第264話:洞窟地帯17
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木田にジーンズとTシャツを渡すと大喜びしてくれた。いずれカジュアルにも乗り出すつもりだったので、最高のサンプルになるそうだ。ジーパンを履いた冒険者なんてかっこいいかもしれない。「冒険者のジーンズ」なんてね。
いや、この世界にはまだジッパーがないので、そっちの方がむしろ革命的かもしれないな。いろいろ想像していると、伯爵とイリアさんがやってきた。伯爵は珍しく真顔で話しかけた。
「今日あそこであの男と話したことは全て他言無用でお願いしますぞ」
イリアさんはもっとひどかった。
「あの男が言ったことは全て嘘です。忘れてください。魔族は人間の敵です。決して信用してはなりません」
あの男の言うことが全て正しいならば、この世界の危機を作り出しているのは実は人間だった、ということになってしまうからな。後でみんなとよく考えてみよう。
洞窟の外に出ると、広場は血のような夕焼けの赤に染まっていた。冒険者のぼろいテントは全て撤収され、がらんとした広場が余計に広く感じた。今夜は俺たちの貸し切りみたい。
ポケットの中のあの男から預かった天使の重みが夢でなかったことを主張していたが、まずはメシだ。今日がここでの最後の夜なので、広場で遊んでいる(鍛錬している)武闘組を除いてみんな手伝ってくれた。
火が安定した頃、広場の空気が変わったので見てみると、工藤と楽丸が木製の槍を持って対峙していた。西の空には地平線にかかった太陽が燃え尽きる前の最後の輝きを絞り出している。工藤は胤舜を召喚したみたいで、いつもよりも大きく見えた。真剣だけど余裕をもって楽しんでいるような感じ。
楽丸の背中が小さく丸まっていき、突然消えた。絶影を使ったのだろう。瞬間移動したように胤舜の前に現れ槍を打ち込むかと思ったが、カンという乾いた音と共に楽丸の槍は空高く飛んで行った。
「良いではないか。今のは早かったぞ」
胤舜は笑いながら楽丸をほめた。凄いな。スキルを超える体術って何かかっこいいな。でも召喚術もスキルなので、これもやはりスキルなのか?
胤舜は楽丸の後は一条・平井・尾上に稽古をつけていた。稽古をつけてもらえる相手に出会った(すでに道場でも親父さんより強いらしい)ことが嬉しいのか、洞窟地帯では殆ど出番が無かった鬱憤を晴らせることが嬉しいのか、平井が生き生きとしたした顔で剣を振るっていた。
その時、気が付いた。広場の隅で佐藤が一心に空を見上げている。何か呪文みたいなのを唱えているみたい。横に利根川が付いているから大丈夫だと思うが、こいつら何か企んでいるな。
今日の晩御飯は天ぷらだった。油がたっぷり入ったでっかい鍋が二つ並んでいる。揚げるのは平野と江宮の二人だ。お座敷天ぷらというか、二人がどんどん揚げていくのをどんどん好きなのを選んで食べていくという感じ。
なんかみんなで競争みたいになって急いで食べるので、口の中がえらいことになっているのだが、それを差し引いてもうまかった。特にびっくりしたのが、鮎の天ぷらだった。キスとはまた違う上品な香りが素晴らしかった。俺たちが中原を説得している間に、三平が地底湖で釣りまくったらしい。大丈夫だろうか?
鮎以外にもキラーフィッシュや鯰をはじめとする魚、エビ、カニ、貝類、鶏肉やオークなどの肉類、彩り鮮やかな野菜やキノコ、かき揚げ、アイスクリームや干した果物などの変わり種を含めて全部で三十種類以上あった。
口の中が火傷する危険を覚悟の上で、目の前で揚がった熱々の天ぷらを食べるのは幸せの一言だ。しょっつるベースの天つゆ以外にも数種の塩が用意されていた。こういうシンプルな料理に合うのは最も原始の調味料である塩なんだろうな。
明日はもう洞窟に潜ることはないので、お酒もいつもより多めに出したら、護衛の皆様がガンガン飲んでいた。彼らなりにプレッシャーを感じていたということなのだろうか?本来はセーブすべき立場の伯爵が一番騒いでいた。イリアさんも黙認しているみたいなので、まあいいか。
デザートは冷やしたフルーツゼリーだった。流石平野は分かっている。熱い天ぷらで荒れた口蓋をゼリーのひんやりした感触が癒してくれるようだった。
お腹いっぱいになったのか、恒例の浅野コールが始まった。浅野は野田と打ち合わせると、上気した顔で叫んだ。
「みんな、洞窟地帯の討伐お疲れさま!」
歓声と拍手の中で浅野が歌い出したのは一十三十一の「煙色の恋人達」だった。ミレニアムの終わり頃から山下達郎・竹内まりや・大瀧詠一を始めとする七十年代のシティポップスがじわじわと人気だが、2002年発売のこの曲ももっと評価されて良いと思う。
分かりやすく言えば多国籍風かつ洗練されたジャージーなボサノバだろうか?とにかくアレンジが大人でお洒落でクールでカッコいいのだ。くぐもったエレピ(電子ピアノ)が自在に動き回り、ボンゴとコンガが軽快にリズムを刻んでいく。もちろん、伴奏は野田一人だけど、原曲の雰囲気は十分に伝わった。
ワイルドでシンプルなロックや原始のブルースを感じさせる昭和の歌謡曲が得意な浅野だが、こんなにお洒落なシティポップスも歌えるんだと感動してしまった。野田も重くアタックの強い音だけでなく、流れるような軽いタッチでも弾けるんだな。
二曲目はリトルウイングだった。ギターの神様=ジミ・ヘンドリックスの名曲中の名曲だ。ギター無しでこの曲をやるのは相当無茶だなあと思ったが、浅野は野田が用意した鉄琴で見事なアンサンブルを奏でてくれた。流石だ、ちゃんと引き算の美学を分かっている。
リトルウイングはいろんなアーティストがカバーしているけど、ギター無しでピアノが弾きまくるパターンは初めて見た。評価は人それぞれだと思うけど、俺は悪くなかったと思う。
リトルウイングはどうしてもジミヘンの超絶的なギターテクニックと音楽センスが注目されるけど、歌詞も良いのよ。歌もね。いつの間にか横にいたイリアさんが涙を流していた。イリアさんから見たら浅野が歌の中に出てくる「彼女(妖精?)」に見えるのかもしれない。
歌い終わると浅野は照れたように笑ってから話し始めた。
「歌いながら弾くのってやっぱ難しいね。それではここ洞窟地帯での最後の曲です。ポール・マッカートニー&ウイングスのバンド・オン・ザ・ランです。この曲は三つのパートに分かれているんですが、最後の三つ目のパートだけやります。
この曲でも出てくるバンドという言葉は、文化人類学では人間の最も基本的かつ原始的な共同体を意味するんだって。主に血縁や婚姻で結びついた集団なんだけど、上下関係はありません。
僕にとって三年三組はまさしくバンドそのものです。そしてこの歌のように最後までみんなと一緒に走り続けたいと思います」
浅野がしゃべり終わると同時に野田のピアノが鳴り響いて、洞窟地帯最後の曲が始まった。ちょっとばかり感傷的になったのか、みんなでサビの「バンド・オン・ザ・ラン」を合唱して終わったのだった。
浅野に冷えたジュースを渡していると、上気した顔で鷹町がやってきた。飛行魔法の名前をリトル・ウイングに変更したいそうだ。浅野の歌を聞いて感じるものがあったみたい。確かに単なる飛行魔法にしては「フライ・ミー・ツー・ザ・ムーン」は大げさかもしれないな。浅野は「僕が許可を出す問題じゃないけど」と言いながらOKしていた。レイジング・ハートも特に反対していないので、良いのではなかろうか。
トイレに行こうと歩いているとコップを持ったままだったことに気が付いて、一度戻るかどうか立ち止まって考えていると、後ろから首ねっこを掴まれて馬車の陰に引き込まれた。
冒険者のジーンズなんてカッコいいかも。一十三十一は「ウェザー・レポート」も良いです。