第251話:洞窟地帯4
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8月14日、土曜日。今日も快晴。南東に幾つか白い雲が浮いているけれど、雨雲ではない。今日も雨は降らないようだ。昨日のこともあって寝覚めは良いわけではないが、とりあえず走ろう。
広場の外周部を三周した。俺と同じことを考えたのか、走っている奴が何人かいた。宿舎に戻ろうとすると、一番外側の宿舎の傍に皿が一枚置いてあった。昨日置いて言った皿を返してくれたみたい。よく見ると、直径三ミリほどの銀色の粒が一個置いてあった。ミスリルみたい。ひょっとしたらお礼なのか?
今日の朝ごはんは冷やし中華だった。具は各種野菜、ハム、卵焼きを細切りにしたもの。甘酸っぱいたれがたっぷりかかっている。柑橘系の香りと爽やかな酸味が効いてうまかった。カットフルーツと一緒に美味しく頂きました。
朝食の片付けが終わると、伯爵から集合の合図があった。パーティ毎に集まると、伯爵が話し始めた。
「皆様、今日からいよいよ実戦ですぞ。今日はまず二番目の転移点を目指します。転移点に到達したら登録して、転移で戻ってくるわけですな。何分地下の洞窟で初めての活動になりますので、幾つか注意がございます。
1.地形や空気に影響を与える魔法は出来れば使用しない。
2.使用する場合は最小限にする。
3.決して単独行動はしない。
もっと具体的に言えば、酸欠の可能性がある火魔法や落盤の可能性のある土魔法は使用しない、使用する場合は最小限で、ということですな。また、坑道は暗く上下左右にうねり、さらに無数の支道がつながっております。うっかり迷い込んだら捜索は困難です。くれぐれもご注意を」
志摩の顔を見たが特に動揺した感じは無かった。何か策があるのだろうか?俺たちはアドベンチャーズを先頭に坑道に入った。アドベンチャーズのメンバーは、平野美礼、三平魚心、野田恵子、伊藤晴、中原真太、水野メロンパンの六人。俺たちは二列になって進んだ。昨日の約束があるので、俺は先頭の平野の横にいる。
流石にミスリルの明かりだけでは暗すぎるので、冬梅に頼んで「つるべ火」を召喚して貰った。火の玉の妖怪なので、それなりに明るいのだが、よく見ると炎の中に老人の顔が浮かんでいるのが不気味だ。後ろの組は光の魔法を使っているみたい。
「つるべ火」を先頭に歩いていると、足の感触が変わってきた。なんか、カーペットの上を歩いているような感じ。しゃがんでよく見ると、苔みたいなものが床や壁の全面を覆っていた。
伯爵を見ると説明してくれた。
「ミスリルからのわずかな光によって成長する苔の一種です。ミスリルの明かりを月に見立てて、月苔と呼んでおります」
試しに一時的につるべ火を暗くしてもらったら、ミスリルの光を受けて月苔も輝いており、床から天井まで一面灰色の柔らかい光を纏った幻想的な美しさがあった。伯爵は続けて話した。
「月苔は十日おきに実を付けます。その実を昆虫が食べ、それをネズミや蛇などの小動物が食べ、それをまた魔物が食べるという順番ができております。これから先は徐々に小さな魔物が出てきますので、ご注意を」
もう一つの心配事の支道だが、確かに左右とも十メートルおきくらいに大小様々な横穴が開いているが、横穴の上には「SA2145」のように番号を刻んだパネルか直接文字を殴り書きしているので、知らないうちに入り込むということはなさそうだ。
転移点から五十メートルほど進むと空気が変わる。明らかに湿気を帯びている。月苔も水滴を含み、足元の通路の両端をちょろちょろと水が流れている。伯爵が説明してくれた。
「この水は天井や壁面から自然に染み出した地下水でございます。適宜設けてある排水溝を通じて最終的には最深部にある地底湖に流れ込みますぞ」
水に濡れた月苔は妖しく輝く。壁面を伝わる水、光、植物、闇・・・まるでタルコフスキーの映画のようだった。つるべ火のせいで台無しだが。そして、水がある所にはあの魔物が出現する。スライムだ。壁面や床をのんびりと這っている。
数個なら避けて歩けばいいのだが、固まっていると排除が必要になる。ここで先頭に出て来たのが水野だ。手には熊手に長い柄を付けたような変な得物を持っている。
「下水処理場でさんざん鍛えたんだ。ここはまかせてくれ」
手に持つロング熊手も特注品らしい。やり方は簡単かつスピーディーだった。
1.熊手を振り上げる。
2.熊手を振り下ろす。
3.足でスライムを抑える。
4.熊手を引いて魔石を取り出す。
刃先をミスリルでコーティングした熊手はそれなりに高価だが、作業効率の高さと腰が痛くならない(これまではかがんで中腰で作業していた)ことを考慮して、処理場で本採用されたそうだ。水野はあっという間にスライムの群れを片付けてしまった。水の魔石だけ収納した。
次に出て来たのはコボルトだった。横穴から三匹飛び出してきた。つるべ火を警戒しながら、威嚇の唸り声を上げる。どうする?横を見ると、平野は慌てず呪文を唱えた。
「ア・レ・キュイジーヌ!」
次の瞬間、平野の手から銀色の光が噴き出した。それが収まると手には見事な出刃包丁が、和食のプロが使う立派な包丁が握られていた。平野のレアスキルである「水火刃の包丁」だ。
え、それを使う?水火刃の教えはどうなるの?平野は一切の躊躇なく掛け声と共に包丁を振るった。
「破!」
銀色の斬撃が三本飛んだ。コボルトは三匹とも頭や体を貫かれて即死した。破壊力、コントロール共に申し分ない攻撃だった。俺はコボルトを収納しながら聞いた。
「それ使っていいのか?」
平野は平然とこたえた。
「もちろん。水火刃の包丁はあたしの一部だ。だから戦う時は、水火刃の包丁を使う」
平野が納得しているようなので、それ以上の質問は止めた。平野の包丁による斬撃は百発百中で、その後何回か出現したコボルトも的としての役目しか果たせなかった。
そのまま歩いて行くと、また頭がチクチクする。いつの間にか横に来た野田が話しかけてきた。
「何かいるね」
俺は驚いて聞いた。
「分かるのか?」
野田は小さく頷いてこたえた。
「分かるよ。人間と似ているけど違うバイブレーションがあるもの」
野田の感覚は正しかった。前方の左右の支道から緑色の小人ことゴブリンがぞろぞろと出てきた。その数約二十匹。通常であれば火魔法一発で蹴散らすことができるのだが。
野田は既に詠唱を終えていた。野田と俺を見て先頭のゴブリンが、笑いながら手に持った錆剣を振り上げた時、野田はキーワードを唱えた。
「サウンド・オブ・サイレンス」
野田がタクトを振り、遅れてゴブリンが剣を振り下ろしたが、ゴブリンはそのまま倒れ込んだ。白目を剥き、喉を掻きむしって苦しんでいる。なぜ?先頭だけでなく、全員が倒れてあがいている。
野田が合図するまで待ってからゴブリンの様子を見てみたが、全員死んでいた。
「窒息しているみたい」
利根川が死体を鑑定して教えてくれた。
「どうやったんだ?」
野田はあっさり教えてくれた。
1.ゴブリンの前後と支道の入口を結界で塞ぐ。
2.結界の内部に別の結界を作る。
3.作った結界を圧縮する。
4.2と3を数回繰り返す。
5.結果的に結界内の気圧が低下し、呼吸が出来なくなる。
結界魔法の応用だったのか。結界って透明だから全然分からないや。凄いな。でも一つ聞いておこう。
「あのキーワードはどういう意味があるんだ?」
野田は淡々と教えてくれた。
「音は空気が無いと聞こえない。ほぼ真空の結界の中で聞こえるのは沈黙だけ」
だから沈黙の音なのね。前後にしか開口部の無い洞窟という状況を最大限に活かした魔法だったわけだ。伯爵とイリアさんは青い顔をしていた。だってこの魔法、屋内でも使えるもんね。
魔法の威力というよりも、呼吸という基礎的な身体機能に対する攻撃という意味で、魔物だけでなく対人という意味でも最強ではなかろうか。顔や喉を掻きむしり苦悶の顔で死んだゴブリンを全部収納した。成仏してくれ。
同じ結界魔法持ちの佐藤にも聞いたが、野田は結界を複数同時展開しているにもかかわらず、その展開速度が超絶的に早いのだそうだ。さらに結界内に結界を作りそれを圧縮するなど、ありえないとのこと。佐藤は淡々と言った。
「野田にしかできないと思う」
所謂一つの天才という事ですな。まあ、確かに誰でも出来たら困ると思うが。流石に魔力的に連発はできないとのことで、野田は後ろに下がった。丁度手ごろな大きさの広場みたいな所があったので、ベンチを出して休憩することにした。
今日のお昼ご飯はホットドッグにナポリタンを加えた特製パンだった。ケチャップとマスタードの代わりにナポリタンが入っただけなのだが、濃い目の味付けがめっぽううまかった。ホットドッグとナポリタンが同時に味わえるなんて最高じゃないか。
デザートは焼き林檎だった。地下の暗く冷たく湿気の多い環境だからこそ、ほかほかの焼き林檎は身体だけでなく心も温めてくれた。護衛の騎士やイリアさんにも大好評だった。熱い紅茶が用意してあったのも嬉しかった。
つるべ火が欲しそうな顔をしていたので、焼き林檎をやったら喜んで食べた。喜んで食べたのは良いが、食べた林檎はどこに行くのだろうか?ええい、考えたら負けだ。
長くなったので分けます。タルコフスキーの映画は「ストーカー」や「ノスタルジア」のイメージです。「ア・レ・キュイジーヌ!」を久々に聞きました。主人公は包丁を武器に使うことが水火刃の教えに反するのではないかと心配したみたいです。「サウンド・オブ・サイレンス」は至高のフォーク・デュオ「サイモン&ガーファンクル」の名作中の名作です。戦う非戦闘職集団=アドベンチャーズは強かった!