第282話:雪女
平野からお弁当を預かり、羽河と一緒にラウンジに戻ると、冬梅・一条・平井・志摩・木田と洋子が待っていた。洋子は万が一に備えて回復役として参加するそうだ。既に馬車が来ているそうなので外に出ると、近衛の馬車の傍らに伯爵が立っていた。挨拶してから話しかけた。
「スキルと花火の確認をしたいんですが、場所はどこが良いですか?」
伯爵は即答した。
「新しい魔法を試すのであれば、人目を避けねばなりませんな。王都の北側の草原がよろしいかと思いますぞ」
俺たち、伯爵、護衛の騎士たちで計三台の馬車は北門を目指した。時刻は七時過ぎ。打ち合わせがあるということで、俺と羽河は伯爵の馬車に呼ばれた。早速聞いてみよう。
「先生から聞きましたが、王家からの依頼とは何ですか?」
伯爵によると先王の、あるいはそれ以前の王から代々先送りになっていた課題が幾つかあり、その解決に協力して欲しいそうだ。
「協力はしますが、お役に立てるかどうかわかりませんよ」
俺の言葉を聞いて伯爵は大きな声で笑った。
「頼んでおいてなんですが、即座の解決を期待している訳ではありませんぞ。解決に至るための糸口やヒントをアドバイスして頂くだけでも十分なのです。リストの一番目とか特にそうですが、それだけの難題ということですな。よろしくお願いしますぞ」
伯爵は「まだ検討中ですが・・・」と言いながら、作成中の案件リストを見せてくれた。リストには、干ばつ、馬車の改善、トリヒド、下水処理場跡、誘拐事件、西門横の工場跡、特産品の開発、暖房器具、肥料、軍の行進曲、軍用嗜好品、北の飛び地と国境砦の慰問と書いてあった。
ちょっとというか、かなりきな臭いのが二件(誘拐事件と慰問)あるが・・・羽河は俺の顔を見てから言った。
「リストの中で馬車の改善と肥料は既に手を付けています。また、交通事故を減らすための施策を含めた都市計画に関する献策も別途立案中です。それ以外については、正式に依頼を頂いてから改めて検討させていただきます」
伯爵は大声を上げて喜んだ。
「ありがとうございます。どのような馬車が出来るか楽しみですな。献策も期待しておりますぞ。出来上がったら某か侍女長に渡してくだされ。案件リストが完成したら改めてお送りします」
伯爵によるとスキルやレベルは戦闘でなくても上がるそうだ。問題解決に要した労力も経験値に変換されるらしい。まあ討伐ほど効率は良くないらしいが・・・。いつの間にか馬車は北門を出ていた。窓から外を見るが、浅野がいないので、今日はロボのお迎えはないみたい。
夏祭りの準備の一つで、明日PAのテストをすることを伝えると、伯爵の目が輝いた。
「拡声器の試験ですな。侍女長から聞いておりますぞ。素晴らしい。ぜひ見学させてくだされ」
伯爵によると誰もが拡声の魔法を持っているわけではないので、質の良い拡声器は前々から欲しかったらしい。確かに集団で訓練する軍隊には必須だろうな。
前回鍛錬した場所のかなり先で馬車は止まった。三百六十度見渡す限り大草原のど真ん中だ。王都からの距離は五キロ位だろうか?これだけ離れれば十分だろう。
さっき伯爵の口から「干ばつ」と言う言葉を聞いたが、前回来た時と比べてあきらかに緑に元気が無いように感じる。所々茶色いのが混ざっているような・・・。最近まったく雨が降らないせいだろうか・・・。
馬車は街道沿いに置いて、百メートルほど西に移動した。空を見上げると朝方見た雲は東の端に追いやられて、いつもの青空が広がっていた。羽河は探査のスキルを索敵モードで使っている。エリア内の敵・毒・罠など害のある存在を探すのだ。
索敵範囲は半径百メートルの半球状。範囲は最大で半径一キロまで広げることができるが、その分魔力消費も激しくなるので持続時間が短くなる。パッシブとアクティブの切り替えが可能で、アクティブの方が高性能だがその分魔力消費が激しくなる。
使い分けとしては通常パッシブで使って、気になる反応があったらアクティブに切り替えるそうだ。索敵以外に捜索モードもあり、仲間や友軍・人間を効率的に探すことができるとのこと。
「エリア内にいるモンスターは角兎くらいね。やる気になった平井さんがいるから、まともなモンスターは寄ってこないと思うわよ」
魔物にも危険察知能力があるみたい。羽河から安全宣言が出たので、テスト開始だ。
トップバッターは冬梅だった。雪女をよぶために慎重に召喚の呪文を唱える。冬梅を中心にして黒い魔力が螺旋状に渦巻くのが目に見えるようだった。召喚が始まるまでの時間の長さが込められた魔力の大きさを物語っている。
一条が心配そうに見つめる中、冬梅が杖を振ると黒い光が爆発した。光が収まると、そこには黒い日傘をさし純白の和服を着た少女が立っていた。染み一つない真っ白い肌、腰まで伸びる艶々した黒髪、等身大の日本人形に見えるほど整った顔立ちをした究極の美少女だった。ただ一点、血のような紅に輝く瞳が、彼女が人間でないことを物語っていた。
ぐらりと冬梅の体が揺れて跪いた。魔力が枯渇して貧血を起こしたらしい。立ち上がろうと伸ばした右手を少女が握った。横から見ると、まるでお姫様に忠誠を誓う騎士のように見えた。
冬梅を助け起こした少女にそう伝えると、雪女は嬉しそうに笑った。
「ちっとは物の道理が分かる人間もおるようじゃな。名乗るがよい」
「はい、たにやまたかしです」
なぜだか分からないが後ろから足をガシガシと蹴られている。これは・・・一条と洋子か?なんで?
「今日は気分がよい。真の冷寒地獄を見せてやろうぞ」
少女は日傘を左肩に預けかえると、右手を前に突き出した。伸ばした手の一メートルほど先から白い豪風が吹き出した。
雪・氷・霰・雹が混ざった白い嵐が見る間に世界を覆い尽くしていく。まるでブリザードの女王だ。さっきまで空の中心で世界を焦がしていた太陽が見る間に灰色の雲の後ろに追いやられていく。
永遠に続くかと思った雪嵐は唐突に終わった。右手を下ろした少女の前には見渡す限り草も木も岩も万物が白の彫像と化した氷の世界が広がっていた。動くものが何一つない真っ白な世界を雲の裂け目から顔を出した太陽が冴え冴えと照らしていた。
青い顔でふらふらしている冬梅を見て、雪女は鼻で笑った。
「召喚士どのはまだまだ修行が足りんのう。ちいとばかり魔力を戻してやるか」
雪女は冬梅の首元を掴むと顔をぐいっと寄せ、むさぼるように唇を奪った。後ろで一条が声にならない悲鳴を上げた。
十秒ほどたっただろうか、雪女は名残惜しそうに唇を離した。情熱的な口づけだった。二人の口をつなぐ唾液のアーチが切れると、冬梅の顔に赤みがさして目の焦点があってきた。
「吾とそちを繋ぐ経絡を作ったぞ。何かあればまた呼ぶがよい」
その言葉が終わると同時に豪と風が吹いた。雪女は傘をさしたまま体重を持たぬようにふわりと宙に浮くと、こちらを向いたまま遠ざかっていき、最後は空気に溶けるように消えていった。俺はアイテムボックスから取り出したバニラアイスの皿を持ったまま呆然と呟いた。
「せっかく用意したのに・・・」
「それを早く言え!」
声と同時に目の前の何もない空間から白い手が飛び出した。透明の暖簾を右手でかい潜るようにして雪女が現れると、皿を奪い取った。雪女は唖然としている俺達の前で目を細めながらバニラアイスを召し上がられました。
「この氷菓子はかって食べたことが無いほど美味であった。色・香り・甘味・食感・温度、全て見事なり!」
せっかくお褒めの言葉をいただいたので、答えておこう。
「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」
少女は艶然と微笑みながら皿を返すと、何も言わず淡雪のように消えていった。
雪嵐に関してですが、風速36メートルで体感温度は24度下がるそうです。