする。
・エアコン、冷蔵庫、照明など:長時間のドライブを快適に過ごせるようにする。
・低車高:タイヤはフレームに取り付け、馬車の最大の弱点であった車軸が無くなることで、車高を低く出来る予定。乗り降りが楽になるだけでなく、重心が低くなることにより安定性が増し、左右の揺れも小さくなる。
・バンパー:フロントとリアに衝突の衝撃を和らげるバンパーをフレームに設置する。
・その他:スライドドア、開閉可能な窓、バックミラー、引き出し式ステップ、サンルーフなど。
お腹いっぱいと言いたくなるほど魅力的なアイディアの羅列だが、まだ手付かずの部分もある。御者台の所だ。操縦装置を設計するためには御者が使いやすいものにしなければならないのだが、そこは実際に操縦する御者の意見を聞いてから作りたいそうだ。
最後に今後の課題は以下の通り。
・ゴムチューブを使った中空タイヤ。
・バック機能
・自力走行可能なパワフルなエンジン
・ラジオ ※放送局はどうするんだ?
でも、もしここまで出来上がったら、それは馬車ではなく自動車と呼ぶべきだろう。
みんな圧倒されたのか言葉もない中で志摩が手を上げた。
「要はオート三輪か?」
江宮は渋々頷いた。
「まあそういうことだ。五輪だし、駆動輪が前という違いはあるが・・・」
オート三輪は1940~1950年代の日本で大活躍した前一輪・後ろ二輪の三輪自動車だ。小さくて小回りが利き悪路に強いことで、物資の運搬に大活躍したそうだ(特に林道・農道・狭小地など)。二輪の小回りの良さを持ったトラックみたいなもので、ある意味戦後の日本の復興と経済成長を支えた車である。最初期は免許が要らなかったそうだが、本当かね。
志摩が続けた。
「だったら小型の規格として一頭立ての三輪馬車も作ったらどうだ?」
みんなが拍手で賛成した。三輪になると小型で重量が軽くなると思う。高速かつ取り回しが楽なので、連絡用の高速便としてニーズがあるかもしれない。要検討だな。
次に水野が質問した。
「一つ気になることがあるんだが・・」
「何でも聞いてくれ」
「プレゼンを始める前に表示されていたイラストなんだけど、あれは何だ?某有名自動車メーカーのロゴにそっくりなんだが」
江宮は笑顔でこたえた。
「もちろんそうだ。この車は顧客や大きさに合わせて複数の車種が出来るんと思うんだけど、シリーズ名としては『王冠』で統一する」
しんと静まり返った中で江宮は続けた。
「俺の中では既にキャッチコピーは決まっているんだ。『いつかはクラウン!』、これしかない!敢えて加えるならば『成功の証』だな」
江宮は力強く宣言した。こいつトヨタ党だったのか・・・。
水野は静かに聞いた。
「まさか王族のみ対象の限定生産なのか?」
江宮は首を振った。
「そんなことはない。王冠はあくまで車種のシリーズの名前だ。顧客は選ばないぞ。ターゲットとしては金持ち、富裕層だ」
水野は大きく頷くと続けて聞いた。
「王冠という名にふさわしい車だと自信を持って言えるのか?」
江宮は大きく頷いた。
「もちろんだ。これ以上ぴったりくる名前は無いと思う」
日さんや本ちゃんはどうなるんだと思ったが、ここまで言い切るからには一任するしかない。俺たちは顔を見合わせて皆の意思を確認した。ここは江宮にまかせることにしよう。馬車ギルドと御者席について打ち合わせてから、開発に入るそうだ。
最後に羽河が発言した。
「江宮君の担当分は順調みたいだけど、他のみんなはどうかしら?ちなみに野田さんの軍の行進曲は夏祭りが終わるまで待ってくれって。平野さんの軍用嗜好品の開発は試作品ができたそうよ」
流石は平野だ。弟子たちに差し入れの調理をまかせたお陰だな。野田は浅野の歌謡ショーの製作総指揮だから仕方ないかな。それ以外の担当者の報告は以下の通りだった。
・特産品の開発⇒利根川:現在試作中。もうちょっと待って。
・肥料の開発⇒志摩:たい肥センターの構想の取りまとめ中。草案が出来次第商業ギルドと打ち合わせる予定。
これで終わりかと思ったら浅野が手を上げた。
「あくまで養魚場と菜種油の生産が上手くいったらの話なんだけど、大なまずのフライをグラスウールの名物にしたらどうかな?できればポテトのフライを添えて」
工藤がすかさず指摘した。
「フィッシュ&チップスか?」
浅野が嬉しそうに頷いた。
フィッシュ&チップスはイギリスの国民食ともいえる名物料理だ。タラなどの白身の魚のフライにポテトチップスを足しただけだけど、この世界では揚げ物はまだまだ贅沢品なので、安価で提供出来たら話題になるだろうな。全員一致で特産品の候補に入れることにした。
食堂に行くとステージ上で伊藤がギターのチューニングをしていたので声をかけた。
「久しぶりだな」
伊藤は照れたようにこたえた。
「最近ずっと浅野のリハと練習ばかりだったからな。練習がてら自分の曲も決めたかったんだ」
確かに日本のフォークソングと言っても、関西を中心に活動したフォークの神様=岡林信康や加川良をはじめとする反戦色の強いプロテストフォークから吉田拓郎・井上陽水・かぐや姫などの政治的なメッセージの無いもの(四畳半フォークと揶揄されたこともあったが)までいろいろあるからな。
今日伊藤が披露したのは、定番の吉田拓郎・井上陽水・かぐや姫の他に遠藤健司の「カレーライス」や岡林信康の「チューリップのアップリケ」、はてはジョン・デンバーの「カントリーロード」やPPMの「花はどこに行ったの」までなんでもありだった。本番では八曲歌うそうだから選曲でさぞかし苦労するだろうな。
今日の晩御飯はカレーライスではなく、天丼とお吸い物だった。魚・海老・蟹・各種野菜の天ぷらにかかった甘じょっぱいたれがとてつもなく美味かった。これも醤油のお陰なのだろうか。デザートは醤油つながりで久々のみたらし団子だった。団子を噛みしめると立ち上る醤油の香りが最高だった。
日本茶を味わってから平野の所に寄ると、今日のお昼ご飯は冷やしそうめんと茶碗蒸しだったそうだ。醤油を使ったそうめんのつゆが自画自賛するほどの出来だったらしい。俺の分も取ってあったそうなので、ありがたくいただいたが、頼みごとをされた。
「夏祭りの差し入れ用のホットドッグなんだけど、まだ三百個以上余っているんだ。収納のスペースも問題もあるから、なんとかさばけない?」
もちろん俺が預かってもいいんだけど、どうせなら・・・。
「それなら商業ギルドに提供しよう。夏祭りで設営や案内でスタッフや手伝いを相当数動員すると思うし、露店を出す人達にも配布してもいいかも」
「それいいね!」
「ついでだけど、明後日の晩餐の時に試食用に切ったものを出したらどうかな?」
「分かった。そうする」
平野が賛成してくれたので、そのままホットドッグを預かろうとしたら、追加のお願い事をされた。
「あくまで個人的な想いなんだけど、これを『ホットドッグ』とは呼びたくないんだ。かといってソーセージを挟んだバケットとは言いたくないし、何か適当な名前を考えてくれない?」
「分かった」
返事はしたもののどうしようか?考えながら部屋に戻ろうとしたが、江宮が工藤と羽河に絡まれている。
「どうした?」
羽河は妖艶な笑みを浮かべながらこたえた。
「トランプのことで気になることがあったの」
「何だ?」
工藤が答えた。
「トランプの数字だが、わざとアラビア数字を使ったのか確認しているんだ」
そういえば・・・。記憶を手繰ったが、確かにトランプにはこの世界の数字は使っていなかった。俺は江宮を見た。
江宮は肩をすくめながらこたえた。
「分かった分かった。あれはわざとだ」
「なぜ?」
江宮はにやりと笑いながらこたえた。
「この世界の数字を見るとイライラするんだ。このままでは絶対に数学は発展しないと確信している」
「だから?」
「トランプには記号と数字が描いてある。例えばダイヤの3にはダイヤマークが三個と『3』という数字が描いてあるだろ。あれを見たら誰でも『3』が三個を表す数字であることが分かる」
俺は思わず叫んだ。
「お前はトランプを使ってアラビア数字を普及させようとしているのか?」
江宮は悪びれることなくこたえた。
「技術者をなめるなよ。俺達だって多少の悪だくみはするもんさ」
なぜか羽河と工藤が大喜びで拍手していた。工藤が上機嫌で言った。
「次は数学記号だな」
羽河もニコニコしながら言った。
「賛成!何か方法を考えましょ」
「0(ゼロ)の概念もなんとかしようぜ!」
大盛り上がりの三人を置いて俺は部屋に戻った。今までいろんなものをこの世界に生み出してきたが、ある意味アラビア数字は最大の贈り物になるかもしれない。この世界の発展のターニングポイントになるかもしれんが、そんなこと知らんがな。
お供えをする前にアイテムボックス内の浚渫フォルダをクリックして「仕分け」を選択した。なんせ量が凄いのでどのくらい時間がかかるのか、二日分だけでも試してみようと思ったのだ。明日にでもわかればいいな。
今日のお供えはグラタン入り厚切りトースト、冷やしそうめん、茶碗蒸し、天丼、塩キャラメル、みたらし団子と山盛りだ。
明日の浚渫も旨くいくようにお祈りして目を瞑り手を合わせると、「美味し!」の声と共に、ペタン・ペタン・ペタン・ペタン・ペタンという音が響いた。明日も何とかなりそうだな。
URに続き異世界にクラウンが誕生するようです。