第231話:バラシーさんの変身
練兵場に行く関係で伯爵が迎えに来たので、女神の森の後に冒険者ギルドに行くことを伝えて了解して貰った。時間があったら娯楽ギルドに寄ってみよう。練兵場で志摩を降ろして、教会を目指す。
教会に向かう馬車の中では今日指導する予定の「赤とんぼ」と「五木の子守歌」の合唱で盛り上がったが、五木の子守歌は大丈夫だろうか。教会に着いたらピアノを降ろして、女神の森へ出発だ。
ちょっと遠回りだが大通り経由で行ってみる。娯楽ギルドの前を通ると、ギルド長の部屋だけカーテンが開いていた。暇だったので、アイテムボックスをチェックすると、大岩蛇の燻製が終わっていた。端を薄く二枚切り出して、小山と味見する。
「これ何の肉だと思う?」
小山は少し考えてからこたえた。
「分からない」
俺は笑いをこらえながら答えた。
「大岩蛇!」
しかし、小山はまったく動じなかった。
「忍者は草の根を食べても生き残る逞しさが必要。蛇でも鼠でも昆虫でも食用であれば問題ない」
サバイバルだな。おみそれしました。なお、肉は普通においしかった。鶏肉に近いような感じで、淡白で上品な白身の肉でした。スモークしたことによって臭みが消えたのかもしれない。
アドベンチャーズが洞窟地帯の演習に参加することについて話しているうちに、女神の森に着いた。竹の伐採は順調に進んでいるようで、伐採済みのエリアがさらに西に広がっていた。女神の森の中に入ると、改めてここが神域なのだと感じてしまう。静かで厳かで時間が止まったような空間。
巨大な柱が立ち並ぶ緑色の屋根で覆われた巨大な回廊を歩いているみたい。やがて空が開け、日差しを反射して明るく輝く湖面が見えてくる。いつもの位置に置き台を出してお供え物を並べた。
今日のお供えはリブロースのステーキだ。豪快に骨付きのまま焼いてある。骨と骨の間で切り分けているので、骨を持ってそのままかぶりつく原始人スタイルだ。五キロあるので皿に山盛りになった。
飲み物はウイスキーのロックだ。ピッチャーに目一杯入れている。眷属と妖精さんには置き台の両端に果物各種のジェラートの盛り合わせを用意した。小山を見ると頷いたので、俺は静かに膝まづき、湖に向かって呼びかけた。
「ビーナス様、谷山が参上しました」
唐突に水面が盛り上がると、水はゆるやかに女神の姿になった。背の高さが三メートル位あるのに、奇麗にバランスが取れている。全てのバランスが完璧であるところが神であることを感じる瞬間だ。
「お陰様で無事山岳地帯の鍛錬を果たすことができました。僅かではございますが、心ばかりの品をお持ちしましたので、どうぞお召し上がりください」
女神は満足そうに頷いた。
「タニヤマよ、いつもながら殊勝な心がけ、見事である。頭に虫が湧いておるので心配していたが、忠誠に変わりなきことが分かって安堵したぞ。両端の菓子は我が眷族共への供物か?」
「さようでございます」
「良きかな良きかな。まずは我が馳走になるぞ」
女神様はステーキを手掴みで食べ始めた。それは良いのだけれど、骨ごとバリバリ食べている。鶏肉の小骨ではない。熊の助骨なんだけど・・・。女神様の歯と顎はかなり丈夫みたいだ。食べ終わるとピッチャーを持って一気飲みした。豪快だな。飲み終わると空のピッチャーをじっと見つめたので、もう一杯出したら喜んで飲んだ。
ご機嫌になった女神様は号令をかけた。
「我が眷族よ、森の妖精よ。タニタマの馳走にあずかれ」
湖から無数の透明な腕が伸び、森からは蜂の群れのように妖精達が飛んできた。ジェラートは一瞬で無くなった。凄くおいしかったみたい。空になった皿を女神が見つめていたので、予備のジェラートを出すと喜んで食べた。
「ビーナス様、今日は特別な献上品がございます」
「なんだ、早く出せ」
俺は置き台の上を片付けると、ロプロプから預かった風の魔石を出した。魔石の重さで置台が軋んだ。
女神はいきなり首を伸ばすと、透明な魔石を至近距離でまじまじと見つめた。なんか妖怪ろくろ首みたい。
「見事だ。おそらく先代の空の王の魔石だな。これを献上するというのか?」
「さようでございます」
首を元に戻すと女神は深く頷いた。
「誠に天晴。この魔石がどれほどの価値を持つかお主らには到底わからぬであろうな。良かろう。褒美を取らす。望みを申せ」
俺は一息ついて心を落ち着かせてからこたえた。
「スキルアップポーションをお願いします」
女神は笑顔でこたえた。
「良かろう、受け取れ」
湖の中から小さなガラス瓶が飛んできたので、大事に受け取った。
「ありがとうございます」
瓶を持って頭を下げた俺に女神は話しかけた。
「スキルアップしても、すぐには効果が出ないこともある。顕現するための条件がスキルによって異なるでな。励めよ」
もう一度お礼を言ってから俺たちは女神の森を後にした。馬車の中で俺は小山に聞いた。
「もしかすると、もっと良いものを頼んでも良かったのかな?」
「どんなの?」
「例えばエリクサーとか」
「エリクサーって何?」
「万能薬。死んだ人でも生き返る」
小山はしばらく考えてからこたえた。
「終わってから考えても仕方ない。それにもしエリクサーを持っていることがばれたら、かえって大変なことになりそうな気がする」
そうなんだよな。小山の言う通りだ。頭を切り替えていこう。ここで小山が聞いてきた。
「さっき、女神が頭に虫が湧いたって言っていたけど何の事?」
俺はどきどきしながらこたえた。小山もなかなか鋭いな。
「俺たちがいろいろ変なことを考えているって言いたかったんじゃないか?」
小山は納得した風ではないが、それ以上の質問は控えてくれた。
お腹がすいたので、馬車の中でお昼を食べた。今日のお昼はハンバーグドッグだった。棒状に焼いた肉と香辛料だけのハンバーグをソーセージの代わりにしたホットドッグだ。レタスとピクルスを添えて、マスタードとマヨネーズとデミグラスのようなソースがかかっている。
ハンバーガーとホットドッグを融合させたようなメニューだが、おいしいのはもちろん、食べやすいのが最高。ヤマモモのジェラートと一緒に美味しく頂きました。
次は冒険者ギルドだ。サンドラさんにどうやって謝ろうか。まずは裏口から解体場に行った。イントレさんは今日は疲れているみたいだった。
「坊主共のお陰で昨日は久々に徹夜になったぜ。商売としては上々だからありがたい限りなんだがな。今日はどうした?ややこしいのは無しにしてくれ」
俺は黙って鬼熊を出した。
イントレさんは眼を剥いて叫んだ。
「鬼熊じゃんねえか!まさかこれも仕留めたのか?」
イントレさんはブツブツ呟きながら鬼熊の全身をチェックすると、俺に話しかけた。
「ここにこうして鬼熊がいるという事はお前らが倒したということで間違いないだろう。一体全体どうやって仕留めたんだ?」
「倒して足の腱を切って後は槍でチクチクやりました」
イントレさんは疲れた顔でこたえた。
「傷跡は合っている。理屈も分かる。理屈は分かるんだが、それをやったのがお前らと言う点がどうにも理解できねえ」
イントレさんはしばらく悩んだ末に考えることをあきらめた。肉は無いし、内臓も半分位しかないが、全部引き取ってくれた。
「頭は剥製にして飾り物にしてもいいが、素材としても売れるな。毛皮はあちこち傷があるが、元の質が良いからこれも売れる。爪も売れるぞ。手のひらも珍味になる。内臓の残りも薬の材料になるが・・・。少しでいいから肉を分けてくれないか?」
イントレさんが手を合わせて頼むので、バラやロースに真っ白い脂肪を足して百キロ出した。イントレさんは大喜びだ。
「鬼熊はこの脂がとにかく上等でうまいんだ。助かったぜ。ありがとよ」
イントレさんが殴り書きしたメモを持って表に回った。扉を開けて中に入るとカウンターにサンドラさんがいた。隣には知らない若い女がいる。緑と黄色に染めた髪の毛を逆立ててパンクっぽい恰好をしている。思わず見つめると中指を立てて挑発してきた。誰だこいつ?
呼ばれる前にカウンターを目指した。昨日の事件があったせいか、みんな進んで道を開けてくれた。俺はサンドラさんにメモを渡しながら話しかけた。
「昨日はどうもすみませんでした。バラシーさんは大丈夫ですか?」
サンドラさんはメモを見ずにこたえた。
「今日は蜘蛛女はいないようだね。バラシーは大丈夫だ。大丈夫じゃないけど大丈夫だから気にしないでくれ」
意味が分からなくてサンドラさんを見ると、横の若い女の子がまくしたてた。
「あたしがどうかしたかい?何か文句でもあるのか?」
俺はまじまじと女を見つめた。背格好は合っている。勇気を出して話しかけた。
「もしかするとバラシーさん?」
女は俺を睨みつけながらこたえた。
「もしかしなくてもあたしがバラシーだ。今までさんざん馬鹿にしやがって、ただじゃおかないからね。せいぜい暗い夜道には気を付けな」
なんかすばらしく古典的な因縁をつけられたような気がする。サンドラさんがバラシーさんの頭に拳骨を落とした。
「タニヤマは心配してくれてるんだよ。あんたはちょっと引っ込んどきな」
頭を抱えているバラシーさんを他の職員が強制連行していった。サンドラさんは沈痛な顔をして謝ってくれた。
「ギルドの職員が冒険者に暴言を吐くのはままあることだが、流石に今のはいただけないね。本当に悪かった。バラシーに代わって謝罪させておくれ」
ここまで言われたら受け入れるしかない。事情を聞くと、昨日のピンキーとキラーズを見てバラシーさんの頭の中がねじ切れてしまったらしい。カウンターに立つと人格が激変してしまうのだ。
「どうもね、あたしみたいになろうとしているみたいなんだけど、ちょっとずれているんだよね」
サンドラさんは苦々しげな顔をして説明した。ちょっとではなく大分ずれているような気がする。
とりあえずこれからも出来るだけ普通に対応をすることにした。まずは清算してもらわないといけない。メモを見たサンドラさんは驚いた。
「大岩蛇の次は鬼熊か。驚いたねこれは。鬼熊は元々数が少ない上に討伐が難しいんだ。クランでの討伐とはいえ、大したもんだよ。肉が少ないから、金貨135枚だね。振り込みでいいかい?」
黙って頷くと、サンドラさんは大声を上げた。
「ジョーイ、ぼんくら共にエールを一杯ずつ、それとテーブルごとに大皿でパンと串焼きを出しな。タニヤマの奢りだよ」
客席全部から歓声が起こった。二日続けての大盤振る舞いだ。今日はエールは飲まずにこのまま帰ることにする。俺はサンドラさんに手を振ってから冒険者ギルドを引き上げた。環状線経由で教会を目指す。
教会に着くと、みんなは子供たちと一緒に庭で遊んでいた。お堂の掃除&稽古を行った工藤たちも合流している。ピアノを収容しようと本堂に行ったら、女の子がピアノをじっと見ている。声をかけようとしたら、怒られると思ったのか逃げてしまった。
ピアノをアイテムボックスにしまうと院長がやってきた。
「指導の度に毎回楽器を持って来ていただいて感謝しております」
改まってお礼を言われてしまった。
「いえいえ、好きでやっていることですから。でも、指導が無い時でも練習できるようになったら良いですね」
「私もそう思いますが、きちんとした楽器は高額で、高貴な方でないととても手が出せません」
確かに食べるだけで精一杯という環境では楽器って贅沢品だよな。でも何かひっかるなと思いながら食堂に案内された。ご飯を誘われたけど、お腹いっぱいですと断って、今日のお土産を渡す。いつもの焼き菓子と大岩蛇の肉を二十キロだ。蛇の肉は滋養強壮になるだけでなく、ハーブを入れてスープにするとおいしいらしく、喜んで受け取ってくれた。
庭に戻ってからイリアさんに指導の様子を聞くと、やはり五木の子守歌はインパクトがあったようで、見守っていた大人たちの中には涙を浮かべた人もいたそうだ。
バラシーさんは第二のサンドラさんを目指すようです。