第208話:山岳地帯1-3
8月2日、土曜日。山岳地帯の二日目。洋子を起こさないように静かに起きる。ベッドとベッドの間に位置する細長い窓から朝の光が射しこんでいた。窓枠の上では木っくんが嬉しそうに笑っていた。
ベッドの一番上の段でヒデは一人で寝ていて、なぜか向かいのベッドで一条と初音が一緒に半裸で寝ていた。飲み過ぎたヒデの鼾がうるさくて、初音が一条の所に押しかけたのだろう。一条の顔がなんとなく赤かったので、不思議に思って見つめると毛布を巻き付けながら「あんた達のせいだからね」と怒られてしまった。
後で聞いたら、他の棟でも同様のことがあったようで、何組かの新らしいカップルが生まれたみたいだ。組み合わせはいろいろだが、パーティ内の相互理解が進んでチームワークが深まるのであれば良しと考えよう。仲良きことは良きことかな、だな。
洗面台で顔を洗って外に出ると、馬車の屋根越しに朝日を真横から受けてそびえ立つ五本の山々が見えた。
日のあたる東側は白く輝き、当たらない西側は夜のように暗く、白黒写真のようにコントラストがはっきりしていた。なんとなく、来るなら来い、と挑戦されているような気がする。
出来れば行きたくないのだが、と考えながら焚火台に行ってみた。最後の焚火番の花山が朝日を横から浴びながら、山に向かってどっしりと座っていた。朝日が当たっているので見えないが、火は消えていないようだ。
「ごくろうさん。どうだった?」
「何もなかった」
花山の声はそっけなかったが、役目を果たしたことに対する満足の気持ちが感じられた。花山が立ち上がると、入れ替わりみたいに羽河が現れた。手には小さな兎ほどの動物三匹と太い紐みたいなのを二本ぶら下げている。
「火鼠と岩蛇よ。小山さんが仕留めた」
岩蛇は見たとおりだが、火鼠は色からすると灰鼠だな。
「小山は?」
「出発ギリギリまで寝るって。御飯は食べるから取っておいてくれって」
どうやら小山と羽河の二人で寝ずの番を務めたようだ。売れるかどうか分からないが、五匹ともアイテムボックスに収納した。火鼠はそうでもないが、岩蛇はサイズ以上の重さがあった。流石は岩系モンスター。火鼠は赤い魔石、岩蛇は茶色の魔石を持っていた。
まずは火を起こして糧食フォルダを開いた。二日目の朝フォルダを開くと例の物が入っていた。まずは巨大なヤカンを三つ取りだし水を満杯にして火にかける。大き目のテーブルを出して、食器代わりになるメスティンを並べていく。
一条と初音が仲良く手伝ってくれた。平井も何かしたそうだったので、火の番を頼んだ。伯爵が挨拶もそこそこに驚きの声を上げた。
「これはなんですかな?」
「メスティンです。野外用の調理器兼食器です。飯盒です」
「変わった形ですな」
第一陣の分として二十個を並べ終わったので、次に中身を入れていく。伯爵が再び目を剝いて叫んだ。
「これはなんですかな?」
「いつか約束した野外用の糧食です。試作品第一号です。チキン〇-メンと言います」
ラーメンのサイズはメスティンに合わせて作ってあるので、容積でいうと本物の倍位の大きさがある。次に卵を一個一個割入れ、キャベツの千切りを乗せてから、沸騰したお湯を一個づつ入れて蓋をした。あとは一分半待つだけだ。オレンジジュースと麦茶とジョッキを出しておく。
伯爵がお湯を入れる前の現物を見たいと言うので、一個渡すとまた驚いた。
「これは軽いですな。それに乾燥しております。だからお湯を入れるのですか・・・」
俺たちは箸を、伯爵達にはフォークを出してやった。
第二陣の準備をしながら皆の反応を伺うと、大成功だったみたい。志摩が涙を流しながら麵をすすっている。しかし、俺たちよりも感激していたのは伯爵やイリアさんをはじめとするこの世界の人達だった。
「信じられませんぞ。お湯をかけるだけでこんな美味な食事ができるとは!」
伯爵が叫びながら食べていた。騎士たちや教会組も口の中が火傷するんじゃないかと言う勢いで食べている。
パーティのみんなと食べていると、冬梅から「昨晩は全然眠れなかった」とぐちぐち文句を言われた。俺のせいだけじゃないと思いつつ、冬梅の視線が一条に向かっていたので、つい言ってしまった。
「冬梅、お前一条が好きなのか?」
みんな、一斉にラーメンを口から吹き出した。特に一条はメスティンを落としても気がつかない程動揺していた。
冬梅も負けずに動揺していたが、覚悟を決めて言い返した。
「好きだよ。出来れば付き合いたいと思っている」
やるじゃないか、冬梅。一条は真っ赤になって頭を抱えてしまった。
そのままじっとしている訳にはいかないので、軽く提案してみた。
「それならお試しという事でつきあってみたらどうだ?せっかく同じパーティなんだから。フィーリングが合わなかったら残念という事で」
一条は下を向いたまま返事をしなかったが、否定しなかったので了承と考えて良いかもしれない。良かったな、冬梅。男から見ても顔は整っているし、背は高いし、頭も良いし、真面目で性格も良いから、逆に今まで彼女がいなかったことが不思議だったのだ。なぜだか初音が自分の事のように喜んでいた。
伯爵は食べ終わると俺の所に走ってきた。
「いつぞやお願いした野外合同演習用の携行用の糧食ですな。ありがとうございます。お湯を沸かすだけで一食作れるとは本当に驚きですぞ。どんな魔法ですか?」
俺は試作品をフリーズドライと言う手法で作っていることを説明したが、伯爵は凍結乾燥魔法と理解したようだ。まあいいか。味が良いだけでなく、軽くてかさばらないこと、直方体で保管時のスペース効率が良いことを高く評価してくれた。輸送効率の面でとても大事なのだそうだ。
乾燥しているので長期間保存できること、お湯で戻さなくてもそのまま食べられることを説明するとさらに高評価だった。元になった食品がベトナム戦争などで利用された実績があることを説明すると、伯爵は深く頷いた。
「いずこの軍隊も補給には苦労させられますな。それにしてもあの食器も使い勝手が良さそうですな。雑貨ギルドでしたか、まとめて発注させて頂きますぞ」
後ろでイリアさんが頷いていた。スケールメリットによる値引きを考えて、軍経由で教会も発注するそうだ。俺は内心胸を撫でおろした。試作品はあと三つあるが、これならなんとかいけるかな。
第二陣が食べ終わる頃、小山が起きてきた。
「お疲れさん。大丈夫か?」
「二時間半は寝たから大丈夫」
日本時間で五時間か。無理しなければ大丈夫だろう。
「火鼠と岩蛇はどんなだったか、後でみんなにレクチャーしてくれ」
小山にお湯を注いだメスティンと箸を渡すと、笑顔で返事してくれた。
「分かった」
朝食後の打ち合わせで小山の説明は簡潔だった。
「火鼠は普通は灰色だけど、襲ってくるときは毛皮が発火して真っ赤な炎のようになる」
誰かが聞いた。
「ファイヤーボールみたいなものか?」
小山は頷いてこたえた。
「その通り。ただし自立誘導型で地面を走って来る。結構素早い。でも、弓や手裏剣で倒せるから強くはない。水魔法も有効かも」
小山は次に岩蛇を見せた。
「地面を這ってくるので、発見しずらい。特に岩場では要注意。石化の毒を持っているので、噛まれたらすぐに解毒のポーションを飲む。鱗が岩でできているので、手裏剣や短弓の矢は弾かれる。鱗と鱗の継ぎ目が弱点」
とりあえず岩蛇が要注意であることは理解できた。ギリシア神話のメデューサの頭の蛇が独立したような感じだろうか?
次に伯爵が今回の演習について改めて説明してくれた。
簡単にまとめると、この山全体が古代の遺跡なのだそうだ。そして真ん中山の頂上には祭儀場があったらしい。古代の国ではこの祭儀場を使って天上の神々と交信していたそうだ。祭儀場跡は今では巨大なロックバードの巣になっているが、その巣の手前まで行くのが今回の演習の目標だそうだ。
ちなみにこの地域が飛行禁止地域になっているのはロックバードのせいだそうだ。辺り一帯の航空管制を行っており、勝手に何か飛ばすと不法侵入と見なされ超音波光線が飛んでくるとのこと。くれぐれも用心してくれという事だった。
どう考えても危険だと思うのだが、空の王とも呼ばれる巨大ロックバードは小さな人間など相手にしないので、こっちからちょっかいをかけない限り安全らしい。本当かな?
ある意味人工物なので、頂上までの道は完備されているが、問題が一つある。なんせ神々と交信するための祭儀場だ。当然警備は厳重にしなければならない。しかし、人間に任せるには広すぎ、大きすぎる。古代の国は考えた。警備員を人間以外の物、そう、自立行動型のゴーレムにすればいいと。
祭儀場までのルートを高度でおおまかに上中下の三段階に分けると、麓近くの下部は岩、中部は青銅、上部は鉄、祭儀場の入口は白銀のゴーレムが守っているそうだ。
どうやら地下にはゴーレムの補給と修理のための工場が稼働しているらしく、ゴーレムの数は常に一定数を保ち、道路の掃除と補修を行いながら人間の侵入者を排除しているそうだ。ちなみに魔物は侵入者とは認識されないらしい。
主が滅びた後も何百年もの間、使われることの無い祭儀場を守り続けているゴーレムたち・・・。ゴーレムには感情は無いのだろうけど、可哀想というか、けなげに思えてくる。ラピュタのロボットみたいなものだろうか。
ついにチキンラーメンが完成しました。山岳地帯の冒険がやっと始まりました。山岳地帯は古代の遺跡でした。ついでに新たな恋が始まったかも。