第20話:レイジングハート
今日の昼はチーズとハム、ジャガイモが入ったガレットだった。生地が茶色をしていたので、小麦粉ではないかもしれない。チーズとハムの塩気で素朴だけどおいしかった。恒例のごとくデッキに行くと、砂場の傍で志摩と利根川が何か相談している。なんだろ?
練兵場に行くと、クラブハウスのテーブルには銀色の竜の紋章が入った漆黒の大きな宝箱が載っていた。ローエン伯爵が満面の笑みで鷹町に呼びかける。
「お待たせしました鷹町様、待望の杖が用意できましたぞ」
もったいぶって従者二人に箱の蓋を開けさせた。期待を膨らませて見つめていた鷹町だが、箱が開いた途端にへなへなと崩れ落ちた。疑問に思いながら箱の中を覗くと、紺に金糸の縫い取りがある豪華な敷布の上に鎮座していたのは、長さ五十センチ位の小さな白い杖だった。いや、小さいのはまだ良いのだ。問題は持ち手の反対側、杖の先端部分だ。
可愛らしい天使の白羽が左右に広がり、真ん中には直径五センチ位の赤い大きな宝石が、それもいかにもガラス玉といった感じの宝石が付いていた。魔法少女の杖として夜店に480円とかで売っていそうな安物感がすさまじかった。
鷹町は夜神と平井に支えられてよろよろと立ち上がるとつぶやいた。
「それなのですか?」
眼が完全に死んでいる。しかし、ローエン伯爵はまったく気づいた様子もなく続けた。
「さようでございます。これほど鮮やかな紅水晶は私、見たことがございません。王宮の宝物庫の至宝ですぞ」
どう見てもプラスチックのおもちゃなんだが、この世界の感性は違うようだ。
「まさかその杖の名前、ルビーじゃないですよね?」
鷹町は震える声で続けた。
「いえ、違いますぞ。この杖の名前はレイジングハートと申します。何か疑念がございましたら、まずは手に取ってくだされ」
レイジングハートを直訳すると「不屈の魂」だ。対象年齢十二歳以下と思われるリリカルな魔法少女の杖には強面すぎて、アンバランスな感じがする。
鷹町は何が怖いのか、杖に指先で二、三回触ったからようやく手に取った。覚悟を決めたような顔から、何かが起こるのでは?と心配したが、何も起こらなかった。鷹町は安心したようながっかりしたような複雑な顔をしていた。
「ひょっとして魔法少女に変身するかも、なんて思った?」
冗談で言ったら、ボンと音がするような勢いで真っ赤になった顔を両手で隠した。まさかの図星?
「バ、バカなこと言うんじゃないわよ」
顔を隠してしゃがみ込んだ鷹町の前に腰に手を当てた平井が出てかばった。説得力はゼロだが。
「Hallow My Master!」
突然、機械音声とは思われる流暢な英語が鳴り響いた。誰だ?
よく見ると、鷹町の手にした杖の真っ赤な宝石がピコピコ点滅している。ひょっとすると、あなたの犯人か!杖が喋るなんて、本当にびっくりだよ。インテリジェンスソードが存在する可能性は知っていたが、インテリジェンスタクト?
「ひえええええ・・・」
鷹町は涙目になりながら呟いた。
「どうして英語なの?」
そこがポイントなのか?すると英語の奔流は「Sorry」という言葉を最後にぴたりと止まり、宝石が激しく明滅した。固唾をのんで見守っていると激しい点滅は一分ほどで収まり、杖は再び喋りだした。今度は日本語だった。
「ローカライズを行い、使用する言語を日本語に変更しました。これでよろしいでしょうか?」
「ありがとう。よくわかるよ」
「それでは改めてご挨拶致します。はじめまして、親愛なるご主人様。レイジングハートと申します。デフォルトの設定が英語になっているので、初回起動時はどうしても英語になってしまうのです。申し訳ありません」
「私は鷹町菜花。菜の花と書いて、なのか、と読むんだよ。よろしくね」
「かしこまりました。それではマスター登録が完了するまでしばらくお待ちください」
言い終わると、杖は再び激しい点滅状態になった。
それにしても魔法の杖も進化するんだね。AI付きの杖とは予想できなかった。それとも精霊が付いているのか?大きく口を開けたままのローエン伯爵をじっと見つめると、咳払いしてからようやく説明してくれた。
「申し訳ありませぬ。驚愕しておりました。実を申しますと、私も王家の秘宝を拝見するのは初めてなのですぞ。取説には言葉を喋る杖、と書いてありましたが本当なのですな。ただ、何を喋っているのかさっぱり分かりませぬが」
ということは言霊の守備範囲外ということ?AIは人間ではないから?それなら最初が英語で聞こえたことも理解できる。
ローエン伯爵によると、この杖は勇者召喚に合わせてこの世界にもたらされた聖遺物であり、使いこなすには人間離れした魔力が必要らしい。
天地をひっくり返すような大魔法が使えるが、それ故に悪用されることを恐れて王宮の宝物庫に厳重に保管されているそうだ。マスター登録が完了すると、危険物扱いされていることを杖が自身で語ってくれた。
「申し訳ないのですが、私には厳重なプロテクトがかかっており、各種プログラムを保管した記憶領域へのアクセスは遮断されています。現在利用可能なプログラムはバリアジャケットの展開だけとなります。よって、これからこの世界で使用可能なプログラムを新たに学習する必要があります」
この言葉に食いついたのは平井だった。
「バリアジャケットって何?ひょっとすると変身するの?」
鷹町が頷くと、機械音声がこたえた。
「はい、ご主人様の着衣の構成を分析・記録後、分子レベルで分解し、予めデザインされた戦闘用の衣服に再構成します。展開を解くと、元の衣服に戻ります。展開する時は皆様の概念でいうところの変身に見えるかもしれません」
皆が「おおっ」と声を上げた。やった、本物の魔法少女だ。いや、魔砲少女か。平井は息をのみ、まるで恋する少女のように熱い目で鷹町を見つめた。鷹町は一瞬頷こうとしたが、慌てて首を左右に振った。
「ごめん、最初は自分の部屋で試したい」
皆の「あぁ」と声にならない声が聞こえた。俺もがっかりだよ。平井は深くため息をつくと、鷹町の手を取って頼んだ。
「分かった。でも試すときは、私にも見せてね」
目をキラキラさせている平井に鷹町は首を縦に振るしかなかった。
二人のやり取りを見た者の中から、新たな秘密結社が生まれることを平井は知らない。その名は「平井ゆかりを魔法少女にする会」。どうなることやら。だって、一番似合いそうなんだもん。
あと一人候補を挙げるとしたら三平だろうか。浅野も似合うと思うが、召喚されて女の子になってその上魔法少女になったら可哀そうすぎるだろ。真逆で花山を魔法少女にしても面白いかもしれないが、それでは別の話になってしまいそうだ。
その後も鷹町はいろいろ聞いたが、SLBについてはレイジングハートも知らなかった。というよりはこれもアクセス禁止になっているようだ。しかし、プロテクトをいずれ必ず解除するというレイジングハートの力強い宣言に少し安心したのだった。鷹町は一つだけレイジングハートにお願いした。
「出来れば、ご主人様、と呼ぶのはやめて欲しいなあ。落ち着かないよ」
「かしこまりました。それでは、マスター、でいかがでしょうか?」
「うん、まだそっちの方が良いみたい」
練兵場に出ると鷹町は見学に徹していた。ファンシーな杖を握ったままなので、ぶらぶら遊んでるようにも見えたが、魔法使いたちの練習や時には指導役にも魔法を使ってもらって、詠唱から発動までのプロセスの情報を集めているようだ。リバースエンジニアリングみたいなことをやるのかな?
俺と一緒についてきたヒデがまたアホなことを言い始めた。
「せっかく魔法のバットなんだからさ、魔法を打ち返せないかな」
まあ、世の中には超能力を切る人間もいるらしい(何とかの境界)ので、不可能とは言わないが、どこからそういう発想が出てくるのだろうか?魔法はボールじゃないんだぞ。
ヒデにつかまった木田が迷惑そうにエアハンマーを連打していた。ヒデによると魔法無効の効果を反発または反射に代えたらできるはず、らしいが・・・。道は遠いみたいだな。
ちなみに、地獄の千本ノックの時は左構えだが、それ以外は全て右構えになっている。バッティング以外は右利きなので、そっちが使いやすいみたい。
中原は女の子達から頼まれて、また犬のシロを召喚していた。うちのクラスのマスコットになりつつあるが、これで良いのだろうか?
召喚と言えば冬梅は小豆洗いを召喚していた。砂かけ婆と、どっこいどっこいだな。何がどっこいどっこいかは聞かないでくれ。
手合わせもつつがなく終了したみたい(無茶をした千堂の右腕がぽっきり折れたそうだが、ヒールで直ったそうだ)で、今日の実技演習は無事終了した。
晩御飯を食べに食堂に行くと、扉を開ける前からピアノじゃなかったチェンバロの音が聞こえてきた。中に入ると、部屋の隅に先日見た物より一回り大きなチェンバロが鎮座していた。指慣らしなのか、野田がスケールの練習をしている。とりあえず聞いてみよう。
「これも王宮の楽器庫にあったやつ?」
「うん、輸送や分解・組み立てに専門の職人が必要で、その手配に時間がかかっていたみたい」
「自分の部屋に置かなくていいのか」
「流石に二台はいらないし、人に聴いてもらうのも嫌いじゃないし、これは一人で聞くにはもったいないからね。四オクターブ半でるんだよだーよ」
幸せそうに笑う野田に「良かったな」と声をかけると思わぬ返事をもらった。
「今日はお披露目だから特別にリクエストを受けつけちゃう。何か聴きたい曲は無い?」
しばらく迷った末にスタイル・カウンシルのMy Ever Changing Moodsをリクエストした。イギリスのパンクバンド「ジャム」を解散したポール・ウェラーがミック・タルボットと共に結成したスタイル・カウンシルの大ヒット曲だ。多分、これから先何年たっても色あせることのないセンスの良さが光るお洒落な曲だ。
「アルバムバージョンをアップテンポで」
「私は原曲のテンポが好きだな」
と言いながらも、野田は鍵盤を叩きつけるような激しい演奏を聞かせてくれた。熱く訴えかけるようなピアノのリフが特徴のこの曲は、今の俺たちにピッタリだと思うのだがどうだろうか。
今日のメインはステーキだった。牛ではなかった。初音によるとラム(子羊)のロースで間違いないそうだ。とりあえず柔らかくてうまかったので、問題なし。ローズマリーのようなハーブの香りも良かった。野田はノリノリでジミー・スミスを弾きまくっている。超絶テクのオルガンを見事チェンバロにアレンジしていた。
食後いつものように紅茶を持ってデッキに降りると、志摩と小山がいた。視線の先には千堂がいる。
花山の砂場から五メートほど離れた位置に、直径二メートル・高さ一メートル半ほどのでっかいお釜が置いてあり、その縁を千堂が歩いている。何やってるの?
「面白いことやってるだろ?」
振り返りながら志摩が聞いてきた。
「千堂は曲芸師にでもなるのか?」
志摩の代わりに小山が答えてくれた。
「水面渡りの練習。花山君と違う方法で、と頼まれた」
やり方が同じでは人真似みたいでいやなのかな?そんなとこまで張り合わなくても良さそうだが。
「あんなでかい釜はないから、俺が土魔法で原型を作って、それを利根川が錬金で鉄に変えたんだ。利根川が一から全部作るのは大変だからな。一応実用に耐えるように設計しているから、いざとなったら炊き出しにつかえるぞ」
「釜の中には千堂の体重と同じ重さの土を入れている。一周するごとに一掬い土を捨てていって、空っぽになっても倒れなければ修業は終了」
どう考えても物理的に無理だと思うのだが、そういう話ではないのだろうな。手合わせの時とはまた違う緊張感を漂わせる千堂の横顔を見ながら考えた。
千堂君の練習方法は男組を参考にしました。