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第297話:女神の森少年少女合唱団1

 8月24日、月曜日。昨日の蒸し暑さがおさまり、ランニング日和というか、涼しい風が吹いている。早朝の一時いっときかもしれないが、いずれ来るだろう秋の到来を予感させる気持ちの良い朝だった。


 ラウンジに戻ってジュースを飲みながらアイテムボックスを確認すると、薬酒三号が十樽出来上がっていた。念のため居合わせた工藤に味見してもらったが、大丈夫だそうだ。度数が高すぎて俺じゃあ良く分からないんだよね。


 ラウンジの隅のテーブルに利根川が突っ伏していたので、冷たい紅茶を持って行った。

「どうした?」

 利根川はのろのろと起き上がると、紅茶のカップを両手で抱え一口飲んでから言った。

「難しいのよ」

「何が?」

「ソール・・・」


 江宮に頼まれてある物を作ったそうだが、その応用でスニーカーのパーツ作りに勤しんでいるとのこと。今はクラスのスニーカーマニアの意見を聞いて調整しているそうだ。頑張って欲しい。


 今日の朝ご飯は暖かいうどんだった。出汁の種類は分からないが、まずはお汁がしみじみうまかった。真っ白い麺はもちもちなのに柔らかくて消化にも良さそう。

 麺の上に乗せる具はささ身やオークをはじめとする肉類、キラーフィッシュや大ナマズ・エビ・カニ・貝類などの魚介類、オクラ・玉ねぎなどの野菜類にきのこなど種類豊富な天ぷらが次々に揚がってくる。天ぷらってなによりパチパチ油がはじける音が素晴らしいと思う。食べる前から美味しいと思わせてくれるんだもの。


 あれこれ選んでいると、うどんのどんぶりには乗り切らないので、天ぷら用の皿が別についていた。ヒデを見ると天ぷらが山盛りで、もはやどっちが主役か分からない。テーブルには天つゆ・塩・刻み葱と黄色をした七味ぽい薬味まで置いてあった。柑橘の甘い香りが爽やかで幾らでも食べられそう。先生を見ると天ぷらをつまみにエールでご機嫌だった。うどんはいらないみたい。まあ、今日は講義が無いので、いいのか?


 俺の視線に気が付いたのか、先生に呼ばれた。

「羽河様からお聞きしました。浚渫しゅんせつはどの程度の規模をお考えですか?」

 俺は言葉を選びながらこたえた。

「王都北の山岳地帯手前の石切り場跡の近くから湖までを想定しています」


 先生は満足げに頷いた。

「流石は谷山様です。水運の復活も考えておいでなのですね」

 そんなことは全く考えていなかったが、黙って頭を下げた。先生は俺の手を取って告げた。

「王宮には昨日すぐに手紙を出しました。今日中に決済が下りるでしょう」


 先生によると、川が輸送に使えるようになれば、川沿いの農場からの農産物の輸送が劇的にはかどるらしい。王家も必要性は感じているが、水性の魔物の妨害が激しくて中断しているそうだ。やっぱりあれがいるのか・・・。


 先生の激励が終わると、ラウンジに行って、明日のお出かけのために馬車を一台予約した。カウンターにいたセリアさんが聞いた。

「行き先は?」

 俺は笑顔でこたえた。

「湖沼地帯です」


 予約が終わって振り返ると冬梅がいた。

「何するの?」

 良かった。探す手間が省けたぜ。

「ちょっとお願い事があってな。明日、湖沼地帯に行くんだ。河童を召喚してくれないか?」

 冬梅は二つ返事で了解してくれた。


 そのまま紅茶を頼んでのんびりしていると藤原が来たので、スニーカーについて聞いてみた。重度のスニーカーマニアである藤原の話は半分くらいしか分からなかったが、スニーカーがソール(靴底)、アッパー(上下左右)、インソール(中敷)の三つのパーツから出来ていることは理解できた。


 俺の感覚になるが、車に例えるとソールがタイヤ、アッパーがボディ、インソールがサスペンションに相当するような気がする。利根川が苦心しているソールは衝撃を吸収するだけでなく、足の力を適切に伝えて地面を蹴る重要なパーツなのだそうだ。


 藤原の熱い解説が終わったら木田と浅野が待っていた。

「そろそろ行くわよ」

 そうなのだ。今日は子供達と一緒に女神の森に行くのだ。女神の森少年少女合唱団のお披露目なのだ。なんせ文字通り神様の前で歌うのだ。うまくいったらこの上ない自信につながるだろう。


 まずは食堂に行って平野からお弁当とお供え物を受け取った。ラウンジに戻ると野田・浅野・木田の他に小山と千堂とベルさんが待っていた。三人は一緒に行って合唱団のお披露目を見届けるつもりのようだ。

 楽丸はいつも通りお堂のお掃除組に行くようだ。掃除が終わってから工藤達と一緒に物産展に向かうとのこと。


 俺たちもお披露目の後はそのままヌーデルティア共和国の物産展に行く予定だが、他のみんなはお昼ご飯を食べてから行くみたい。ラウンジは遠足の出発前のようなうきうきした雰囲気に包まれていた。カウンターで何か話していた羽河が俺の所に来て金貨一枚を渡しながら言った。


「はい、今日の物産展のお小遣、谷山君には不要かもしれないけど」

「そんなことないよ、ありがとう。書類の進み具合はどう?」

「王家へ献上する都市計画は明日には完成する予定よ」

「一部は王家からの依頼と重なっているけど、問題ないかな?」

「王家の依頼に対する返事も翻訳が終わり次第提出するから問題ないわ」


 流石は羽河、昨日のミーティングのまとめも終わっているようだ。丁度迎えの馬車が来たので表に出ると、教会の馬車と伯爵の馬車も来ていた。今日は城外に出るので仕方ないけれど、毎度の護衛ご苦労様です。羽河が笑顔で見送ってくれた。


 まずは東の教会に向かう。馬車の中で一番緊張していたのはベルさんだった。おそらく彼女は女神の森の結界の中には入れないことを説明したのだが、「一番近くで応援したいから」と言って同行を切望したのだ。


 小山が丁度隣に座ったので、明日湖に行くことを話して護衛を頼んだ。武術も魔法も使えない俺なので、仕方ないだろう。いつも通り笑顔で頷いてくれたので、一安心。


 教会に着き、迎えに出てきた子供たちを見て俺たちは驚いた。なんと紺地の襟に二本の白線が入ったセーラー服だった。襟以外の上着の色は温かみのある薄いクリーム色。下は男の子は紺のズボン、女の子は同じく紺のスカートだった。これが女神の森少年少女合唱団の制服なのか。


 驚いたのはそれだけでない。上着の左胸に青色のワッペンのような丸い縫い取りがあるのだが、上には「Beauty and Fertility」、下には「VENUS」の文字が白抜きで、真ん中には女性のイラストが入っていた。


 ただの女性ではない。色は異なるけど、アメリカはシアトル発の世界最大のコーヒーチェーンのシンボルマークそっくりだった。そのモチーフとされるセイレーン(サイレン)はギリシア神話に登場する人魚だ。美しい歌声で船乗りを誘惑し、とりこにしたとされる。


 ギリシア神話を起源とするなんて合唱団のシンボルとして洒落ている。また、Beauty and Fertilityを日本語に訳すと「美と豊穣ほうじょう」になるので、ビーナス様のキャッチコピーとしてはぴったりかもしれない。


 木田が「どう?」と言いたげな誇らしい顔をしていたので、俺たちは心からの拍手を送った。実際服も可愛かったし、よくできていたと思う。なによりセーラー服が強烈に懐かしかったこともある。


 拍手しなかったのは浅野だけだった。不思議に思って聞いたら、浅野が遊びで描いたイラストを木田が面白がって勝手に胸のワッペンにしたらしい。浅野は外したかったが、子供たちは大喜び、シスター達にも好評だったので、止められなかったそうだ。

 

 今日はリハーサル代わりに夏祭りで披露する二曲を通しで数回練習してから出発するそうだ。俺は一回目を聞いて「これは駄目だ」と思った。緊張しているのか、表情も硬いし、声も全然出ていない。マエノリ君のピアノもミスが無いだけで、何も感じるところが無かった。


 浅野は両手を大きく左右に振って練習を中断すると、子供たちに笑顔で呼びかけた。

「練習はいったん中止!それより笑って!精一杯の笑顔で笑って!」

 子供たちは何を言われたのか分からない顔をしたが、言われた通り笑い始めた。


 心に迷いがあるのか笑い声は小さかった。浅野は首を振って叫んだ。

「もっと!大きな声で笑って!」

 浅野に発破をかけられて子供たちの笑い声は徐々に大きくなっていき、最後は笑顔まで見せるようになった。


 浅野は満足したのか、笑う練習を止めてリハーサルを再開した。笑うことによって余分な力が抜けたのか、二回目からはいつもと同じ元気な歌声が復活した。これなら大丈夫だろう。マエノリ君のピアノも伸びやかなタッチが感じられるようになった。野田やベルさんも安心したみたい。


 時刻は既に昼前になったが、このまま出発することになった。俺たちはシスターたちに見送られながら最高の気分で馬車に乗り込んだ。

女神をモチーフにしたといえば「サモトラケのニケ」を元にしたナイキも有名ですね。なおこちらは「勝利を告げる女神」です。スポーツにぴったりですね。でもビーナスも「愛と美」以外に「戦い」の女神でもあるそうです。

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