第259話:洞窟地帯12
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天井までの高さは一番高いところで五十メートル以上あるので窮屈な印象はない。岩混じりの砂地を三十メートルほど進むと直径百メートルほどの円形の湖に着いた。湖の水は青く輝いていたが、まるで水そのものが発光しているように見えた。湖の縁まで寄った小山が教えてくれた。
「月苔が水底まで生えている」
なるほど、いわば湖自体が発光しているのだ。だとすると水はレンズみたいなものだろうか。風がないので波が立たないのが不気味ではあるが。
日の光が差さないので、水鼠以外に生物はほぼいないだろうから水はきれいだと思うが、泳ぐどころか近くに寄るやつもいなかった。だってなんか怖いんだもん。例外は三平だ。喜んで竿を振った。
伯爵があきれたように言った。
「ここで魚を釣ろうとする人を初めて見ましたぞ」
みんな同じ気持ちだったと思う。そして誰もが思っていた。釣れるわけないだろうと。しかしこの世界では常識は役に立たない。
「ヒット!」
釣りはじめて五分もたたないうちに三平は喜びの声を上げた。大物がかかったようで釣り竿の先端が一気に水面まで引き込まれたが、すぐに戻った。
「逃げられた?」
三平は首を振った。
「外れていない。というか自分から上がってきている。それと・・・」
「なんだ?」
なんだろう。悪寒がする。というか強烈に悪い予感がする。三平はあきらめたように言った。
「思ったよりも全然大きいみたい・・」
俺は駄目だろうと思いながらも言った。
「リリースしたら?」
三平は首を振った。
「吊り上げないとリリースできないんだ」
とりあえず一度は地底湖の主の顔を拝むしかないようだ。波もなく静かだった地底湖の水面に波紋が広がり、徐々に大きくなっていく。いつの間にか波が足元まで寄せてくるようになった。俺たちはじりじりと後ずさりしながら、対面の瞬間を待った。
「フィッシュ!」
三平の声と共に湖の中心で爆発したかのような巨大な水しぶきが上がった。
「リリース!」
続けて叫んだ三平の声を無視して地底湖の主は水上で鎌首をもたげ俺たちを睨んだ。
湖の中心に浮かんでいるのは紺色をベースに黒・紫・赤・緑が斑になったような気色悪いゾンビドラゴンだった。体表に刻まれた無数の傷跡からどす黒い血か体液がぬらぬらと溢れてくる。
でかい!頭の先から尻尾まで五十メートルはあるのではなかろうか。頭だけで一トントラックくらいありそうだ。魚ではないのはまだ想定の範囲内だが、よりによってドラゴン、それもゾンビとは予想外にもほどがあるぜ。
活動が始まったせいなのか、体の表面が腐っては水に落ちていく。同時に体の内部から肉が盛り上がって欠損した部分を補っていく。腐敗と再生が同時並行的に進むという怪異!
今も右目がドボンと水面に落ちて大きな水しぶきを上げた。巨大な白い眼球が俺たちを睨みながら沈んでいく。しかし、瞬きをすると暗い眼窩の奥から新しい目がゆっくりとせり出してきた。
湖の水はドラゴンの腐敗した肉に侵され紫色の毒の湖になりつつあった。浅野が叫んだ。
「みんな下がって。空気も汚染されている」
毒の湖からは暗い紫色をした瘴気が発生しているようだ。浅野の発する光魔法が瘴気を中和しているがいつまでもつか。密室空間で対峙するには最悪の相手のようだ。だが、何もせずに諦めるわけにはいかない。
無駄を承知の上で矢・槍・ブーメランなどの飛び道具が次々と投擲され、ゾンビドラゴンの巨体に刺さっていく。しかし、距離が遠いこと、そして巨体であること、なにより腐った体表が緩衝材になって有効打を与えることができない。
第二陣は魔法だ。一条の血花がゾンビドラゴンの頭部を覆った。一瞬にして赤く燃え上がったが表面が焦げただけですぐに再生してしまう。利根川のファイヤーボールが続けざまに炸裂するが、部分的に燃え上がり欠損してもすぐさま再生してしまう。
工藤の浄化の炎は有効だったが、再生のスピードが若干遅くなるだけだった。志摩の土魔法=石礫はすべて受け止められ、体の中に埋もれていってしまった。
尾上と木田のエアカッターが体表を鋭くえぐる。どす黒い血が噴き出すが、首を切り落とすことはできない。鷹町がスカイハイを試みたが、重すぎ、大きすぎて失敗した。最後に登場したのは夜神だ。皆の期待を一身に集めながら呪文を唱えると、黒い鞭を振った。
「雷雨!」
キーワードを唱えると、ゾンビドラゴンの頭上に生じた黒い雲から一斉に雷が落ちた。百本以上の雷が落ちたと思う。真昼の太陽が湖の上に出現したような閃光と轟音!ゾンビドラゴンの体内の骨格が透けて見えた。思わず目を閉じた。
雷による電撃と高熱のとばっちりを避けるために佐藤が結界を張ったが、衝撃で体が揺れた。目を開けると湖の真ん中にはぐずぐずになった燃えカスのような巨大な肉の塊が浮かんでいた。
夜神が不満げに言った。
「でかすぎやろ。ありったけの魔力を出したのに、燃やしきれんかったわ」
俺たちはやれやれと座り込むと、互いに顔を見合わせて笑った。佐藤に結界を解除してくれと言おうとしたら、小山が燃えカスを指さした。
「生きてる」
燃えカスの肉塊の表面が一斉にピンク色に泡立つと内部から次々と分裂が始まり、見る見るうちに再生していく。十秒もすると醜悪な凶相が蘇った。ゾンビドラゴンは「こんなものか」と俺たちを馬鹿にしたような顔で吠えた。ガラスを爪でひっかいたような咆哮までが醜く不快だった。
ゾンビドラゴンの不死身ぶりに浮足立った俺たちに浅野が声をかけた。
「大丈夫!これがある」
浅野は大魔神から貰ったネックレスから勾玉を一つ外すと足元に打ち付けた。
大魔神を自然神に繋がるものと考えるならば、ゾンビドラゴン相手でも勝負になりそうな気がする。もしかすると、腕がロケットパンチみたいに飛んでいくのでは・・・。俺は期待を込めて待った。勾玉はきれいに二つに割れたが・・・何も起こらなかった。俺は聞いた。
「大魔神は?」
浅野は何も言わずにすぐに勾玉を数個外して次々と割ったが、反応はなかった。浅野は首を上げるとあきらめたように言った。
「圏外みたい」
携帯電話じゃあるまいし、そんな馬鹿なといってる暇はない。こうなったら走って逃げるしかないが、砂地の先には急な坂道が待っている。俺たちをあざ笑うようにゾンビドラゴンは大きく口を開けた。乱杭牙の先の喉奥で揺らめく赤黒い炎が見える。イリアさんが叫んだ。
「ブレスが来ます!」
息を吐くだけで炎が出せるなんて反則だよな。佐藤の張った結界はゾンビドラゴンの赤紫をしたブレスを見事受けとめたが・・・佐藤の顔色が悪い。
「すまん、あと三発が限界だ」
言ってるそばから二発目が来た。衝撃と共に結界が再び赤紫に染まる。これであと二発。平井が決死の覚悟で出ようとしたが、瘴気を吸いながら毒の湖の上でゾンビドラゴンと戦うのは無理だ。俺は冬梅を見たが静かに首を振った。
「すまん、牛鬼の召喚で魔力が空っぽだ」
ミノタウロスを倒せていればレベルアップすることによって魔力を復活できたかもしれないが、ここまでか・・・。そして三発目が命中。結界がビリビリと震えた。やばいぞこれは。絶望的な気持ちになりかけた俺に中原が話しかけた。
「僕に任せて」
そういえばこいつも召喚士だった。俺は期待をかけて中原を見た。そうだ、こいつは今まで何匹も召喚してきたじゃないか。金魚とかシロとかミケとかハナコとか・・・え?
中原は短く呪文を唱えると杖を振りながら叫んだ。
「クロちゃん、来て!」
俺の頭の中で中原の叫びが響いた。クロちゃん、クロちゃん、クロちゃん、クロちゃん・・・?宿舎のマスコットとして玄関先で番犬をやっている「シロ」の少し間の抜けた顔が浮かんだ。・・・ダメじゃん。
次の瞬間、中原の杖の先でまばゆい光が輝いた。光が収まると、俺たちの後ろに巨大な物体があることが分かった。恐る恐る仰ぎ見ると、黑い鱗に覆われた巨大な竜がいた。召喚の反動で座り込んだ中原が自慢げに説明した。
「バハムートのクロちゃんだ」
セカイの危機を救うために平凡な少年が召喚士となって活躍する中原愛用のゲームの中で最も頼りにした召喚獣がバハムートのクロちゃんなのだそうだ。どうやら現実世界の動物ではなく、ゲームの世界から召喚したらしい。冬梅といい、なんでもありだな。
「クロちゃん、頼む。あいつをやっつけて!」
中原の叫びに応じて黒い竜が吠えた。地鳴りと間違えそうな全力の咆哮を至近距離で聞いて全身がビリビリと震えた。しびれたぜ。
中原君が呼び出したのはなんと神竜バハムートでした。無限の再生能力を誇るゾンビドラゴンとバハムートの対決はどうなるのでしょうか?