第212話:山岳地帯1-7
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8月3日、風曜日。山岳地帯の三日目。洋子を起こさないように静かに起きる。今日も快晴みたいで窓から差し込む朝の光が眩しい。そういえばカーテンの類を一切忘れていた。帰ったらいろいろ手配しよう。
焚火台に行って朝ごはんの支度をする。今日は平井が火起こしを手伝ってくれたので、聞いてみる。
「尾上は大丈夫か?」
平井は肩をすくめながらこたえた。
「本当は気がついているのに、気が付かないふりをしている。現実を認めるのが怖いのね」
「そうか・・・」
「まあ何があっても、あいつには剣道があるから大丈夫よ」
平井は明るく笑ったがそれで良いのだろうか?とりあえず昨日と同じくヤカンを出して目いっぱいお湯を沸かした。
同じくメスティンを取りだしてテーブルに並べる。ジョッキとお箸とスプーンも出す。三日目→朝フォルダから取り出したのは、試作品第二号、フリーズドライの炊き込みご飯だ。起きてきた人数を確認してから一個づつセットし、お湯を注ぎ蓋を被せた。
こいつは五分かかるので、その間にカットフルーツと飲み物を用意する。伯爵とイリアさんが寄ってきて、期待を込めて見つめている。良い時間になったので、匂いにつられて集まってきた連中の前で一個開けてみた。
ホカホカの湯気と一緒に炊きたてのご飯の香りが広がった。鶏肉と野菜のこま切れをお米と一緒にしょっつる・砂糖・出汁などで炊き上げたご飯は、香りだけでなく味も完璧だった。相変わらず志摩が涙を流しながら食べていた。
伯爵とイリアさんの評価も最高だった。
「これ一つで肉・野菜・米全てがバランスよく食べられるとは奇跡ですぞ。滋養が良いだけでなく、食べ応えもある」
「それよりなにより美味です!おいしいです」
みんなも「インスタントとは思えない」と言いながら食べてくれた。江宮がやってきて褒めてくれた。
「美味いな。流石は平野だ。あいつは本当にイタリアンのシェフなのか?」
「イタリアン以外は家庭料理レベルと言ってるぞ。まあ、自衛隊の野戦食もうまいからな」
「確かに。同意する」
和気あいあいと食べている中、ずんと暗いオーラを放っている男が一人いた。尾上だ。一人ぽつんとお茶を飲んでいる尾上の隣に座った。意外にも尾上から話しかけてきた。
「俺はどこで間違ったのかな?」
俺は聞いた。
「気が付いたのか?」
「ああ、目が覚めて気が付いた。一条はもう俺のことを見ていない」
尾上も一条の事は憎からず思っていて結婚するならこいつしかいない、と思っていたそうだ。
「じゃあ、いつ告白するつもりだったんだ?」
「ええと、大学を卒業して就職して一人前になって・・・」
「それまでずっと一条を待たせるつもりだったのか?」
「・・・そうだよな、そうだよな・・・」
尾上はがっくりと肩を落とした。可哀想だとは思うが、もうどうしようもない。
「俺にはもう剣道しかない・・・」
俺はドラマの何とか先生みたいに怒鳴ってしまった。
「このバカちんが!」
いけない、昨日の女神様の台詞がうつってしまった。とりあえず続けよう。
「それが駄目なんだよ。剣道と恋愛は別物だ。そう割り切れ」
「そ、そうなのか」
「そうだ。みんなそうしている」
「そ、そうなのか?」
「当たり前だ。そうじゃないと人間はとっくの昔に滅びているわ」
尾上は目を瞑ってぶつぶつ何かつぶやいていたが、カツと目を見開いた。
「ありがとうたにやん、目が覚めた。左手でお茶碗を持って、右手でお箸握って食べるのと一緒だな。俺にもできるよな」
「例えはおかしいがその通りだ。人間やろうと思ったら何でもできる」
「分かった」
「それと恋愛と結婚は別だからな。その時々の自分の気持ちに応じて素直に動けばいいんだ」
尾上は俺の手をがっちり握って頷いた。骨が折れるんじゃないかと思うくらい痛かったが、ついでに言っておこう。
「いつか、あの時失恋して良かったと思える日が来るかもしれないぞ。人生何事も経験だ」
「たにやん、ありがとう」
感激したのか抱きついてこようとした尾上をかわして立ち上がる。
「あと二つアドバイスするぞ」
尾上が真剣な顔をして俺を見た。
「まず何か人にやって貰って、それが嬉しい事だったらすぐにありがとうと言え。どんな小さなことでもだ」
尾上は大きく頷いた。
「次に、誰かを見ていいな!と思ったらすかさず褒めろ。褒める所は何でも良いんだ。相手が男でも女でも関係ない。思ったらすぐに口に出せ」
「それでどうなるんだ?」
俺は笑いながらこたえた。
「どうもならない。言われた相手が少しだけ気持ちが良くなるかも、というだけだ。でも、言われた相手が喜んだら、その分お前も気持ちよくなる。それが大事なのさ」
尾上は頷きながらこたえた。
「分からん。分からんが、やってみる」
最後に「気楽にいこうぜ」と声をかけてから片付けに戻った。
今日の先鋒はクレイモアから始まった。途中何度か火鼠と岩蛇の小規模な襲撃にあったが、全て問題なく片付けた。小山が遠距離では短弓を、中距離では手裏剣を使い分けていたのが興味深かった。江宮も中距離で手裏剣を使って、オールラウンドで活躍していた。
小山に聞いてみた。
「弓はどうだ?」
小山は首を振りながら答えた。
「スキルで弓術が付いたから練習しているけど難しい。止まっているのには当てる自信があるが動く物は全然ダメ」
手裏剣とはまた感覚が違うそうだ。難しいものだな。
昨日最初に出会った岩ゴーレムの地点に来たら、ゴーレムは復活していた。しかし、道路から五メートル位離れて道路と平行に並んでいる。これはもしかすると、「どうぞお通り下さい」ということなのかな?
用心しながら通ったが、襲う気配もなかった。そのまま砂地に着いたが、ここもサンドワームの反応は無かった。さらに二回目の岩ゴーレムの地点に着いたが、岩ゴーレムは道から離れるだけでなく、道路と反対向きに体操座りで待っていた。すねている訳じゃないと思う。
「あいつら、やる気があるのか?」
ヒデがぶつぶつ文句を言ってたので、なぐさめる。
「まあそう言うな。無駄な損害を最小に抑えるのは兵法の基本だ」
奥の山を回り込んで右からの道との合流地点に辿り着いた。昨日の倍以上のペースできているみたい。先の方では青銅のゴーレムと思しき一団が辛抱強く待ち構えている。ここでまずはお昼ご飯を食べることにした。相手が人間だったらきっと怒ると思う。
三日目→昼フォルダに入っていたのはサンドイッチだった。ハム&チーズ、ベーコン&レタス、ローストチキン&キャベツ、ポテトサラダ&レタス、卵&マヨネーズなど数種類の具が用意されていた。食べ終わって紅茶を飲みながらのんびりしていると冬梅がやってきた。
「一条は大丈夫か?」
「大丈夫、今トイレに行った」
俺はいろいろ考えたが素直に言った。
「まあそのなんだ。いろいろとおめでとう」
「聞いてた?昨晩聞いてた?絶対聞いてたよね」
冬梅は真っ赤になりながら悶絶した。
俺は冬梅の背中を軽く叩いた。冬梅は落ち着いたのか、顔を手で覆ったまま話し始めた。
「恥ずかしー!・・・でも、本当は感謝しているんだ。たにやんがきっかけを作ってくれなかったら、告白することもできなかった。尾上の馬鹿野郎と思いながら悶々とするしかなかった。だから、こうなって凄く嬉しいし、ラッキーだったと思う。でも・・・」
「でも?」
ここで冬梅は顔を上げて俺を見た。
「恋愛ってもっと時間がかかるというか、楽しい事だけじゃなくてうまくいかなくて泣いたり怒ったり嫉妬したり喧嘩したり、いろんなことがあると思っていたんだ。昨日初めて手をつないだけど、それからキスまで一か月とか二か月とか・・・」
冬梅は両手を肩幅まで広げた。
「ああいう関係になるまでこれ位あるかと思っていたのに」
冬梅は手のひらをグッと寄せた。両手の間は一センチ位。
「これだけだったという感じ」
冬梅は手のひらを静かに合せた。
俺は大きく頷いた。
「俺もびっくりした。一条て結構積極的なんだな」
冬梅は大きく頷いてから慌てて首を振った。
「そうなんだ。でもそれが嫌という訳でもないんだ」
俺は思わず笑ってしまった。
「思い通りにならないのが恋愛だ。今は思ったよりもうまく行き過ぎてるだけだと思うぞ」
「そうなの?」
「ああ、きっとそのうち反動で停滞期がやってくる。その時はお前が頑張る番だ」
冬梅はびっくりしたように俺を見つめてから決意の言葉を告げた。
「分かった。頑張る」
冬梅の気持ちは良く分る。階段を一歩一歩上っていくつもりが、いきなり二階までジャンプしたような、各駅停車の在来線で一駅一駅のんびり旅するつもりが、新幹線で一時間で着いてしまったという感じかも。一条が焦ったのは俺とのやりとりが原因なような気がしたが、流石にそれは言えなかった。冬梅すまん。
女の子の一団が帰ってきたので、デザートを配った。葡萄のジェラートだった。数種類の葡萄をミックスして使っているみたいで、場所によって味が微妙に違うのが面白かった。
冬梅君はあれに至るまでの過程を段階を踏んでいろいろ楽しみたかったようです。なんとなく立場が逆転しているような気がする。