第291話:私は風7
オーク肉の処理は宿舎に到着すると同時になんとか終わった。喉が渇いたので、カウンターに行くと、浅野が紙の束を受け取っていた。差し入れを包装する紙を頼んでいたようだ。
ジュースを飲んでから食堂に行って、平野に肉を二百七十五キログラム(塩胡椒小麦粉を混ぜると増えた)納品した。平野は腕組みして言った。
「うーん、七十点!ぎりぎり合格」
肉の切り方がいまいちだったようだ。肉の塊ごとに繊維の方向に合わせて切らなければならないらしい。厳しいな。明日弟子たちの指導をしたうえで、明後日から調理を始めるとのこと。一日二百個が目標だそうだ。
胸をなでおろしながら、合唱団のお披露目のため、24日に女神の森に行くことを伝えて、お供えの用意を頼んだ。平野は笑顔で了解してくれた。晩御飯まで時間があるのでラウンジに戻ると、利根川に話しかけられた。
「薬酒の元になる蒸留酒はできたんだけど、1~3号のどれにする?」
エールを元に蒸留酒を作り、蒸留酒をさらに蒸留しながら香りや風味をつけることで薬酒は出来上がるのだが、薬草や木の実の選択によって三種類あるのだ。
俺は悩んだ末に最も癖が強い三号を選んだ。ただし、原酒の中に薬草を入れ、樽の中でそのまま一年程度熟成させることにした。ジンというよりは薬草酒といった方が正しいのだが、こっちの方がウケそうな気がしたのだ。
原酒の樽に薬草類を入れるだけで良いので、簡単になったと利根川は喜んでいたが、ついでとばかりに頼みごとをしてきた。
「二つともどこで採取したのか分からないのよ。探してくれない?」
利根川が差し出した手の上には長さ五十センチほどの緑色の細い茎と芽キャベツのような小さな実(それとも花?)のような物が乗っていた。
なんだろこれ?良く分からないが、とりあえず預かった。俺は気になることがあったので、男子棟に戻った。洞窟地帯から戻ってから中原の顔を見ていないのだ。扉をノックすると、大きな声で返事が返って来た。
中に入ると、青井と江宮と中原がいた。中原はベッドの中で毛布をかぶっている。
「どうだ?生まれそうか?」
中原は元気にこたえた。
「見てみて」
中原が毛布をはぐると黒い卵が現れた。黒いのは変わらないが、表面に大小の血管のようなものが網目状にびっしりと入っている。良く見るとその血管のようなものは心臓の鼓動のような一定のリズムに合わせてドクン…ドクン…と脈打っていた。
正直言ってかなりグロい。禍々しいというか気色悪い。そして怖い。絶対何か悪いものが入っているような気がする。しかし、無邪気に喜んでいる中原を見ると、捨ててしまえとは言えなかった。
「順調みたいだな」
俺の返事に中原は満面の笑顔でこたえた。一応聞いてみよう。
「中に入っているものの正体は分かったのか?」
江宮は首を振った。
「利根川と野田と平野に鑑定を頼んだが、三人とも駄目だった。魔法を弾かれてしまうんだ」
困った・・・。中身が分からないと対応の仕方が分からないぞ。
「予定日は?」
中原は明るくこたえた。
「もうすぐだよ」
青井が慰めるように言った。
「確かに中身は分からないが、三人とも『瘴気や悪意や悪想念は感じられない』と言っていたので、大丈夫とは思うんだが・・」
確かに悪意はなくても大惨事、と言うことはありうるな。中原にはヘッドセットを渡したままにして、何かあればラウンジのカウンターとすぐに連絡を取れるようにしておこう。
今日の晩御飯は水餃子鍋だった。各種野菜を鶏がらスープで煮た中に小ぶりの丸っこい餃子と臭み消しのハーブが浮いている。一人ずつの小鍋に入っているので、自分のペースでゆっくり食べることができた。スープも餃子も味付けしてるのでそのまま食べられるが、小皿にとって酢としょっつるをかけて食べてもおいしかった。
浅野と野田と伊藤のカルテットは今日も絶好調だった。大凧飛行大成功記念として「ひこうき雲(新井由美)」と「ゆうこのグライダー(神崎みゆき)」と「空も飛べるはず(スピッツ)」をやってくれた。一曲目も三曲目もすごい名曲なんだけど、なぜか二曲目が印象に残った。
拍手が鳴り響く中、デザートの胡麻団子を食べながら余韻に浸っていると、先生がやって来た。
「浅野様の歌はいつも素晴らしいのですが、今日は昼間王都を鳥の目で見降ろせる機会を得たせいか、いつにもまして感動的に感じられました」
俺は大きく頷いてからこたえた。
「俺もまったく同じです。それに先生も素晴らしいと思いました」
先生は大きく首を振った。
「それは違います。私は木田様や浅野様を始めとする皆様の考案した魔法を見るたびに、いかに我々が過去や伝統の牢獄に囚われているか思い知らされます。皆様の前には明るい未来が開かれている、そう感じるのです」
答えに困っていると、先生は続けて聞いた。
「浅野様の歌の中で『ひこうき』と『グライダー』という言葉がございました。これはどういう意味があるのでしょうか?」
俺はしばし考えた。言霊で翻訳できなかった言葉があるようだ。俺は少し考えてから説明した。
「俺たちの世界には空を飛ぶための機械があります。『ひこうき』と言います。『グライダー』は飛行機の一種類です」
先生は何度も頷くと静かに呟いた。
「空を飛ぶ機械ですか・・・乗ってみたいものです・・・」
その言葉にこたえたのは江宮だった。
「乗れますよ。俺が作ります。馬車の改造と並行しての作業になるので、時間がかかると思いますが・・・」
先生は手を合わせて言葉もなく感動しているようだった。
安請け合いをするなと言いたかったが、江宮の目を見て黙っていた。先生が深くお辞儀をして席に戻ってから俺は聞いた。
「馬車があるのに大丈夫か?」
江宮は不敵な笑みを浮かべながら言った。
「だからだよ。馬車は実用百パーセント、飛行機は夢とロマンが百パ-セントだ。実用品の開発で行き詰った時は、夢とロマンの開発が絶好の気分転換になるんだ。馬車の改造の足を引っ張ることはないから、是非やらせてくれ」
いつになく熱く語る江宮には頷くことしかできなかった。どこで聞いていたのか、藤原がすかさずテストパイロットをかって出た。後ろには鷹町と平井が控えている。こいつら大丈夫か?全員女の子だが、小柄で軽量な所はテストパイロット向きかもしれないが...。
部屋に戻ると窓枠にお供えを並べた。今日はスパゲッティミートソース、ホットサンド、バター餅、アイスキャンデー、水餃子鍋、胡麻団子の六点だ。「美味し!」の声と共にペタン・ペタン・ペタン・ペタン・ペタンという音が響いた。
「ゆうこのグライダー」は神崎みゆきの1973年発売のシングルレコードです。神崎さんはフォークシンガーなのですが、録音したミュージシャンの関係かロックバンドみたいなノリです。「風に乗ってびゅんびゅん」というフレーズが良いです。それにしても江宮君は何を作る気でしょうか?