第280話:夏祭りの準備が始まる5
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8月20日、土曜日。ランニングで外に出ると、空は王都の上空できれいに東西真二つに分かれていた。東側は一面灰色の雲で覆われるのに、西側は雲一つない青空だった。気圧の谷と言うか前線と言うのか、そういうのが可視化しているのだろうか?どちらにせよ雨の気配はなかったのだった。
空を見上げながら走っていると羽河から話しかけられた。
「昨日の晩に先生から聞いたんだけど、当面午後の鍛錬はお休みだって。魔王が魔物を送り込む可能性を考えて、ダンジョンでの鍛錬は中止するそうよ。その代わり、練兵場を使って自由に鍛錬して良いし、自習と言うのかな?王都の中であれば何をやっても良いみたい」
俺は驚いた。助かったと思う反面、少しだけ残念な気持ちがするのはなぜだろうか?
「夏祭りの準備や生活向上委員会の活動を考えるととてもありがたいけど、何か条件が付いているんじゃないか?」
羽河はにやりと笑いながら続けた。
「条件じゃないけど、現在この国が抱えている難題の解決に力を貸してほしいそうよ。もちろん強制ではないし、やるやらないは案件ごとに判断して良いって」
俺は少し考えてからこたえた。
「王政を維持したままこの世界を発展させるのであれば問題ないか・・・。それでいいのかな?」
羽河は肩をすくめながらこたえた。
「まあ良いんじゃないの。王政については私たちの常識がこの世界にフイットするとは限らないし、必ずしも二十一世紀の民主主義が最善とは言えないと思うからね」
そこまで自虐的に考える必要もないと思うだが・・。ランニングが終わってラウンジに戻ると冬梅から話しかけられた。なんだか顔色がさえない。
「どうした?」
「今日の午後、馬車で王都の外に出たいんだけどいいかな?」
テーブルに移動して詳しく話を聞くと、洞窟地帯で冬梅が使った「裏月」の魔法が妖怪たちの間で問題になったらしい。
「なんで?」
冬梅はぼそぼそと話した。
「裏月って温度を下げて敵を凍らせる魔法だろ・・・。何か思いつかない?」
やっと分かった!
「雪女か?」
冬梅は深く頷いた。
「どうして私を召ばないの!とキンキン(凍っているので)に怒っているらしい」
雪女の不機嫌によって墓場(?)には極寒のブリザードが発生し、困り果てた砂かけ婆達が直訴してきたようだ。昼一番で商業ギルドが来るので、それが終わってからつきあうことにした。ちなみに一条も護衛を兼ねて付いてくるそうだ。「雪女」がどうしても気になるらしい。
カウンターで馬車の手配を頼んでいると、平井と志摩が同行を希望してきた。
「雪女に興味があるのか?」
志摩は鼻を掻きながらこたえた。
「それもあるけど・・・」
平井が続きをこたえた。
「王都の外に出るんでしょ。自分自身のスキルを確認したいのよ。練兵場だとちょっと狭いのよね。それに花火を試しておきたいの」
志摩は分かるけど、平井は範囲魔法的なものはないはずだが・・・。まあいいか。念のため伯爵にも連絡しておこう。
今日の朝ご飯はトマトの冷製パスタだった。スープパスタなんだけど、真っ赤なトマトのすっきりした酸味が青いバジルを散らした冷たいスープにぴったりで、夏の朝の最適解と言うべき爽やかな朝ごはんだった。
何があったのか昨日深酒したらしい先生が有難そうにスープをスプーンですくって流し込んでいたので、午後から冬梅・一条・平井・志摩と一緒に外出することの許可をお願いした。スキルの確認のための外出であると説明したら、遠出をしないことと索敵のできる護衛を付けることを条件に許してくれた。王都の外に出ることによる魔王の介入を警戒しているみたい。
いつものように護衛を小山に頼もうとしたら、羽河が俺を止めた。
「私が行くわ」
びっくりして羽河を見ると伊達眼鏡をクイッと押し上げながらこたえてくれた。
「スキルの確認なんでしょう?現有戦力の確認のために出来るだけ自分の目で見ておきたいわ」
これで終わりかと思ったら、木田が話しかけてきた。
「私も行くわ。試したい魔法があるの」
合唱団の制服作りで忙しいと思っていたが、型紙作りはほぼ終わったそうだ。制服作りは間に合うとのことなので、断る理由はない。
ラウンジに行ってカウンターで手紙を書き教会に至急送るようにお願いした。手紙には24日・月曜日に女神の森に行って女神様の前で合唱団のお披露目すると書いたので、読んだらびっくりするだろうな。ごめんね・・・と心の中で謝っておこう。
ミドガルド語の講義の前に先生から今後について通達があった。内容は朝方羽河から聞いた話と一緒だった。即ち、ダンジョンアタック中止、午後の修練無し、自主練習はOK、その代わり王家から依頼があるので、出来れば協力してくださいということだ。最後に魔王討伐後も俺たちに対するサポートはこれまで通りきちんと行うと明言してくれた。元魔王の話を気にしているみたいだな。
洞窟地帯は厳密にはダンジョンではないので、レベルアップは抜きでもダンジョンに潜りたいという意見も出たが(レイスやガーゴイルなど定番のモンスターにあえなかったので)、魔王が転移魔法を使い強力な魔物をダンジョンに送り込んでくる可能性があると説明すると、みんな納得してくれた。羽河が三年三組を代表して王家からの依頼について出来る限り協力することを伝えると、先生は厳粛な顔でお礼を述べた。
講義が終わると先生は来月使用する予定のテキストを三冊配った。歴史が二冊と伝説・伝承の本が一冊だそうだ。時間があるときに読める範囲で読んで欲しいとのこと。この世界の常識が身につくだけでなく、伝説・伝承は魔法を構築する際にも役に立つそうだ。
お昼ご飯はバゲットを使ったチキンカツサンドだった。もちろん玉ねぎの薄切りとキャベツの千切りがたっぷり入っている。マヨネーズがかかっているが、好みでマスタード・ケチャップ・ウスターソースをかけられるようになっていた。
具材もチーズ・プレーンオムレツ・ポテトサラダを好みで追加できる。マヨネーズもオーロラソースに変更可能だった。おいしかったので、お出かけに合わせてお弁当を用意してくれと平野に頼んだ。
デザートのブルーベリーのジェラートを味わってからラウンジに行くと、既に商業ギルドのジョージさん、木工ギルドのデカルドさん、そして初めて見る初老の男性が待っていた。早速挨拶すると、男は馬車ギルドのギルド長だった。
残念ながらダンジョンアタックは中止のようです。王家の抱える難題とは何でしょうか?