第285話:発明王江宮
8月21日、風曜日。ランニング前にラウンジのカウンターに寄って練兵場に行くことを伝えると、中原以外の全員が練兵場に行くそうだ。俺が最後だったみたい。みんな小山の晴れ姿を見たいのだろう。外に出ると、先生につかまった。
「昨日はみっともない所をお見せしました」
「歌を作った人間と先生の気持ちがシンクロしたのでしょう。誰でもそういう瞬間はあると思います」
「大凧のことを考えて、気持ちが高ぶっていたかもしれません」
先生は顔を上げて遠くを見るような目をした。もしかすると小山以外で大凧の成功を一番に願っているのは先生かもしれない。
今日の空は綿を小さくちぎった様な細く小さな雲が数個浮かんでいるだけのきれいな青空だった。風は凧を飛ばすには頼りないそよ風だが、まあなんとかなるだろう。相変わらず雨の匂いはしなかった。
ランニングを終えてラウンジに入ると羽河が待っていた。昨日言っていた差し入れの試作品が出来たみたい。一緒に食堂に行くと、カウンターの前で浅野が待っていた。
「出来たのか?」
「なんとか」
返事をしたのは平野だった。カウンターの内側から白い皿を渡してくれた。上に乗っていたのは小型のバゲットのようなパンだった。ホットドッグより一回り大きいパンの縦の割れ目に挟んであるのは・・・ハンバーグ?平野は自信たっぷりに説明してくれた。
「一個で満足できるように普通より一回り大きくしたよ。ソーセージの代わりに縦に長いパテを使う。具はそれだけで、マスタードもケチャップも無し」
ソーセージを千本作っている暇はないそうだ。さらに焼き時間を考えて具は薄手のパテにするとのこと。四等分してみんなで試食した。
通常の柔らかいホットドッグ用のパンと違って、どっしりしたバケットの生地と肉汁たっぷりのパテが絶妙のバランスだった。味付けも最小限でシンプル過ぎるほどシンプル。直球ど真ん中と言うか、素材の良さで勝負!という感じ。文句無しにうまかった。
小ぶりのバケットを一本丸ごと使っているだけでなく、ひき肉ではなくこま切れ肉でパテを作っているせいか噛み応えもあるので、一個食べれば十分満足できるだけのボリュームがあった。
平野によるとパンをバケットにしたのは、ほかにも理由があるそうだ。普通のホットドッグ用のパンは食パンと同じで柔らかくするために砂糖やバターなどを加える必要があるが、バケットならば小麦粉・水・塩・イーストだけで済むとのこと。材料費も安くて作り方も簡単なのだそうだ。
俺は思わず唸った。
「これいいな。孤児院の子供たちも含めて当日の俺たちの昼食もこれで良いんじゃないか?」
平野は喜んだ。
「いいの?助かる!」
材料は小麦粉の大量在庫があるのでパンは大丈夫。パテも敢えて大きめに切ったこま切れ肉に少量のつなぎと塩と胡椒を混ぜて焼くだけ。行程的にはパンを焼いて切れ目を入れ、焼いたパテを挟んだら完成!
この見本は弟子A、B、Cで作ったとのこと。三人で分担して作れば、当日までに千個は用意できるそうだ。バケットにした理由の一つはこれかもな。アイテムボックスで作り置きができるのは本当に助かる。何個必要かは改めて俺が調べることにした。
取り合えず平野から預かっていた小麦粉の在庫を全部返し、アイテムボックスの中の食用の肉類も供出することにした。パテ一個で二百五十グラムの肉を使用すると考えると千個では二百五十キログラム必要なのだが、洞窟地帯でオークを五十頭以上討伐しているので余裕で足りるだろう。
平野からつなぎに使う小麦粉と塩・胡椒を預かり、アイテムボックスの中で細切れにした肉と混ぜ、焼くだけの状態で渡すことになった。肉の刻み方については細かくて細かくて細かい指導を受けました。
ここで浅野が手を上げた。
「出来上がったら、紙で一個づつ包装しないといけないよね。紙は僕が手配して良い?」
特に異論はなかったので、包装紙の手配は浅野に任せることにした。これで一段落かと思ったら、後ろから声をかけられた。江宮だった。
「すまん。ちょっといいか?」
と言いながら、大凧製作委員会の部屋に問答無用で連れ込まれた。興味を惹かれたのか、後ろから羽河もついてきた。
部屋の中、大きなテーブルの上には見慣れない器械や箱が何個も置いてあった。
「大凧はどうした?」
俺の質問に、江宮は早口でこたえた。
「今日試験するのはもうマジックボックスの中にいれてある。それより・・・」
「こいつはなんだ?」
俺はテーブルの上の器械を指さしながら聞いた。江宮は頭を掻きながらこたえた。
「大凧作りと並行していろいろ試作していたんだが、いよいよ馬車作りに入るだろ?馬車以外はなるべく終わらせて、出来るだけ馬車に集中したいんだ」
試作の状態で置いておくと、際限なく改良してしまいずっと手間がかかってしまうのだそうだ。この状態でひとまず俺に預けて、馬車・夏祭り・王妃様案件以外はひとまず終了してしまいたいとのこと。
とりあえず試作品を一個ずつ説明してもらった。並んでいたのは、トースター、扇風機、ボックスクーラー、携行型エアコン、魔卓(卓上用小型計算機)、魔法瓶、キッチンタイマー、目覚まし時計、マジックランタンの九種十一個。
ちなみに扇風機は二個あった。団扇を物理的に動かすタイプと箱型になっていて中から風が吹き出すタイプだ。ボックスクーラーも大小の二個あった。携行型エアコンは以前作っていたクーラーに暖房機能を加えたものだ。
魔法瓶は保温だけでなく、湯沸かしもできるようになっている。マジックランタンは火を使わず、魔石の力だけで明るくなるのだが、明るさの調整とタイマーが付いているのがこの世界にあるものと違うそうだ。
「江宮君は発明王の子孫なのかしら?」
羽河があきれたように話した。俺も、いや誰でも同意すると思う。羽河は続けて話した。
「でも、その団扇型扇風機はやめた方が良いと思うわ」
かなり凝った作りになっていることは俺にも分かるが、羽河の意見に百パーセント同意する。江宮は残念そうに部屋の隅に片づけながらこたえた。
「分かった。こいつはあきらめよう。魔石が切れた時は団扇であおげると思ったんだが・・・。販売について一つだけアイディアがあるんだがいいかな?」
「なんだ?」
江宮は意を決したように言った。
「魔法瓶を売り出すときのコピーは、『これが本当の魔法瓶!』というのはどうだろうか?」
羽河の目が吊り上がった。あ、怒っている。江宮の考えたキャッチコピーは真面目な羽河にはウケなかったようだ。
「それは駄目!」
「どうして?」
「この世界の人は誰も分からない」
江宮は悲しげに肩をすくめると、マジックボックスから扉を一枚取り出した。
「こいつが最後の一個だ」
こいつは扉じゃない。これは・・・。
「網戸だ!」
俺は思わず拍手した。
「いいな、それ」
江宮は笑顔でこたえた。
「ここ一階だろ。窓開けてると虫や蚊が一杯入ってくるけど、こいつを窓枠の外に固定するだけで虫はシャットアウトだ」
羽河も笑顔になった。扇風機とセットで売れるかもしれないと話していると、入り口から声がかかった。
「それだけじゃ駄目ね」
誰かと思って振り向くと利根川だった。
「待っていて。最後のワンピースを持ってくるわ」
利根川が持ってきたのは、直径十センチ位の緑色をした渦巻き状の物体だった。あれは・・・。
羽河が目を細めながら聞いた。
「蚊取り線香?」
利根川はくるりと回転してポーズを決めると笑顔でこたえた。
「そのとーり!」
普段そういうことはやらないので、なんだか無駄に可愛かった。
殺虫成分を持つ植物の収集は早くに終わっていたが、長時間に渡ってじわじわ燃えるベース部分の開発に時間がかかったそうだ。網戸・扇風機・蚊取り線香は夏の三点セットでいけるかもしれない。
江宮&利根川の発明は後日商業ギルドと交渉することにして全て預かった。以前江宮から預かっていた魔法コンロ、魔法ロースター、食洗器の契約がほったらかしになっているので、これも一緒に契約しよう。
江宮君の発明は地味だけど役に立ちそうです。差し入れも何とかなりそうです。